最近は競争を好む人が減っていると言われています。
何事も「横並び」が良いというのは良くない徴候です。
そもそも横並びというのは、日本だけの現象できわめて不自然な状況です。
世界全体を見渡してみれば、日本は突出して豊かな国であり、その時点で横並びではないです。
その横並びでない国だけ取り出して、その中だけを平等にするということの不自然さを認識する必要があります。
本当に横並びがよいのであれば、世界標準で横並びにすべきだからです。
「高い水準で日本だけ横並びにしたい」
のであれば、逆に競争心を失った時点で世界的に見て高い水準(教育水準、生活水準)を維持するのが難しいでしょう。
横並びでいたいという思いが、高い水準で横並びするための財源を獲得するのを邪魔するわけです。
日本は実はものすごく進んだ社会であり、階級社会と言われるイギリスや、職業学校と大学が截然と分かれているドイツなどに比べてはるかに機会の平等を実現できていると思います。
(高校受験で失敗しても、大学受験で取り戻せます。イギリスやドイツはそうではありません。)
しかし結果まで平等にするのはよくありません。
競争があるからこそ人類は発展してきたし、現在も発展し続けています。
競争に参加しないということは、「発展するつもりもなく成功するつもりもないので好きにしてください」と宣言しているのに等しいのです。
非常に無防備かつ弱々しい状態であり、変化の激しい現代を生き残っていくには不向きな態度です。
そう。残念ながら「良い」、「悪い」以前に現代を生きていくのに「向いていない」考え方なのです。
「成功学」では、競争を楽しむ心を重視します。
「競争」自体を前向きにとらえて、その中で工夫していくことが成功の秘訣だからです。
社会主義ですら競争を防止できないのは、あまたの社会主義国の失敗例を見ても明らかです。
中国は社会主義をかかげながら、日本など足下にも及ばないほどの競争社会を築いています。
競争のおそろしいところは、「競争する/競争しない」という態度の間に本質的に優劣がないのにもかかわらず、現実においてものすごい「有利/不利」が生じるところです。
競争しないつもりの人は競争するつもりの人から見れば単なるカモであり、搾取される対象に堕してしまいます。
同じゲームをやっているのに、
ゲームに参加していることにそれに気づいていないか、
参加していることは知っていても、やる気がないか、
参加していることは知っていても、ルールに疎い
といったまさに負けるべくして負ける状況に陥っているのです。
しかし、このゲームの最も恐ろしいところは、降りたくても降りられないことでしょう。
あるいは降りたつもりでも実は降り切れていないということが多いのです。
降りられないのであれば、戦うしかないのですが、その現実を認められない人が多いのです。
敗れることを恐れているのでしょうか?
戦って敗れた方が何もしないで敗れるよりはるかに良く、自らの成長にもつながり捲土重来も可能であるというポジティブな側面に手遅れにならないうちに目を向けるべきでしょう。
競争というと勘違いする人がいますが、何もぎすぎすしながらやる必要はないのです。
ビジネスにおける競争は、むしろスポーツのすがすがしい感覚に近いです。
多数の野心に溢れたプレーヤーが知力を尽くして競い合うわけであり、人類の発展にも貢献でき、勝ったり負けたりしてもやりきったという満足感が残ります。
決してどろどろの争いをしろと言っているわけではないのです。
なぜなら行きすぎたドライさや、ドロドロした感情は他人をも傷つけますが、自らをも傷つけかねない両刃の剣であり、長期的に見てあまり良くない特性だからです。
そのため成功するマインドセットの持ち主は、競争に淫することがなく、自らの軸を持って考えるため、他者から見ても模範となるような行動をとります。
金がすべてといった俗悪な態度から遠いことは言うまでもありません。
幸福になるためにの一手段としてお金を稼ぐことはあっても、お金に使われることがないのです。
お金によって品性を落としたりせず、むしろ穏やかな心の形成にお金を積極的に利用する、それこそが成功するマインドセットを持つ人のとる態度です。