女50歳からの生き方 -2ページ目

女50歳からの生き方

49歳は、女人生の別れ道、花人生の折り返し点。
素敵でセクシーな女人生を生きるのか、魅力的な女である方向から離れるのか。
しかし、雌でも雄でもない生き物はどこにもいないのだから、セクシーな女人生を選ばなければ、生命力の灯が弱まり、更年期障害が始まるのです。


半世紀前までは「セクシーですね」と言われたら
侮辱されたと怒る者がほとんどだった。
日本も変われたもので。

今では、セックスアピールは人間的魅力のことだ
と認識される様になれた。
セクシーでありたくてジョギングしたり、
ジムで汗を流す人の姿も多い。

が、日本人は、男女共に、もっともっとセクシーに
魅力的になれるのだと思う。
セクシーでありたい気持ちを、どこか勘違いし
ブレーキをかけている様子だ。

もしも、セックスアピールはどうでもいいか
なんて思っていたとしたらl
それはとんでもなく勿体なくて、
しかもとんでもなく方向違いな考え方。
何故なら、健康な身体、大きな心世界、知的な思考、
真っすぐな性格全部が揃う上等人間にしか、
セックスアピールはないのだから。

美しい心としなやかな筋肉を持ち、賢く、
気品ある所作で生きる優等生をセクシーと感じ、
強く惹きつけられるのが人の心というもの。

優秀な子孫を残す相手を選ぼうとするのは生き物の本能、
恋の正体ということ。
ひねくれた根性、弱い身体、虚弱頭脳の持ち主では
恋の相手に選んで貰えない。

高校生が、短いスカートから太めの腿を開き気味に
電車座席に座っているのは、
セックスアピールとは全く違うもの。
無知で無教養で不道徳、みだらな欲情を誘う仕草を
無邪気にしているだけ。

性について、真面目に考え、セクシーに生きることが
幸せな人生に繋がるのだと、
親は、自分の思考や行為を反省しながら
真剣に教えなければならない。
両親が、そそくさとセックスして自分が生まれたなどと思わせないためにも。

さて、強いセックスアピール力を発揮するためには・・・。
強い意志としなやかな筋肉を持ち、
宇宙語が理解できる者であること。
人間的セックスアピールは、
瞳から放たれる強い意志の輝きから始まる。
これがなければ、セックスアピールは、
スタート点に・・・まだかな。

どう生きたいのか、どう生きようとしているのか、
正義とは何か。
自分なりの哲学を持ち、前を向いて歩く姿勢が
セクシーさの根源なのに
そこのところがフニャフニャしていたのでは、
お話が始まらないでしょう。

だから、ジョギングしなさいって言いませんでしたっけ、以前に。 



--------------------------
本家ブログ 天上の龍 <瑞穂みすぐり>
こちらもお楽しみください






いい女としては、どうしても持っていて欲しい淑やかさなのですが、

淑やかさは、普段からの、嗜みある上品な所作から滲み香り出るものです。

急いで取り繕った淑やかさでは、香るどころではないでしょう。



知的な発言、センスあるファッション、良く手入れされた肌と上手なお化粧。

「うわあ格好いいなあ! いかにもできる女って感じで憧れるう!」

と騒がれた、そこまでは良かったのですが、

所作に淑やかさが欠けていたら、残念、ああ、いい女偽物じゃあないですか。

いい女の淑やかさは、きびきびした活動的な動作の中にも香る。

女性だからこその魅力です。



女性ならではの淑やかさとは、

多くの場合は、家庭の躾けによって育まれる、個人的生活感に根ざしたもので、

一人の動作全てに亘って見えています。

パーティーの席でも、仕事場でも、街を歩いていても、トイレの中でも。

特に、家の中で寛いでいる時、いえ、もっと言えば・・・。

トイレットペーパーの切り方などにも、淑やかさは否応なく出てしまいます。

トイレットペーパーを、ハサミを使った様に切るのが淑やかさですかって?

