いつも、ご利用と応援をありがとうございます。
さて、
私は、この3月で、
とわ助産院 産後ボディリンパケアを卒業します。
2014年から、ここで10年仕事をさせてもらいました。
本当にたくさんのお客様のお身体と心に触れさせてもらいました。
みなさまの大切なひとときをお預かりさせてもらい、
ありがとうございました。
卒業の理由は、シンプルに体力面での懸念です。
3度の出産による体重の増減がきっかけと思われますが、
アロマセラピストになる前から膝の半月板が割れています。筋肉をつけることで痛みを感じないようにしていましたが、それでも最近は違和感が出るようになっていました。
また、数年前に自転車で手首をひねったことがきっかけで、施術で体重が乗る手首にも違和感が出るようになっていました。
これらの違和感が、やがて痛みとなっていくと、
今の施術の質が確保できなくなってしまいます。
質が確保できない状態になってから引退、というのでは、引退するまでに受けてしまったお客様には申し訳ないことになってしまいます。
ゆっくりと衰えを感じた時点で、自分自身で引退の決断ができたことは、幸福なことだと思っています。
ありがたいことに、こちらのサービスは人気があり、助産院にとっても助産院利用につながるきっかけともなるため、
ぜひ後任を、との要請もいただきました。
そこで、鶴見周辺で活躍していて、施術キャリアが長く実績もあり、子育ても奮闘中、という素晴らしい方にお願いして、この場を受け継いでいただくことになりました。
北村さんブログ
https://www.instagram.com/yuko_iyasi_kuukan/
北村さんとは鶴見周辺で個人で仕事をしている母親というつながりから始まり、10年くらいの長いお付き合いになります。私自身のケアをお願いすることもあります。だから、ますます安心
大切にしてきた仕事をお任せしたいと思えるお付き合いを北村さんとしてこられたことも、とても幸運だったと思っています。
4月以降のご予約は、ぜひこちらに
お客さまにとって、どんな場でありたいかということを考えてきました。
お客さまは自分が後回しになる生活の中で、そして睡眠不足で、後々振り返ってみたときに、大変過ぎて記憶がない時期に当たる時のご利用かもしれません。
お客さまの人生の中の通りすがりでしかないので、記憶がなくて、忘れられて、それでいいのです。
幼少期の香りの記憶が何かエピソードとつながって、脳のずっと奥にしまわれているように、
大切にされた「感じ」や、楽しくおしゃべりしてすっきりした「感じ」が脳のずっと奥にしまわれていて、気づかれることなく「自分も大切にされていい」という支えになっていればいいなと思います。
日々をやりくりするだけでも精一杯、という時期でもあると思うので、求められなければあまり アドバイスもせず、ただ寝る・しゃべる・少しでも休んだと感じてもらえる・ただ肩の荷下ろしをしてもらう、ことを提供するようにしていました。
私がここの仕事を始めたきっかけは、知り合いの知り合いからの紹介という、単なるラッキーでした。
まだまだ仕事をやりたかったところで正職員のレールから外れてお母ちゃんをしていたので、当時は仕事に対する不全感が強く、このまま職業人として終わりたくない、という気持ちがありました。
一方で、子どもたちのことも大切で疎かにしたくない、と行き着いた先が
アロマセラピストを自営で行うという形でした。
欲しいものを手に入れるには、自分で仕事を作るしかなく、そうしていたら、たまたま、
とわ助産院での施術をやらないかとお声をかけてくれた方がいらしたのです。
おかげで、まだ幼かった子どもたちとの暮らしを大切にしながら、自分のペースで働くことも叶いました。
中小企業白書によると、個人事業主として開業した人の約半数は2年で廃業。
そういった厳しい状況の中で、大過なく破綻せず、堅実に10年続けられた1割弱になれたことは、大変な幸運でした。
さらに、美容健康業界周りは、怪しげな商売が横行しています。
このブログにも実は多くのフォロー申請が来ておりますが、
ドテラ・ヤングリビングといった精油の使い方をわきまえないネットワークビジネス、
植物のエネルギーをお水に転写しちゃう系・
植物の記憶を持ってしまった砂糖玉の類・
潜在意識がどうちゃら系の施術は
(冗談じゃなくて、本当にいるんだって!)
容赦なく却下しておりましたことをここに白状します
先人たちがここまで積み上げてきたアロマテラピーの科学的社会的信頼性は、これからも守られ、さらに発展していくといいなと考えています。
さて、私のこれからですが、
この仕事と並行して現在も社会福祉士として働いている(認定NPO)ピッコラーレ
での、にんしんSOS相談の仕事を継続します。
にんしんSOSに寄せられる相談の中には、妊娠によって、死もよぎるほど、もうどうにもならない状況を訴えてくるものもあります。新生児遺棄や無介助分娩のリスクと隣り合わせであることもあります。
相談者さんの声を聞いて、何が問題になっていてどのように解決するのかを分解していくと、それは個人の責任というより社会構造の問題であることがわかります。
特に社会的リスクが高い「特定妊婦」と定義される人を通して世の中を見てみると、医療・教育・福祉の法律制度、同じ社会に生きる人たちに働きかける余地がまだまだあって、残念ながら終わりが見えない仕事です。
性教育や危機的妊娠に少しでもご関心があればホームページをご覧いただき、さらにはご支援くださると、とてもありがたいです。
そんな仕事の傍ら、ピッコラーレで運営している、居所のない妊産婦のための家で、利用者さんやスタッフにちょこちょこ施術をすることはあるかもしれません。体力的に、施術はそのくらいがちょうどよくなってきた気がしています。
そして、日々の支援を継続していくためには、担い手が存在し続けていなくてはなりません。支援を担うNPO法人の安定継続運営・資金調達、人を育てるチームビルディングが大切であることも仕事の中で学びました。
現場の支援についても勉強はまだまだ必要な身ですが、
同時に、俯瞰した目線で組織運営についても勉強したいと考えています。
10年前、この仕事を始めた時に保育園に入れていた三女は春から中学生。かつては、助産院、と言えなくて「ママは今日ジョナサン」と言っていました。家ではバブっているのに外では姉御キャラらしいとわかってきました。
妖精を産んでしまったかと思われた次女を人間界で育てていくのはなかなか難しいこともありましたが、気づけばだんだん人間らしくなり、それでも妖精風味を漂わせながら、春から高校生!
長女は高3大学受験となります。レジャーシート持参で登校、学校近くの公園にUberさん呼んでピクニックパーリーという無敵っぷり、追い込まれるのたまらねーとニヤニヤ勉強する変態っぷりは、健在です。
当初利用してくださった方も、もう高学年ですね。一緒に、この地域で子育てを頑張ってきたような気がします。
ここを卒業する決断をして、後任の方の調整や引き継ぎをして、各所にご挨拶も済ませて…
正直なところ、ホッとしています。
それは、自分の中で、やりきったと思えているからなのだろうし、
代わりのいない仕事って、実はプレッシャーがあったのかもしれないです。コロナの一時期以外は休まずに済みましたし、経営その他の理由で、どうにもならなくなってやめなくちゃいけない、という状況にならずに、自分でそろそろかなと幕を下ろせたことを幸せに思います。
後は、今ご予約いただいているお客さまに最後まで無事故でしっかりサービスする。
もうこちらを投稿するのはこれで最後と思い、長く書かせてもらいました。
ここでは、じゃあね~ですが、
現実の私は変わらず、日吉綱島あたりで自転車こいでます。
みなさん、お元気で!
この仕事、楽しかったよ!
今井紀子