マイケル手帳の帯のマイケルも、最近の本のおまけの

ポストカードも、私が撮った作品ですが、

いつも一緒に暮らしていると、本当に人間みたいな表情をします。

・・・が、ナイスショットが撮れるのはほとんど奇跡。

いつも手元にカメラが必要です。





さて、今日の記事。

しなければならないことがたくさんあって、

しかし、それがしたくないことであった時に、

人は苦しさを感じます。





そして、それは実はしなくてもいいことですが、

絶対にそこから逃れられないし、

絶対にしなければならないことだから、

といつも思っている人に起きる現実は、

やっぱり、しなければならない、という状況が待っています。





やらなくてもいいよ、もう、逃げちゃえば?

と言っても、「いや、そんなわけにはいきません。

逃げたら、人として、なんちゃらかんちゃら・・・・」

それって、やらなければならないことではなくて、

それらをやめる許可を自分に与えられない。





ということはですよ?結局それは、

あなたが「やりたい」ってことになるんですよね。

それを認めると、やりたくない、って思っていたことが

少し軽くなるのです。自己責任で「やる」ほうを選んでいるのだから。

だから、それを認めたらいいんですよ。





1年くらい前に、セミナー受講者さんに

こんな質問をされたことがありました。

「親は働けない(働かない)ので自分が生活の面倒を

見なければならないのがつらいです。

給料のほとんどをあげていて、自分の分はお小遣い数万円。

私には未来がありません。ずっと親が死ぬまでお金を

あげなければならないのです」って。





私:「あげなかったらどうなるの?」

その方:「親は死んでしまいます」

私:「しょうがないんじゃない?本当に死ぬ?」





しょうがないんじゃない、なんて言った私は、

この親不孝者めがーー!とご年配者に叱られそうですが、

結局、親の面倒を自分の意志で見ているけど、

本当にそれがやりたくないって思っているから重いのです。





極論、いいか悪いか別として、親を捨てて逃げることも出来るし、

もしくは、自分がやらないで済む方法を考えたり、

決意して、「親は捨てたくはない」、親にお金をあげることは

自分のしたいことだと認めて、お金を上げ続けることもできるし、

自分は、どっちを選択したいか?だけの話なのです。

やらないことを選ぶのが、自分としては嫌だから、

やるほうを選んでいるわけで。





逃げてもいいし、逃げずにそのお役目を果たしてもいいし、

どっちでもいいのですが、それでもそれを抱えながらも、

楽しいことと、自分の心地いいことをやっていれば、

嫌なことがあったとしても、対極を経験しているということで、

楽しいことがより一層楽しくなり、そしてありがたい気持ちで

満たされていくのです。





私のお世話になっているある男性は、親と家族を介護しています。

施設を頼まず、自ら望んでそれをやっているのです。

もちろん、介護をやった方はご存知の通り、すごく大変です。

大変だけど、やりたいそうです。施設には頼みたくないそうで。

料理も洗濯もそうじも、病院の送り迎えも、

自らの仕事をしながらやっていますが、

彼の口癖は「ありたがい・・・ありがたい・・・」です。





自分で選んで親のお世話をやっています。

やらない選択もできますが、「やる!」と決めています。

なので、本当に本当にたまーにしかない、

自分の小さな楽しみごとの時には、

最高の幸せを感じているようです。





楽(らく)は苦を経験しているから分かるのであり、

おいしいは、おいしくないを知っているから分かるのであり、

幸せは、不幸せがどんな状況か知っているから分かるわけでね。





ご存知の通り、人生楽しいことばかり起きるわけじゃなく、

それでも、どこに視点を向けるかで、同じ苦しみが起きたとしても、

楽しそうに乗りこえている人もいれば、

しんどくてしんどくてたまらない人もいます。





しかし、どんな状況であっても、

それは、経験したくてやっていること。

以前も書きましたが、全部予定通りなのです。

あとで、見た時に、なぜ自分がその経験が必要だったかわかるはず。





人生はどう意味付けるかでまったく世界が違います。

実は、意味なんてないのかもしれません。

しかし、心軽くなるような意味付けをすることで

苦しいことも「経験させてもらっている!」

と、前向きに取り組むことも出来るし、

その苦しみが「乗りこえられたら成長だ!」と捉えることも出来て、

つらいつらいと言って過ごすよりも心が軽くなることでしょう。





取りあえず、つらいことも苦しいこともありますが、

そんな中でも、自分の楽しいことと心地いいことに

意識を向けて行けば、何かが変わるかもしれません。

そして、結局は、どんな状況でも、ありがたい、と

意味付け次第ではなるのです。





私には、つらいことも悲しいことも試練もなさそうに見えるでしょ?

いつもキラキラ前向きで楽しそうでしょ?

当然、そんなことばかりじゃあ、ありません。

かといって、苦しくて、悲しくて、しんどくて・・・

というわけでもありません。むしろ、それがあっても

全体的には、ダントツ楽しい方が多いです。





普通に色々とありますが、それでも、どんな試練があっても、

納得させる都合のいい意味付けと、どこに意識を向けるかで、

まったく違う乗りこえ方ができるのです。





都合のいい意味付けでいいんですよ。

納得したら、腹をくくり前に進む!逃げてもよし!

取り組んでもよし!あなたの人生と言う脚本の監督と、

主役はあなたなのだから、何を決定してもいいのです。