先日出たイベントでアシュラワークの話をしたら、「こちらの本と言ってることが同じだ!」と言われ早速読んでいます。
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)/講談社
¥799
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この本、すごいアシュラワークの本質をついています!!こりゃびっくり!
「個人」というのがこれ以上分けられない最小単位なんではなく、会社の顔、家族といる時の顔、高校時代の友人といる顔など様々な「キャラ」を演じ「ペルソナ」を使い分けているそれぞれの顔を「分人」と定義するという話。
アシュラでいうアレもコレもという多面相の顔部分のこと。
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以下響いた9つを引用。
⚫︎自分という人間を、複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきだ。
⚫︎自分を愛されない人間として本質規定してしまってはならない。そして、もし新しい分人が自分の中で大きく膨らみ、自信が持てるようになったら、そこを足場にして、改めて過去の分人と向き合ってみればいい。
⚫︎ポジティブな分人もあれば、ネガティブな分人もある。
⚫︎ネガティブな分人は、半分は相手のせい。ポジティブな分人もまた、他者のお陰なのである。
⚫︎大切なのは分人のバランス(分人構成比)
⚫︎複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。
⚫︎分人は他者との相互作用で生じる。
⚫︎誰かといる時の分人が好き、という考え方は、必ず一度、他者を経由している。自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。
⚫︎分断を超えて。私たちの内部の分人には、融合の可能性がある。
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そう、私は以前分断する分人を生きていた。Twitterの顔、Facebookの顔、会社の顔、コーチの顔、母親の顔など。
複数の分人は無理に演じているわけでもなく、他者との関係の中でおそらく自然にそうなった。
でも、私は最後の融合の可能性に好奇心が湧いた。コーチとして人の可能性に触れるうちに多数の分人があることは、その人のリソースだから。過去と未来をも別の分人でいつからでも生きられる。
Facebookを毎日チェックするけれど、自分は一切投稿しない主義の方もかなりの数いると思うが、Facebookはまさに自分の様々な分人がいる中で、どの分人で表現するか、そこへの面倒さと恥ずかしさがそうさせているのかもしれない。
実際に投稿の多い人は、自己肯定が高い人のような気がしないだろうか。リア充という皮肉な呼び方もあるが、彼らは分人の融合がかなり進んでいる、もしくは分人構成比に納得をしているともいえる。
是非、本当の自分を探しにいく前に、分人構成比について今一度見つめてみてほしい。