森光子さんが亡くなったとのニュース
特に思い入れもなく見ていた昭和と言うか、私が産まれる以前から活躍し、当たり前に画面で目にしていた俳優や歌手が亡くなっている
亡くなってから一抹の寂しさを感じる
私も今年で43だけど子供の頃に見ていた、その人らと比べると、あまりに幼稚で成熟していないが、諦め悪く未だ夢の中を模索してるぼんやりとしたゆとりある生活ができてる自分に時代の流れを感じずにはいられない
お婆ちゃん的に写っていた森光子さんの訃報に自分の祖母の最後を思い出す
不思議とじいさんやオヤジなんかは深く思わないのは何故だろう
最後まで俺は、ばあちゃん怒られていた
最後のばあちゃんが亡くなって泣けたのを思い出す
そして順番的に次は母になる
母は一人しかいないのが、これまた重い存在である
先祖や俺を育て上げ、心配してくれた人達に胸はって生き方と死に際を伝えれるだろうか?
そして、子供や後進に伝えれる物があるのだろうか?
最後まで突っ張り、貫き徹さないとならない物がある
それは人に自慢出来るものとかじゃなく、自分の意志である
途中で潰れたら、逃げたら何もなくなるかもしれないがイバラの道とわかりながらも停まれず、方向転換もできず突っ走る自分に酔ってるのかもしれない
高度成長期に生まれ、バブルも今の底辺日本も見てきた中でぶれない物があるのは強い
金で大半の欲が叶う世の中
もちろん私も自分の道で財を築きたいのは確かだが、金だけあっても生き甲斐がなきゃとも思う
今、無いものをどうにかアイデアで上手く遣り繰りしてるのも悪くないが、そろそろ周りを安心させて、自分自身もゆとりを持ちたいと切に願う今日この頃である…
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