ヤドリギ金子のブログ
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ガザは甦るー 岡 真理ー(「思想」)

 ガザ、それは、ソムードの大地だ。パレスチナ人のソムードが凝縮した土地だ。

 アラビア語には「抵抗」を意味する言葉が二つある。ひとつは「ムカーワマ」。銃をもって闘うレジスタンスの抵抗を意味する。「ハマース」は「イスラーム抵抗運動」のアラビア語の頭文字をつなげた略称だが、このときの「抵抗」がそれにあたる。もうひとつが「ソムード」だ。打たれても打たれても、何度でも立ち上がり、何があろうと挫けずにがんばる、という形の抵抗のことだ。英語のresilience(何度でも甦る力)に相当する。

 封鎖されるはるか以前から、「ガザにはハヤートがない」がガザの人々の口癖だった。「ハヤート」は英語のlife(生活、人生、生命、生)にあたる。占領下のガザで生きること、それは、到底人間の生とは呼べないという意味だ。やがてガザは封鎖され、世界最大の野外監獄となり―ガザの人々は封鎖下で生きることを「生きながらの死」と呼んだ―、繰り返し殺戮と破壊に見舞われ、昨年の一〇月七日以降は絶滅収容所と化した。日々現地から届く声は、今、ガザで、私たちがこれまでホロコースト映画の数々で目にしてきた、ガス殺以外の、非人間化の暴力のもろもろが顕現していることを証言している(一〇月七日はアウシュヴィッツでゾンダーコマンドが蜂起した日でもある。ナチスの絶滅収容所においても、被収容者たちは幾度となく、これが人間かという生を峻拒して、むしろ戦って殺されることを選んだ)。

 四〇〇〇年の歴史を有し、ギリシア・ローマ、ビザンツ、アラブ・イスラームという、人類の文明の重層的記憶を宿して歴史に燦たるガザが、一九四八年のナクバ、すなわちパレスチナの民族浄化によって、巨大な難民キャンプと化して以来、人間から人間の生を剥奪する暴力に見舞われ続けるのは、ガザのパレスチナ人が「パレスチナ人であること」を、何があっても決して手放さないからだ。踏みにじられるたびに、粉々に打ち砕かれたと思われるたびに、さらに強くなって甦るからだ。「ガザ」とは、ガザだけではない、異邦にある離散パレスチナ人をも含めた、パレスチナの、パレスチナ人の、ソムードの象徴である。二〇一四年のガザ五一日間戦争におけるパレスチナ人の抵抗をテーマに、アンマン在住のパレスチナ難民二世の画家、イマード・アブー・シュタイヤが描いたのは、銃を手に闘う解放戦士の姿ではなく、瓦礫の中から立ち上がり力強く一歩を踏み出す、伝統衣装に身を包んだ、ソムードの化身である若いパレスチナ人女性の姿だった。

 ガザに対する攻撃が、繰り返されるごと指数関数的に暴力性を増すのも、ガザのソムードゆえだ。今やその暴力は紛うことなきジェノサイドとなり、イスラエルはガザの人間たちのソムードが根を張るその歴史的記憶―紀元前二〇〇〇年に遡る諸文明の記憶、そしてナクバに始まるイスラエルによる数知れぬ暴力の記憶―もろともガザを破壊している。

 「老人は死に絶え、若者は忘れる」―シオニズムの指導者でイスラエルの初代首相となったベン=グリオンの言葉だ。イスラエルは一九四八年、パレスチナに暮らすパレスチナ人の四分の三に相当する七五万人以上を民族浄化することによって建国された。ガザの住民の七割はこの民族浄化で故郷を追われた難民たちとその子孫である。ナクバ以前、パレスチナ人が故郷の地でいかに生を紡いできたか、ナクバにおいて何が起きたか(集団虐殺、レイプ、強制追放……)、いかにして故郷を追われ、難民となったか……一世は子に語り、子は孫に語り、そして若者は忘れなかった。

 なぜ忘れたりできよう。ガザの二〇代の若者たちは、第二次インティファーダのさなか、占領軍の暴力の只中に生まれ、物心ついたときから狭いガザに閉じ込められて、繰り返される攻撃で家を破壊され、街を破壊され、友が、肉親が殺されるさまを―イスラエルの戦争犯罪の数々を、人道に対する罪を、そして、国際社会が自分たちを関心の埒外に棄ておいている事実を―その幼い目と心に刻んできたのだ。ナクバは、祖父母や曾祖父、曾祖母が経験した遠い昔の出来事ではなく、現在にまで続く、彼ら自身が生きる―あるいは死ぬ―ことを強いられている不正義の現実そのものだ。傷つく同胞を数多く目にしてきたからこそ、医療従事者を目指す者たちがいる。民族が被るこの不正を世界に伝えんがためにジャーナリストとなる者たちもいる。同様に、自ら銃をもって占領と闘うことを選んだ若者たちがいて何の不思議があろう。それらすべてがソムードの実践だ。

 パレスチナ人には権利がある。難民が故郷に還る権利。封鎖や占領から解放され、故郷で自由に生きる権利。自分たちの国をもつ権利。自分のことを、自分たちのことを、自ら決定する権利。つまりは、人間らしく尊厳をもって、自由に、平等に生きる権利のことだ。この人間として不可譲の権利を、不可譲のものであるがゆえにパレスチナ人がいかなる目に遭おうとも決して手放そうとはしないために―それは、政治的存在であることをやめない、人間として生きることをやめないということだ―、彼らを、ただの生命、剥き出しの生に還元しようとする暴力は際限なく苛烈さを増していく。その暴力に抗して、人間であることを手放さない、何があっても人間の側に踏みとどまるということがパレスチナ人のソムードとなる。