まさか。

淑やかな人は、どんな時も、どこのトイレでも、ペーパーを引きちぎりません。

必要な分だけ、ペーパーをガサツに引っぱったままなんてことはできないのです。

見る者がいないトイレに限らず、行動をガサツにできないのが淑やかな女性。

幼い頃からの良い躾けが、いい女の条件を本人にプレゼントしていました。



で、もし、良い躾けを悲しいことに受けられなかったと自覚したら、

誰にも見られないプライベートな場所で淑やかさを身につける努力をします。

品格を意識して歩く、考える、食事する、本を読む、TVを観る、電話する等、

自分で、自分を躾けることは必ず可能です。



誰にも見られていない場所で、淑やかな立ち居振る舞いをしてご覧なさい。

パブリックの場でも、必ず淑やかな所作が身について居る筈ですよ。










彼女の歩く姿から、人間的気高さを感じませんか。

女の淑やかさを持ちながら、誇り高く強靱な信念に基づいた主張を曲げない姿。

すっと伸びた首に乗った顎の先から美しい「気」が見えています。

気品のある美しいひと。

高齢者なんて言葉は、誰の心からも出て来ません。

私生活では長い軟禁生活、どれほどの不自由と恐怖を感じていたことでしょう。

それでも、信念は曲げない強さ。

民衆に向かって主張を訴えながら微笑む表情からも、強さが滲み出ています。

この強さこそ女らしさの原点なのです。



「強い女は女らしくない」

「戦後の日本では、女性が強くなって、女の可愛いらしさが失われた」

そんな声が、年配男性から聞こえて来ますが・・・無視無視。

言ってはなんですが、つまらない男の泣きごとですから。

日本社会特有の「女らしさ」の観念に、女性の心は怯え続けてきました。

幾つになっても可愛くなければ、女と思われないのではないか。

こんな強迫観念からは解放されましょう。



あなたが何らかの事情で居なくなった状況を想像してみましょう。

あなたを失った恋人、夫、子供、友人たちがあなたを思い出して泣いています。

その心の中を覗いてご覧なさい。

真っすぐな信念で、強く健気だったあなたの姿を思い出して泣いていませんか。

自分に向けられた強い愛と滲み出た優しさといじらしさに泣いていませんか。

そして去って行った時の、すっくと伸びた気品ある後ろ姿にも。

みんな、大切な大きなモノを失った悲しみに耐え切れず泣いています。

可哀そうに。



でも、もちろん別れを勧めているのではありません。

女性の魅力について、客観的に確認して欲しいと願っているだけなのです。

値打ちは、失ってみて初めてはっきり確信できるものですから。






八卦学では、誕生の全ては「1」から始まるのではなく、

「なし」つまり数学的に言えば「ゼロ」から始まる。

人の誕生も同じことで、

人の「なし」から人が誕生する旅が始まると説いています。



では、人の「なし」とはどんな状況であるのか。

不妊で悩む女性は、このことを良く理解すれば・・・答えが見つかるでしょう。

そのカギは男性の心にありました。

子孫を残す仕事が宇宙から与えられている男性の心の中にです。



女性には子供を産める能力が授けられていますが、

子供を造る能力は授けられてはいないことは理解できますね。

女性の能力は、預けられた命を人間の姿にまで育て、この世界へ産む出す力です。



一方、男性が与えられた任務は人を造ること。

人が「なし」人が欲しいと男性の心が感じた時が誕生の旅の始まりなのです。

ですから、男性の心に生きる自信がなく、生きることを喜んでいないと、

人が「なし」人が欲しいとは強く思えず、従って誕生の旅は始まりません。

男性が子孫を残すより子孫を繁栄させたいと望む程、仕事の成果は高くなります。



ここで重要なことは、「なし」の吸引力によって、全ての動きは起きること。

「なし」の力に引きこまれたところから誕生が始まるのです。

男性の心の中の「なし」の力で男性の性欲が起き、

「なし」が「あり」になる旅が女性の胎内で進行し、遂に赤ちゃんが誕生です。



しかし「なし」から始まろうとした旅を、女性の身体が受け入れないと、

受胎はできません。

男性が「なし」を強く思わないか、又は女性が「なし」を強く思っているか。

人を造るのも、勿論性別が決まるのも、もっぱら男性の心の力。

そのことを理解しないと、旅の始まりである受胎の一歩が踏み出せません。





女性らしい感性で感じたことを説明しようとしても、

相手によっては諦めなければならない時があります。

知的であると自信を持っている女性相手の場合には、特にそう。



女性らしい感性は、良いなと感じられたらそれが正解だと理解します。

内容がどうだからではなく、鋭い感性で正解が分かっていました。

ですから、良さに感動したものについて、その価値を疑うことをしません。

次元が違うもの同士が反応し合っている音?雰囲気?が分かるのです。

そのものの値打ちが社会的に認められているかどうかは知らないけれど、

自分は値打ちに感動出来たからバカな買い物をしたとは思っていません。



感動は物だけに限らず、思考についてもそうです。

まるで感動しない人に、購入や思考の理由を理詰めで質問されても困るのです。

「あの、凄く良いなと感じたから買ってしまったの」

「これだけの金額を払うのなら、ただ良いなと感じただけではないのでしょう」

「そう言われれば、そうねえ、作者の名前を聞いたことがあったかな」

「作者って、何て名前なの?」

「誰だったかしら・・・忘れしちゃったみたい、ご免なさい」



こんな時、知的を自負する女性は、ますます顎をつきあげて、眼を吊りあげて、

得意顔で攻めて来ます。

(馬鹿相手は疲れるわ、まったく)

そう嘆く内心の声が聞こえました。

こうなったら、あなたに勝ち目はありません。

感性を主に生きる女性は、大体が覚えるのが苦手、数字も苦手、説明は面倒。

それより、感じることに心を向けて生きているのですから。

もう、仕方がないから。

むにゃむにゃ、訳のわからないことを言って逃げるが勝ち。

感動した内容を、感動しない人に説明しようとしてもほとんど無理なのです。

馬鹿だと思われてもいいやと諦めましょう。

方程式は示せなくても、あなたには正解が分かっているのですから。