猪又孝「ラップのことば2」 pt.2 | Rotten Apple

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-概要-
斬新な切り口とスキルフルなフロウ、軽妙な語り口と心揺さぶるリリシズム。ラップの「歌詞」にフォーカスし、作詞のルール や手法の変化、曲に込めた想いなど、日本語ラップのつくり方を紐解く日本語ラップ読本第二弾。日本語ラップに革新を起こす言葉のデザイナーたちによる歌詞にまつわるロング・インタヴュー15編。
参加アーティスト(五十音順):AKLO、泉まくら、VERBAL(m-flo)、OMSB(SIMI LAB)、GAKU-MC、KREVA、KEN THE 390、SALU、SHINGO☆西成、SKY-HI(日高光啓 from AAA)、環ROY、daoko、NORIKIYO、ポチョムキン(餓鬼レンジャー)、MACCHO(OZROSAURUS)


pt.2です。本作も若手からベテランまで男女問わず幅広く選ばれていますが、やはりdaokoやSKY-HIのような若手はどこかまだ価値観が固まっていないように思えるところがありました。当たり前ですがベテラン勢はある程度ラップという表現方法を突き詰めた上での見解があるのでおもしろいですね。
ベテラン勢に共通していたのは韻を踏むおもしろさや言葉数が多いことの優位性はとっくに通過して、ラップというしがらみから脱却しようと試行錯誤しているところですね。前作でのMUMMY-Dの位置までみんな達しているんだなと驚かされました。
個人的にはILL-BOSTINOや降神の2人、MOROHAのAFROやLowPassのGIVVNとかがいたらおもしろかったかなと思ったので次作に期待しようと思います。


■環ROY


最近では蓮沼執太フィルART-SCHOOLの曲にフィーチャリングするなどシーン外の活動も増えてきている環ROY。その影響からかラップの歌詞ではなく歌の歌詞としてどうあるべきかを突き詰めているようです。

"たとえば「little thing」って曲は、パッと見は恋愛の歌なんですが、実際は“原発事故以降、世界観が変わってしまったね。有限を自覚して素直に楽しくいきたいね”ってのが主題なんです。でも恋愛の歌として解釈されても全然よくて、受け手に委ねたい。それぞれが好きなように解釈してくれる方がいい。"開かれている詞"っていうのはそういうものだと思えてきたんです。だけど委ねすぎると、全然わけのわからない抽象詩になってしまう。なので、受け手が自由に解釈できる抽象と、骨組みとなる具象を、バランスよく組み込む感じがいいのかなーって。そういう"適切な余白"を操作することが技術なのかなと思うようになってきた。"

"最近は、ヒップホップをポピュラー・ミュージックの一部って考え始めちゃってるんです。ポップスもロックもヒップホップも、大体ポピュラー・ミュージックだなって。
そういう観点で今は音楽を解釈するようになってきていて。そういうスケールで考えると、そもそも日本語って、文字数をどんどん減らして削ぎ落としていくことが洗練に繋がる言語だとわかってくる……そういう面ではラップとの食い合わせがあまりよくない(笑)。そういう葛藤とかはすでにしてますね。
"


そしてさらにはラップは自分で書かなくていいという前例を作りたいという発言はシーンを出て活動している彼だからこそ出てきたんだと思います。

"全部人に書いてもらって、アルバムを作りたいとも思う。これからラップという表現に向かう人の選択肢を増やすことになると思うし。
その前例があることで、「ラッパーって絶対自分で歌詞を書かなきゃいけないんだ」みたいな思い込みがなくなるじゃないですか。この先、誰かがラップしようと思ったとき、選択肢が多い方が楽しいでしょ。そうやって解釈の定義を広げていけたらいいなあって思いますね。
"



■NORIKIYO


NORIKIYOもAKLOと同様に実体験をラップするのではなく、よりリリカルな表現を突き詰めるべきだと言っていますね。個人的にもその方が好きなので良い流れだと思います。ANARCHYB.I.G. JOEのような存在は日本にはたくさんいらないのかなと。

