ある方の退職が決まった。
これはこれから起こる事。
だから実際に起こるかどうかは分からない。
しかし、この方は自分の特殊な位置にいる事を自ら放棄した。
きっとそんな位置にいるか分からなかったのだろう。
さてこれから現実は厳しく降り注ぐ。
それに耐えられるか。
きっと耐えられない。
ご愁傷様である。
ある方の退職が決まった。
これはこれから起こる事。
だから実際に起こるかどうかは分からない。
しかし、この方は自分の特殊な位置にいる事を自ら放棄した。
きっとそんな位置にいるか分からなかったのだろう。
さてこれから現実は厳しく降り注ぐ。
それに耐えられるか。
きっと耐えられない。
ご愁傷様である。
喜・怒・哀・楽-愛・悪・欲-を加えて七条-の四つの感情というものは、
ただちに顔色に現れるものである。それはあたかも、形と影とが一つであり、
声と響とが時を同じくするようなものである。これを心と身とが合一したものというのである。
心については知という。その知は実行するための知である。身体については行という。
その行は知るところのものを実行するのである。
たとえば、人の言葉を聞いてこれを了解するというようなものである。
口では「承諾した」といい、身体では「うなずいてみせる」が、
どちらも了解したという仕方である。
最近、忙しくさせていただいている。
この忙しさから逃げる為に必死で仕事をやっていると疲れこそあれ、不満なんて言う気力も無い。
こんな状況の私の耳にある方が不満を言っているのが聞こえてきた。
そして思った。
『こいつ、暇だな』
暇だと不満を言える元気があるのだ。
私はこんな元気は全く無い。
発する言葉は「疲れた」しかない。
きっとこれが社会の構図なのだと思う。
忙しい人は不満を言わず、暇な人は不満を言う。
あ〜、疲れた。
最近、バックミュージックがドラマサントラになった。
前は普通にJ-POPだったのが、最近、言葉が邪魔になった。
何故かは分からない。
だからただ事実を書いている。
これは1.25倍とか1.5倍で聞き続けている弊害かもしれない。
何故、こうなっているか判明しないまま、死んでいくのかもしれない。。。
人が幼い子供の時は、完全に真実の心を持っている。少し成長すると、欲心が少し起きてくる。
もはや一人前になると、
その上さらに世俗の習慣になれて真心をほとんど失ってしまうのである。
それで、聖人の学問をする者は、常によくきっぱりと、この世俗の習慣を除き去って、
本来の真心に復帰すべきである。このことが最も肝要なのである。
私の師匠のセミナーの根底に流れているのは直面化である。
この直面化によってその人の根底的な動機を変えてしまう。
それが根幹なのだと思う。
これを様々な言葉で手を変え品を変え出してくるのがこのセミナーである。
人は変えられた事に気付かずに自分の行動を変えていく。
その結果の今である。
さてあのセミナーを受けてどのくらいの人が変わるのだろう。
今回、見た事が無かった人が多かったから、きっと何も変わらないのだと思う。