掛け算の順番が違うと×という、興味深い記事を見つけたので考えてみる。


6×8=48は正解でも8×6=48は間違い…今の小学校、記述順にこだわり

問題:八人にペンをあげます。一人に六本づつあげるには、全部で何本いるでしょうか?
式:6×8
答:48本

で、問題の記事では8×6と書いて「ばつ」にされたという話だった。

順番が大事派の主張をまとめると、
・掛け算には、かける数、かけられる数というものがある。
・かける数には単位がなく、かけられる数には単位があるため、6本×8=48本で正解。だが、8人×6=48人で間違い。よって、この配点は正しい。
・数字の「概念」を教えるために、上記の主張を導入する必要がある。

僕も、知り合いの中学生に勉強を教えている身なので、ちょっと考えてみた。で、問題の記事が載っていた掲示板を見ていると、「大人」(と思われる)人たちですら、ちゃんと単位について理解していないようなので、大人の態度(笑)で批判してみたいと思う。

よくある間違いその1は、6(本)×8(人)という解釈。ばかばかしいのを承知であえて言うと、右の式は、完全に、完膚なまでに、疑いの余地なく、間違っている。多分、物理のテストなどで上のような解釈をすると、ばつをもらうこと請け合いである。これについて、例を挙げて説明しよう。

実は、「単位」というのは実はこれだけできちんと演算できるようになっているのだ。たとえば、圧力の単位を考えてみる。圧力の単位を、たとえばパスカルとすると、単位は(ニュートン)/(平方メートル)である。ご覧のとおり、「割り算」の形になっている。これに、たとえば圧力を受ける面の面積を平方メートル単位で計量した量を掛け算すると、(ニュートン)/(平方メートル)×(平方メートル)で(平方メートル)が約分されてニュートンが残る。

たとえば1Paの圧力が、5平方メートルの面にかかっているとするなら、面全体が受ける力の大きさは、

2Pa×5(平方メートル)=2(ニュートン/平方メートル)×5(平方メートル)=10(ニュートン)となる。

数字だけでなく、単位もきっちり約分されて「ニュートン」になっていることに気をつけてほしい。

狐につままれたような感じかもしれないが、そもそも圧力とは「単位面積あたりに加わる力の強さ」である。上記の説明では圧力の単位としてPa(パスカル)を用いた。この単位は、一平方メートルあたりに加わる力をニュートン単位で計測したものということである。もし、力を受ける面の広さが5平方メートルなら、この面積を圧力に掛け算することで、面全体が受ける力をニュートン単位で計算することが出来るわけだ。

で、長くなってしまったが、上記の6(本)×8(人)について考えてみよう。圧力と同様に数字だけでなく、単位の計算も行ってみると、この式の答えは、48(本・人)という答えになってしまう。これは、本数と人数の積で表される量である。こんな単位でえんぴつを数えたりはしないだろう。単位としては意味不明で、この量に意味を持たせることは出来ない。よって、計量的にはこの答えは間違っている。


また、かける数、かけられる数を用いた6(本)×8=48(本)についてだけど、これって8に単位はないんでしょうかねー、この8はどうやって解釈するのですか?数の概念を考えるなら、8にも実体がないとだめでしょう。また、ばかばかしいのを承知であえて言うと、単位がないってことはこの8は無次元数だと思うんだけど、人を数えるときの単位が無次元って、どういう数え方なんでしょうね。よって、これもおかしいです。

計算は正しいはずなのになんでこんなことになってしまうのか。実は、問題の掲示板では多くの人がこういう間違いを犯している。なんだかんだで、大人の側も単純な掛け算をきちんと理解できていないわけだ。これでは、教師を批判することも出来ないし、自分で教育することも出来ないと思う。ただ、まぁ、こんなこと普段考えないので、わかんなくて当たり前といえば当たり前。

で、多少回り道になってしまったが(ちゃんとした意味のある回り道である)、上記の掛け算の順番は大事原理主義者に対して反論してみようと思う。先ほど、掲示板に投稿を行っていた人たちを批判してみたが、実は面白い答えを出していた人がいる。それは、以下のようなものである。

6(本/人)×8(人)=48(本)

上の式の単位の計算を見ると、(人)が約分されて、(本)がちゃんと残っていることにお気づきだろう。で(本/人)という単位だけど、在庫管理などをやっている人ならおなじみだろう。これは、一人当たりの本数という意味となる。平方メートルあたりにかかる力、と同じ原理だと解釈してくれればいい。こう考えると、物理学の圧力、という単位も実は当たり前の概念であるということが、お分かりいただけるだろうか。


この回答は、僕的にはとても的を得ていると思う。単位もちゃんとしているし、意味が通らない部分もない、概念的にも矛盾はない。そして、掛け算の可換性という性質を自然と満たすように、ここには、かける数、かけられる数なんてものも存在しない。たとえば順番を逆にして、

8(人)×6(本/人)=48(本)

でも正解である。このように、掛け算は単位が正しければ、順番を逆にしても正解である。理解してほしいのは、ちゃんと式の意味づけを考慮しても、順番など関係ないということである。だからばつにするのは「間違っている」と断言できる。掛け算というのは、単純に数字上可換なだけでなく、意味的にもちゃんと可換性を保つものなのである。順番が間違っているからといってばつにしてしまうと、ここのところ誤解が生じる恐れはないだろうか?

で、何で順番がどうこうという話になったのかである。第一に、「かける数」とか「かけられる数」なんてものを導入してしまったからだ。なんか、エーテル臭がする。それは説明のために便宜的に導入されたものであって、掛け算の本質にはまったく、ぜんぜん、マシマロと同じぐらい関係ない。そして科学の世界には、「オッカムの剃刀」とよばれるよく切れる剃刀が存在する。要するに、本質に関係ない要素はそぎ落とせ、ということだ。

数学者も、余計なものは嫌いだし、物理学者も、余計なものは嫌いだ。

学校の先生も、余計なものは嫌いだ、とはっきり教育委員会の大ばか者にいってやるべきだと思う。まぁ、それ以前に彼らが理解できていないのだとすれば、「論外」だけれども。

それにね、算術と数学・物理学は別だと思う。算術を教える段階で単位どうこう言うべきではないと思うし。思うに、小学二年生程度では、掛け算を暗記することは出来ても、平均的な生徒はそれが意味するところや概念を、きちんと理解すること自体難しいんじゃないかな。あなた、小二年生のとき、上で議論したようなことが理解できるくらい頭良かったですか?ぼくは、分かってませんでしたよ、全然。

だから、まぁ、小学生低学年のうちは「けいさんのれんしゅう」をがんばってやってもらう。「ずけいをみておぼえる」ことを楽しくやってもらう、程度で良いんではないでしょうか?ゆとり教育やれっていってるわけではないですけどね。完璧を求めるのはどうかと思います。

上の掛け算の順番についての件もそうですが、どうも教育を行っている人たちは「完璧」を押し付けすぎているような気がします。分からなくて当たり前、でも教えないと後で困るので、最低限の部分は覚えてもらう、ということにするべきなのではないかと思います。

だって、大人だってちゃんと理解できてないわけですから。

あなた、自分がちゃんと理解できてないことを、子供に押し付けられますか?