谷村新司さんにこの場をお借りして趙容弼氏(チョーヨンピル)フアンとして感謝致します。
この程は大変ありがとうございました。来月も私はコンサートの為に訪韓します。
また東日本大地震の被災した皆様の復興の救済の為に、日本のフアンの方々に趙容弼氏(チョーヨンピル)の日本でのコンサート活動復帰実現を強く希望したいものです。関係者スタッフの皆様どうぞよろしくお願いいたします。またこのブログを見てコンサートを見たい人がいらっしゃれば、ご案内いたします。お気軽にメールください。お待ちしております。

2011年4月16日(土)PM8:30~より20年ぶりのTV出演した韓国国民的歌手趙容弼氏(チョーヨンピル)が、谷村新司さんの番組ショータイムで東日本大地震の被災した皆様のお見舞いとお悔やみを告げたところからのスタート。収録はいつしたのかわからないが、TVで見るのは久しぶり。
内容はまさにチングヨ(友よ)。デビュー前からの話しと日本では演歌歌手というイメージで知られているが、韓国ではロックからバラードまで様々なジャンルをこなす『国民的歌手(クンミン・ガス)』ジャンルはロック歌手(シンガーソングライター)として有名。最近では『永遠のお兄さん』などの愛称もある。72年グループ「25時」で活動中。もともとあった曲「釜山港へ帰れ」を趙容弼氏(チョーヨンピル)知り合いにこの歌を歌わないかと言われ、4ビートの曲原曲じゃだめ。と言ってR&B系が好きだった趙容弼氏(チョーヨンピル)が4ビートの曲を8ビートのリズム感がある曲にアレンジしデビュー前クラブで発表。74年「趙榕弼と影」結成/「愛の子守歌」をタイトルにした最初のアルバム発表。76年「釜山港へ帰れ」を趙容弼氏(チョーヨンピル)が大ヒットさせました。作曲:黄善友作詞:三佳令二・黄善友。
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彼は若い頃からザ・ビートルズやオーティス・レディングやミリー・ジャクソンといったソウルシンガーを好んで聴いていたそうで、そこから彼はパンソリの発声法を練習したそうです。そのころ、デビュー趙容弼氏(チョーヨンピル)や羅勲児氏(ナフナ)らの歌うトロットの日本進出をもたらし、第一次日本韓流ブームともいえる元祖ヨン様だ。近年の韓流ブームほどは爆発的でないにせよ、第一次日本韓流ブームともいえる現象を引き起こした、国民的歌手の名前が日本にも浸透するようになった。また女性歌手も金趙容弼氏(チョーヨンピル)続いて金蓮子氏(キム・ヨンジャ)や1979年12月デビュー桂銀淑氏(ケー・ウンスク )などの韓国人歌手も日本に進出定着する礎となった。韓国歌謡界は70年代後半には学生歌手人口が増加し様々な大学生歌手・バンドが台頭してきました。そんな時代の中で、まさに突然変異というべき才能を発揮し人気を得たのが、77年に登場した金三兄弟=サヌリムです。恐らく大韓民国ロック史上最も独創的な詩情と熱意を表出させたバンドだと言われています。80年代には趙容弼氏(チョーヨンピル)も復帰し、TV出演し健全歌謡が賞揚されます。

