きもの文化検定「祇園山笠」レクチャー / 2017年夏 博多の旅 祇園山笠 その1

のつづき

 

「集団山見せ」は、7月13日15時半スタート。一番〜七番までの舁き山笠が、博多区呉服町交差点から中央区天神にある福岡市役所まで、明治通りを走ります。追い山笠の予行練習のようなものです。八番の走る飾り山笠は背が高すぎて電線にひっかかるので、この日は走りません。

 

ちなみに私たちが山見せを観覧していた場所は中洲川端町の交差点付近です。

 

お祭りだけど、真っ昼間なので、竺仙の絹紅梅を着物として着ています。絹紅梅は本来は浴衣として着るものですが、生地が薄くて涼しいので下に長襦袢を着て着物として着ても麻と同じくらい快適です。

 

「山見せは、博多の山笠が福岡へ入る行事」で、この日はタイムは競わず、台上がりは地元の名士がつとめ、福岡市の職員が勢い水をかけます。これも加勢町。

 

一番山笠の台上がりは、左は福岡市市長の高島宗一郎さん、右は麻生太郎さん。

 

ところで、博多と福岡は違うのか…?

今回、ようやくわかったのですが、違うのです。

 

博多は、那珂川の東側。中世においては博多商人の合議制によって治められた日本で最初の自治都市、「流」という集合体によって形成された町。この流が行なっているのが、博多祇園山笠です。

 

これは那珂川の上の橋からの自撮り
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福岡は那珂川の西側。関ヶ原の戦い後、黒田長政が筑前を治めることになり、黒田の居城があった備前福岡から名をとって福岡城を築いたことから福岡という城下町となった武家の町。

 

現在は福岡市となっていますが、博多市になるか福岡市になるか、市制施行翌年の1890年(明治23年)の市議選で1票差で決議され、またこれにはトイレに軟禁されたとかの逸話もあり、地元の方々には様々な想いとこだわりがあることのようです。

 

で、山笠は本来は博多のものだけれど、集団山見せに限っては観光客のために那珂川を超えて福岡へ入るのだそう。

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土居流は水法被も久留米絣柄。旧町名十ヶ町で構成されているので十数種類の絣があるとのこと。

 

この日の私は絶不調で…、午前中はホテルで死体のようになっていました…。午後も危うい状況だったのです@@;;

きもの文化検定でご一緒させていただきた皆さまのおかげでなんとか。

 

川端ぜんざいでいただいた、かき氷で生き返った♡

 

次は、櫛田神社参拝です。博多祇園山笠レポつづきます^^/

 

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