 人間が人間であることの証、それは、他者に共感する力のことだ。生き地獄に等しい封鎖下にあっても、ガザの人々は東日本大震災に際し義援金を募り、子どもたちは毎年三月一一日、被災者を想って集い、凧揚げをした。文化活動もやめなかった。文化センターに通い、演劇や音楽や映画やダンスやアートにいそしみ、外国語作品をアラビア語に翻訳し出版し、それを読み、語らった。「文化」が抵抗の力の源であることを知っていたからだ。だから、イスラエルは二〇一八年、ガザの文化活動の拠点であったサイード・ミスハル文化センターをミサイルで破壊し、二〇二一年には翻訳・出版活動の拠点であり図書館としても親しまれていた出版社を同様に破壊したのだった。

 二月から三月にかけてガザに入った在米のパレスチナ人作家、スーザン・アブルハワーがそこで目にしたのは、意図的かつ人為的に創り出された壊滅的飢餓のなかで、住民たちがロバや馬の飼料を食べ、その次は骨と皮ばかりにせ細ったそれらの動物を食べ、今は、イスラエル兵に射殺され、路上に放置された遺体を漁っていた犬や猫を食べて飢えをしのぐ姿だった。これはホロコーストだとアブルハワーは断じる。

 今、何もかも瓦礫にして、ガザの人々を飢えた獣に還元しようとする暴力の只中にあってなお、人間であり続けようとする者たちの物語が、ガザから日々送られてくる。路上で花束を売る男性は、ブーケを買うお金のない者に、一輪の花をプレゼントしている。空っぽの胃袋が花で満たされるわけではない。だが、人間性の破壊こそが目論まれているこの暴力のなかで、自分よりさらに悲惨な境遇にある者に贈られる一輪の花は、パンでは満たすことのできない大切なものを満たす。国連の食糧配給の引換券をもらうために何時間も列に並んだ末に、避難民の女性が手にしたのは「卵二個」だった。家族全員どころか、自分ひとりの腹を満たすにも足りない。だが女性は、帰路、出会った年老いた伯母に一個をわたし、残りを家族全員で分け合ったという。一方、イスラエルの世論調査によれば、ユダヤ系市民の九割以上が、ガザに対する現在の攻撃に賛同し、うち四割がこれを“insufficient”(手ぬるい)と考えているという。「人間性の喪失」こそ、人間にとって真の敗北にほかならないとすれば、イスラエルはたとえハマースに軍事的な勝利を収めたとしても、人間の歴史にすでに、その敗北を深く刻んでいる。

 やがて世界はこの出来事を、「パレスチナ人のホロコースト」の名で記憶するだろう。そして語るだろう。ガザの、パレスチナ人の、無数の物語を。人間であろうとするがゆえに、人間を非人間化する究極の暴力に見舞われて、それでもなお人間であることを手放すまいと抵抗を続けた、それぞれに名をもち、顔をもち、声をもった一人ひとりの人間の物語を。人間、それでもなお。ガザは甦る。

春宵(改稿)

深くうずくまれる階段で

酔いにまかせ

ふらふらから

背筋をピンと張り

花降る窓にまかれ

はるか彼方、

不可避のように装う惨劇を知らせる

号外売りの声を

そんな、まぼろしのような声を

聞こうとする

ピアノの壁面、

黒くひかる断崖に

伴侶の顔が映っている

かすかにほほえんで

私をみつめている

ミラバッチの革命歌を聞き

深く流れる静かな水にならなければならないと

心地よくうなだれ

ソファーに身を沈めるだけ沈め

吐息にともされ

ほのめかすだけの言葉は

無能を確認するため

呆けたように

獰猛な火がほしい、

この世の崩壊を見たい、

人みな死ね、・・・

などと

鶯鳴く夕刻に

言おうとしている

コロニー、とは言うまい

 

森に入り込んで

虫たちは這いずる

闇の底を目と手でまさぐり

疲れて森を恐れ

真昼に仮眠して

山毛欅の息づかいで目覚め

腐葉土の香りに顔をうずめ

腹ばいになり

あるじが留守の廃屋に

胎児のようにまるくかがんだ

深夜、あの詩人のように

激しくざわめく闇と戯れるため

早足で樹々に語りかけながらスタスタ森中さまよい、

闇のなかのいのちの深閑に撃たれ、

月や星のやすらぐ泉に憩った

(ぎらつく日の光は嫌いだった)

去るものがことごとく去り

厳しい相貌の残像だけゆらいでいる

虫たちが右往左往必死に蠢き

素敵にふるまうのを

詩人が立ち去った不在の椅子を見つめるように

腹ばいになり見ていた

明け方近くなって

驟雨がさらさらと

眼の前を通り過ぎて行った

萎れかかったまぶたのように

ひっそり扉を閉じた

※     (以下はフィルムの風景からだ)

貴様は

死んだ小鳥を抱きかかえ

日傘さす狂女のように泣けるか

木にのぼり小鳥らを弔えるか

ああ・・・「赤とんぼ」の歌がはるか南方の異国から漂ってくる

柱時計がガンガン

響いて

耳元に迫ってくる

 

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