【MVP選出ネタ】何かをやりたくない時、どうやって自分を奮い立たせる? ブログネタ:【MVP選出ネタ】何かをやりたくない時、どうやって自分を奮い立たせる? 参加中

1年の最終戦で膝の靭帯を切ってしまった私は、プレイヤーをやりながらマネージャーもやって、春のオープン戦では見よう見真似で審判をしたりして卒業しました。関東学連に加盟して3年が経過していましたが、公式審判は留年した年に1年間だけ登録いただいたN本さんと2つ上のK山さんだけで、当然のように私は卒業と同時に審判登録されるはずでした。

ところが私の初任地は福岡。一頃の一角獣のように審判の交通費を全額OB会が負担してくれるような財力は雉達OB会にはありません。当時の現役のHCをしていた同期のSは監督会議で審判の数が少ないことを指摘され、「M(私の本名)が福岡で審判してます」という言い訳を私が戻るまで主張し続けたそうです。


そんなわけで、私の審判人生は福岡から始まったわけですが、当時九州学連はまだチーム数も少なく、有料会場で行う試合は年末のボウルゲームのみでした。当然会場は大学のグランドが多く、久留米大、九州大でも試合がほとんどでした。社会人チームも福岡大と西南大OBが中心となったチームをはじめ、アパレル系のベアーズ、九州ヴァンガーズと3チームありました。このアパレル系のチームというのがくせものでして、土日が稼ぎ時なわけです。でも試合はしたい、そんなチーム事情からキックオフを朝の8時や7時半にして、10時までにはお店に出られるような日程をくんでいるのでした。


当時の私は車を持っておらず、主にコーチをしていた福岡大の学生にグランドまで送迎をしてもらっていたのですが、そんな秋のある日が社会人の試合と学生の試合が組まれた日程になっていました。もちろん第1試合のキックオフは午前8時です。そしてその日は、社会人の試合の後に学生のリーグ戦が3試合組まれているという超過密日程でした。朝の7時前に学生に迎えに来てもらい、会場である福岡歯科大のグランドに向かいました。社会人で仕事をすぐ後に控えているのですから、試合時間は20分のぶっこみ、順調に9時半にはゲームを終え、アパレル系のチームの皆さんは職場に散っていきました。


その頃の九州学生の試合の審判は私が中心でOBもしくはコーチやマネージャー(男)、社会人チームの人、試合のない学生で構成していました。朝8時から走っていたわけですから、後1試合笛を吹けばその日はお役ごめんと思っていた私の考えが浅はかだったのを、この後思い知らされました。そう、結局残り3試合とも笛を吹くことになったのです。後にも先にも1日で4試合審判をしたのはその日だけでした。最後の試合が終わる頃には秋の早い日暮れがせまっており、きれいな夕焼けだったのを覚えています。


翌日の朝、当然会社に出なくてはなりません。それでも身体はくたくた、頭はぼーっとして布団からなかなか出られませんでした。それを奮い立たせたものは、残り少ない有給休暇(新人には12日しか与えられていません)が、年度末までに目いっぱい使う予定にしていたためでした。当時は遠距離恋愛でしたので、手帳に次に帰るまでのカウントダウンを書いて、一日毎にそれに×印をつけるのを楽しみにしていたくらいでしたから・・・・