"たとえばドラッグ・ディールの話とかはそれを今してるヤツがすればいいじゃんって。
それを上手く、なるべく多くの人がわかるような言い方で、比喩を織り交ぜたりしてラップすることっていくらでもできると思うし、そこがラッパーの力量なんじゃないかって。
そこを競うべきだし、そうじゃないんだったら人を殺して服役した人が出所後に書いたリリックが一番ヤバいみたいになって「じゃあラップやるには犯罪歴がないとダメなのか?」って話になっちゃう。
どっちが良い悪いじゃなくて、それぞれのベクトルで新しい表現を生み出せばいいじゃんって。ただ、俺が今ハマってるのは、よりリリカルな表現なんです。
"



■GAKU-MC


EAST ENDの一員としてRhymesterらとジャパニーズヒップホップシーン初期から活動を続けているGAKU-MC。日本語でラップするための教科書がなかった時代の話は彼らにしか出来ませんね。

"フリースタイルを最初にキン(メローイエロー)かやり出したときとか「すげえな」ってみんなでそれを練習し出したし。「韻は踏まなきゃいけねぇんだ」「そうか、韻って何だ?」みたいな。
たぶんね、韻に気がつくまでにすげえ年月がかかってると思うんですよ。僕らも本当にダサかったし、ライムスターもひどかったし。
みんなかっこ悪かったけど、でも、なんでそのかっこ悪いのをやってるかっていうのはみんなわかってたから。
僕らは、絶対的なお手本とか何がかっこいいっていう基準がなかった時代に手探りでやってたから、かなり回り道をしてるんだけど、振り返るとその時期がとにかく今の自分を支えてるなって思う。
"

ギターを弾きながらラップするスタイルに変化した今だからこそ感じるラップの不自由さについては環ROYと通じるものがあります。

"歌詞も変わるし、メロディーも変わるし、すべてが変わりました。まず言葉を間引くようになってきたんです。それまではどれだけ入れてこう、隙間があったら言葉を埋めて、畳みかけて、リスナーの脳みそにぶち込むんだと思ってた。だけど、ギターを弾き出すと、このギターのこの音を活かすために言葉はここで終わっとこうとか、どんどん引く作業になっていって。
じゃあ、ラップの定義ってなんだ?っていう話になってくると思うんですけど、心地好い韻を踏んで、自分が言いたいことを伝えて、メッセージをちゃんと届けられるのであれば、言葉数って多くなくてもいいのかもって。隙間があるからこそ相手に頭の中で歌詞を考える時間を与えることができて、より染み込むんじゃないかって思うようになった。それはギターをやってなかったら気づいてなかったと思うんですよ。
"



■KEN THE 390


最近ではレーベルDREAM BOY設立などプロデュース力を発揮しているKEN THE 390。ラップの歌詞に関する見解は環ROYと真逆でどちらも間違ってはいないので興味深かったです。

"“ラップの歌詞を書きたい”って、今は思ってるからだと思う。”歌の歌詞”としての構築性をめざした時期もあるけど、それをめざしても、メロディーがあって、誰が歌っても普遍的にその世界に入れる歌の歌詞と、ラップのリリックはやっぱり違うんじゃないかなって。ラップは基本的にはメロディーがないし、やっぱり私小説的というか、その人から発されることに意味があるモノだと思うんですよね。だから、"歌の歌詞"と"ラップのリリック"は真逆なモノなんだなって。かつ、ラップのリリックの強度を上げないと、逆にポップな方向でも勝てないと感じるんですよね。ラップの強度、ヒップホップ的な思考、ラップ的な構造を強くしながら、その中で世の中に届くことを書かないと、広い層には届かないよなって。"


もっとヒップホップという文化の本質が知れ渡れば偏見や染み付いている悪いイメージも払拭されるはずです。そのひとつであるラップのおもしろさはある程度の知識があるなら本作を読めばさらに深く掘り下げることが出来るのではないかと思います。最後にこの本の趣旨をうまくまとめたような彼のことばで締めることにします。

"みんなになるべく、“ラップの面白さ”を伝えたいんだと思いますね。特に自分の曲を聴いたり、ライヴを観に来てくれる人には、その面白さをシェアしたい。ラップならではの面白さを伝えられないまま、ラップを聴いてもらうのは、野球のルールがわからない人の前で野球やってるようなもんだと思うんですよ。知らない人にも、ホームランとか豪速球って派手な部分では伝わると思うけど、でも、ルールやその中での駆け引きみたいな概念がわかった方が絶対面白いじゃないですか。ラップも同じように、ラップなりのルールや概念をちょっとずつ伝えていければなって。それが伝われば、普通の歌じゃできない、ラップならではの面白さが理解されると思うんですよね。"