イササカ拍子抜けのように終わった今回のテポドン2騒ぎ。打ち上げ→秋田通過→太平洋に到達、以降のあれこれです。

太平洋に展開していた海上自衛隊のイージス艦レーダーの追尾限界をテポドンが超えた頃、私は出先の各記者にその旨を電話連絡。取材は通過後の対策本部や街の声に切り替わりました。

その後のニュースでは普段から親しくしている県の広報担当者らが全国版に登場。あの鈴香以来となる「全国テビュー」でした。
県庁に設置されていた危機対策本部では、各社が次々に撤収を開始。我社も引き上げました。カメラマンも撤収。最大8日までと覚悟して、ホテルを押さえていましたが、こちらもキャンセルしました。

そして今日。相変わらず県庁の面々は全国ニュースに登場しつづけ、私は応援に来てもらった各原隊の長にお礼の電話をしました。昼には春闘の一次回答があり、組合はゼロ回答を拒否して、時間外拒否のストを決定しました。

夜7時過ぎに自衛隊からFAXが入りました。「PAC3の撤収の取材を明日朝5時から受け付ける」とのこと。前述した通り組合のストで明朝5時の取材が必要なら私が対応しなければなりません。
恐る恐る写真部に電話。FAXの内容を伝えると「ミサイルも落ちなかったし、組合がストしてますからねえ。取材は結構です」とのありがたい判断をいただきました。