「ケイコ 目を澄ませて」


主演の岸井ゆきのが、圧倒的存在感で主人公ケイコを演じ切る。生半可な取り組みでは、あのリアルさは出せないだろう。その演技を見るだけでも価値がある。


ケイコは、生まれつきの聾者だ。

ホテルの清掃の仕事をしながら、場末の古びた(日本で一番古いらしい)ボクシングジムに毎日通っている。

ジムのオーナーは、父親からジムの経営を引き継ぎ、以来ジムで選手を育てるのを生き甲斐にしてきたが、よる歳並みには勝てず、ジムを畳もうかと思っている。しかし、彼の気掛かりは、ケイコだ。聾者でありながら、天性の素質と、根気強い努力でプロテストにも合格したケイコは、他のジムでは練習もさせてもらえない。聾者にとって、ボクシングは危険過ぎる競技だからだ。

ケイコ自身も迷っている。いつまでボクシングを続けるのか。続ける意味はどこにあるのか。


しかし、彼女自身気づいているかは分からないが、ボクシングをしている時のケイコは、輝いている。「痛いのは嫌いです」と筆談でコーチに訴えていても、いざグローブをはめてミット打ちを始めれば、彼女の瞳はいきいきと輝いていく。軽快なミット打ちの音が、彼女の鼓動とシンクロする時、確実に彼女の生が光を放つ。その光は、周りの人の生にも、輝きを与える。


映画は、そんなケイコと周囲の人たちの営みを、淡々と描き出す。特にドラマティックなことは何も起こらない。時々挟まれる街の風景の描写、佇むケイコをロングショットで捉える描写は、ケイコのストーリーが観ている私たちの世界と地続きだと感じさせる。


結局、身体を壊し、倒れたオーナーは、ジムの閉鎖を余儀なくされる。

ケイコは、ジムに所属する最後の試合で、苦い敗北を期す。


しかし、ケイコのひたむきな生は、敗北でさえも輝きに変える。そして、その輝きは、それを見る周囲の人たちの、さらにはそれを観る私たちの生も照らしていく。

情感を湛えた幕切れが、そんな深い余韻を残す。