人は成長する。
しかし、成長はしない。
成長しようという意欲。
そして自分の殻の中に閉じこもっていれば無理である。
自分の思うように人生を動かす。
これはある部分では出来てしまう。
今を見れば、過去が分かり、今を見れば未来は見えるのだ。
だから成長しないとも断言出来てしまう。
今の自分の延長線上にしか未来は無いからである。
未来は成長しているだろうか。
しかし、もう老いとのせめぎ合いである。
こんな状態で成長と老いをどう統合するのか。
かなり難しい問いなのだ。
人は成長する。
しかし、成長はしない。
成長しようという意欲。
そして自分の殻の中に閉じこもっていれば無理である。
自分の思うように人生を動かす。
これはある部分では出来てしまう。
今を見れば、過去が分かり、今を見れば未来は見えるのだ。
だから成長しないとも断言出来てしまう。
今の自分の延長線上にしか未来は無いからである。
未来は成長しているだろうか。
しかし、もう老いとのせめぎ合いである。
こんな状態で成長と老いをどう統合するのか。
かなり難しい問いなのだ。
何か事が起こった時に、心を安静にしておることは、困難なようであるが、案外に容易である。
事の無い平穏な時に、心を活発に作用さすことは、容易なようであるが極めて困難である。
眠すぎる。
おやすみなさい。
「人がこの世に生きていけるのは、直-素直さ、正直-によってである」の
『論語』にある言葉を、よくかみしめて自ら反省し、自分の心をもって解釈すべきである。
私の実家には扇風機がある。
この扇風機には私が小さな頃からずっと回り続けている。
そして今も現役である。
一方、昨日、壊れた扇風機は平成30年頃に買ったもの。
これがプラスチックの劣化によって壊れた。
何だか不思議である。
昭和に作られたプラスチックは劣化せず、平成は劣化によって壊れた。
本当に進化しているのだろうかと思う。
そういえば先日、皿が割れた。
この皿は半年くらい前に買ったもの。
一方で小さな頃からずっと使っているラーメン丼がある。
これはいまだに現役である。
これが日本の劣化を象徴していると言えるのかもしれない。
「心が静かな場合には太陽の恩恵を知ることができ、眼が明らかな場合には、
青く澄み渡った天空の広大無辺なるを知ることができる」とは、宋儒程明道の句である。
この青天白日-本具の本心・仏性-は常に自己の中に存在するもので、
己外に存在するものではない。この句を座右に掲げて自戒とするのがよい。
今日は真夏日だという。
そして私の部屋に扇風機が現れた。
しかし、倒してしまい、プラスチックが割れ再起不能に。
新たな扇風機が部屋にやってきた。
この扇風機の話は明日に。
話を戻す。
本日が真夏日だとすると、夏はどうなるか。
きっとどこかで都内でも40度が超える日がやってくるのだろう。
そしてスコールによって人は洪水被害に遭うのだろう。
もうこれは既に起こった未来。
想定なんてしなくても分かる。
今年の夏はいかに外に出ずに過ごすか。
これが課題となる。
いや、今年と書いたがきっとこれから死ぬまでこうなっていくのだろう。
もう人は夏に出てはいけない。
そんな世界になったのだと思う。