川上未映子の本の、このタイトルだけはだいぶまえに
見たことが合って、ずっと気になっていたのだ。
「歯」は、何て読むんだろう?
(「は」でした)
「青木」という男性に恋をしている女性のモノローグで
はじまるのですが、
女性はやがて、まだ生まれていない、というかまだ
妊娠もしていない、のに、子どもへの手紙を書き、
「青木」の不在について、「青木」が忙しさのあまり
なかなか逢えないことについて、
勤め始めた歯科でのことなどを書きつづけます。
「ヘヴン」にも共通する、「視ること」とはどういうことなのか、
痛みと個人、といった深い問題がなだらかな大阪弁で、
うたうようにつづけられます。
実在の「青木」とその彼女の前にたった「私」は
かれらにとってどういう存在であったのか。
「青木の彼女」の側からみた「私」への罵倒っぷりに、
私たちの前に引き出される「私」の姿。
「私」の全身をどろっと覆っていたなにものかが乾いてパラパラ落ちるような、
そんな感じがしました。この、「私」が「他者」にはどう映っていたのか、
というところで私は田辺聖子の「感傷旅行」を思い出しました。
もちろん、主題は違うのですが…。
奥歯を麻酔なしで抜く(「私」はそのことにものすごくこだわり、
ついに敢行されるのだった)場面から、この彼女との
言葉の戦いの場面を読むと、
「乳と卵」、それから「ヘヴン」につづくテーマは
すでにここからあったんだなあと思わせられます。