「京都、オトナの修学旅行」山下裕二×赤瀬川原平(淡交社) 2001
「日本美術応援団」の表紙に似ているなあ?でも出版社が違うけど…
と思ったら、「日本美術応援団」を連載していた雑誌がなくなり、移籍したのが淡交社の「なごみ」だったわけで、
まぎれもなく「日本美術応援団」第二弾であった。
高2の修学旅行はもちろん、京都・奈良でしたが、
全然覚えていないのに決まってる。私の場合は同級生たちと馬鹿騒ぎをして日中はほとんど寝ていたから、
というような武勇伝とは縁がないし、
修学旅行に行くお金で画材を買って写生旅行に行っていたわけでもないです。乗り物酔いがまだ治ってなくて、京都タワーも吐き気と戦いながら見たし、
停車の時間ばっかりじーっと待っている感じで。
オトナになったいまこそ、修学旅行をやるべきじゃないだろうか!
ちなみに乗り物酔い体質は母からで、弟は茨城から運転して岩手まで来るが、それは自分以外の運転だと酔ってしまうという体質のためなのだった。
乗り物酔いは悲しい病気です。
日本美術に興味が出てきたのはほんとうにごく最近、ここ数年のことで、
美術館や博物館で展示された絵や仏像を見るのもいいけれど、
修学旅行では全然わからなかった京都の古刹などを巡ってみたら、
いまだったらきっといろいろしみそうである。
というわけでおふたりが巡ったのは、
金閣、
二条城、
東寺、
高台寺・円徳院、
清水寺、
京都御所、
桂離宮、
平等院、
銀閣、
楽美術館、
待庵、
嵐山。
サブタイトルからしてはやく読みたい!とそそられますよ。
二条城ーゼネコン狩野株式会社の大仕事
平等院ー平安貴族が夢見たサンダーバード墓地
待庵ー利休がしかけたワナつき二畳
また、喩えも巧みで、
山下裕二さんが「等伯は能登から出てきた田舎者だから権威づけが必要だった。だから秀吉と気が合ったと思うんですよ」と言い、
当時の障壁画は狩野派の独壇場だったところを、等伯が田舎から出てきてあっという間に秀吉に取りいって、大規模な仕事をもらう、
とまるでゼネコンの世界のような話を(笑)。
銀閣の銀沙灘も、
無名の寺男のインスタレーションとふたりの話が弾み、三島由紀夫に「銀閣寺」を書いてもらわないと、とウキウキした感じに。
ああ、見たいじゃないか銀閣の銀沙灘。
総括でふたりのコドモの修学旅行の思い出話が出てくるのですが、
修学旅行の学生に神社仏閣を見せて歩くのは実際には無駄で意味がないとしながらも、
あちこちの観光地の財源にはなっているかえあ無下にそう言えない、
と考えるあたりがオトナだなあと思う。
中学の修学旅行先である北海道にはオトナになってからフェリーに自分のクルマを積んでまわったし(と言っても函館札幌小樽だけですが)、
つぎは京都だ!
最後の"「京都、オトナの修学旅行」の手引き"がまた楽しかった。
よし、いつかオトナのひとり修学旅行を実施するぞ!
その日までに日本史の常識を知って置かないとダメなんだろうけど…。
iPhoneからの投稿