80年3月 第 1集「窓の外の女」発表。「趙榕弼と偉大な誕生」結成。
80年12月第 2集「ろうそくの明り」発表。
81年7月 第 3集「ミウォミウォミウォ(憎い憎い憎い)発表。
82年5月 第 4集「探せない鶯」発表。
83年6月 第 5集「僕は君が好き」発表/NHKホール実況アルバム発売。
84年2月 第 6集「涙のパーティー」発表。
85年4月 第 7集「未知の世界」発表。
85年10月第 8集「虚空」発表。
87年4月 第 9集「君の足に留まる所に」発表。
88年4月 第10集Part1「ソウルソウルソウル」発表。
88年5月 第10集Part2「Q」発表。
90年1月 第11集「90Vol-1思い出の中の再会」発表。
91年4月 第13集「夢」発表。
92年10月第14集「悲しいベアトリーチェ」発表。
94年4月 第15集「残された者の孤独」発表。
97年5月 第16集「風の歌」発表。
98年5月 第17集アルバム「Ambition」発表。
03年9月 第18集アルバム「Over the rainbow」発表。
現在に至る。また韓国歌謡界では、丁秀羅の「ああ、大韓民国」がヒットします。88年のソウルオリンピックに向けて、次々とアルバムからヒット曲がでてMBC放送の歌謡番組にも多数出演韓国歌謡界に凄まじい動きが起します。1987年4月第9集アルバム発表。1988年5月第10集アルバムpart1発表。モナリザ、ソウルソウルソウルが、ソウルオリンピック準公式ソングに認定。オープニングセレモニーで会場をもりあげました。以降コンサート活動に専念している。
代表曲
1976年돌아와요 부산항에 ( トラワヨ プサンハンエ ~「釜山港へ帰れ」)
1979年『窓の外の女』、1980年『祝福』、1981年『赤とんぼ』、1982年『探せない朝鮮鶯』、1983年『友よ』、1984年『涙のパーティー』、1985年『旅行に旅立ちます』、1985年『虚空』、『キリマンジャロの豹』、1988年『ソウル・ソウル・ソウル』『モナリザ』、1989年『Q』、1990年『記憶の中の再会』、1991年『夢』、1994年『残された自の孤独』、1997年『懐かしさの火花』、1998年『友達の朝』、2003年『太陽の目』、『珍』
窓の外の女(1987年紅白歌合戦にて歌唱) 想いで迷子、想いで迷子2─悲しみだけで眠れるように─ 、野郎たちの挽歌(堀内孝雄とのデュエット、テレビ朝日系・さすらい刑事旅情編 第1シリーズ 主題歌)夢よ舟、合鍵、愛のかたち、孤独なランナー、

72年からの今までのお話しです。趙容弼氏(チョーヨンピル)は、2005年念願だった、北朝鮮初のソロコンサートへ 韓国の国民的歌手として北韓へ行きソロコンサートを開催し大成功した。北朝鮮でも「最も人気のある南の歌手」とされる。90年代以降、北朝鮮から度々誘いがあったが、南北関係の悪化などで実現しなかった。6月の南北閣僚級会談再開など融和ムードに後押しされ、北朝鮮側と最終合意して開催大成功した。朝鮮の朝鮮中央テレビが同時生中継した。
トラック40台分の機材とスタッフ160人が動員された映像を1部放送した。ショーも終りになってくると若い人も年配者も年齢に関係なく、感極まって目に涙を浮かべている人達の顔がアップで映る。彼等に取っては最高の感情表現なのだろう。これには感動させられた。そして趙容弼氏(チョーヨンピル)と言う国民的歌手と言われる人の偉大さを改めて思い知らされた。

国民的歌手の趙容弼氏(チョーヨンピル)が5月から年末にかけて全国ツアーを行う。
「2011チョー・ヨンピル&偉大なる誕生全国ツアーコンサート~風の歌」と題し
5月7日のソウル・オリンピック公園体操競技場での公演を皮切りに、
6月4日に京畿道・議政府総合運動場、
6月18日に慶尚南道・昌原コンベンションセンター、
9月24日に慶尚北道・慶州総合運動場、
10月1日に京畿道・城南総合運動場、1
1月19日に京畿道・KINTEX、11月26日に釜山市・BEXCO、
12月3日に大邱市・EXCOで開催される。

最近の趙容弼氏(チョーヨンピル)活動状況
は2010年5月にソウルのオリンピックメーンスタジアムで、小児がん患者を救うための大規模チャリティー公演「ラブ・イン・ラブ」を行い、5万人の観客を動員した。

2010年11月には新世界百貨店は、開店80周年を記念して『チョヨンピルの単独コンサート'を同年3日の夕方7時、蚕室(チャムシル)オリンピック体操競技場で開く。合計1万人のデパートの顧客を招待した。新世界百貨店は、招待するお客様を選定するため、同年11月1日からデパートを訪れた顧客を対象に応募のイベントを行った。すると、応募初日の1日、すでに1万人を超えた。 3日には一日の売り上げが300億ウォンを超え、売上高新記録を樹立した。

通常、新世界百貨店の一日の売上高は100億ウォン水準。セールがある週末には200億ウォン台に上ることもありますが、300億ウォンは、記録的な数値だ。チョヨンピルが、企業が主催するコンサートに出演している場合は、非常に異例的だ。
                           
                              編集、構成byワンワン中隊長