名古屋おもてなし武将隊~ということは帰ってから知ったのですが、
暑い中武将らしく重々しい衣装でも元気良くトークをし、
もっか復元工事中の本丸の前での写真撮影にも精力的でした。
で、この暑さの中で頑張っている若者もいるんだ!と気を取り直して本丸城も見て行こうと。
本丸城の復元のなかにはこの金箔を豪勢につかった襖絵の復元作業もありました。
本丸城復元の募金、8/1現在で目標の50億円達成だそうです。
この襖絵の金のうつくしさに、美術展で見てきた金の薄れた屏風も、当時はこのような輝きを放っていたのかなあと思ったら、
世界が変わって見えました。
城内にはいつでも入れるものではなく、名古屋に着いてから、
行っとく?と思いついただけなのに、ついてるなあ。
前を歩いていた50代(たぶん)の女性は城めぐりが趣味らしく、20代の娘さん夫婦と赤ちゃん、同年代の夫と家族旅行だったらしいのですが、
お城のスタッフの方に、
小田原、大阪、(このあともいろいろつづくのですが、城にも歴史にもとんと疎い私には覚えられない)と巡って、あと○○で制覇です、
というような話をなさっていて、そんな情熱的な旅もあるんだなあと。
行き当たりばったりですからね~私は。新幹線の指定席とホテル、いくつかの前売り券はありますが、
それすらなかったら、旅に出ないからきっかけ作りというか…。
間近で見たせいか、石垣の石の組み方にも興味が出てきました。
ブロックや煉瓦を積むのも製造するのも計算と経験がいるでしょうが、
大小さまざまの石を崩れないように積むのはどんな計算なのかと。
巨大な石は「加藤清正の石」。
私は加藤清正と言ったら虎退治しか知らなかったのですが、
清正は施工の名手でもあって、これはそんな清正にしか積めなかったであろう石、ということで加藤清正の石だそうです。
石には○や△などのマークが入っていて、
息子がスタッフの方にお聞きしたら、
城を作るにあたって、配下の武将たちに石を持ってこさせる、その時にどの石が誰の石かわかるように目印を入れたのだそうです。
マークは20種くらいだとか。
息子がうっかり城のプラモデルにも触手を伸ばしたらどうしよう(笑)
iPhoneからの投稿