【前世やカルマというものの解釈 ②】


今回も私なりに「前世(生まれ変わり)とカルマ」に付いて、深~~~く掘り下げてみようと思いますので、こういうテーマがお好きな方はお付き合いのほどを♪(笑)
☆_(_☆_)_☆


前回は、キリスト教での「生まれ変わりは無い」説や、「生まれ変わりは有るが7回だけ」とする宗派が多いという事に触れましたが、

東洋の宗教である仏教では、逆に人間の生まれ変わりを肯定し、

★ 預流果(よるか)
★ 一来果(いちらいか)
★ 不環果(ふげんか)
★ 阿羅漢果(あらかんか)

という四段階の悟りを経て、人間は人間を卒業して行くという教えが有名ですね?
(※この4段階の順番に飛び級は無く、進み具合はその方の因果からそれぞれ違うそう)
( ・・) ~ ✿✿✿✿

★「預流果」とは、数え切れない生まれ変わりから智慧を授かり、聖なる流れに入った人間の段階の事を指し、ここに至れば最低でもあと7回人間として生まれ変われば悟りの完成に至る(※真理を悟った人は後戻りする事が無い為)という保証が得られた "悟りの初歩段階" という様に言われています。
(※キリスト教の「生まれ変わりは7回だけ」というのが、この仏教の教えから来ているという説もあります)

★「一来果」は、あと一回だけ人間として生まれ変われば悟りの完成に至るという段階。


★「不環果」は、今の人生を終えれば二度と人間には生まれ変わらず、次は「梵天(天界)」に生まれ変わるか、それ以上の「阿羅漢果(聖者)」になれるという段階。


★「阿羅漢果」とは、生きながらにして見事人間卒業=聖者に至った段階(二度と人間として生まれ変わらない=生命としてのレベルアップ=お釈迦様と同じレベル)に至った人間の事を指します。


私は仏教徒ではありませんが、数年前にこれを本で独学した時にはとてもユニークで面白くて「斬新!」と目から鱗だったのを思い出します♪

☆_(_☆_)_☆

ではこの基礎知識を踏まえた所で、前回でお話ししていたお釈迦様にまつわる有名なお話しを致しましょう♪(※以下は、色々な仏教のブログから引用させて頂いたものを私が編集したものになります)



「青年アヒンサー(アングリマーラ)」

※ダンマパダの偈『アングリマーラ経』(第六節)より


サーヴァッティー(インド・舎衛国)の町では人を殺し、その指を切り取って首飾りにするとい殺人鬼アングリマーラの噂が広まり、夜になれば誰も家から外に出ようとはしませんでした。
誰もが恐れるアングリマーラが「殺人鬼」と呼ばれるようになってしまったのは、ある経緯がありました。

彼の実の名はアヒンサーといい、バラモン(カースト制度の中の一番高い地位)の子として生まれました。
そして青年となった彼は、500人の弟子を持つというバラモンの弟子となり、その中でも特に秀れた弟子となり、師からの寵愛を受けていました。

ある日のことです、その日は師が王に呼ばれ城に行くことになり、アヒンサーは留守を任されました。すると、前からアヒンサーに好感を持っていた師の妻が彼を誘惑しようとしたのです。

「私は人の道を外すようなことはできません」と、アヒンサーは断りました。
すると腹を立てた師の妻は、自分の思うとおりにならなかったことの悔しさから、彼女は自分の衣服を破り、あたかもアヒンサーに襲われたかのように装ったのです。
そして、城から帰ってきた師は妻の姿を見て驚き怒り狂い、そしてアヒンサーへのとんでもない仕返しを考え彼に言いつけるのです。

「アヒンサーよ、お前は私の数多い弟子たちの中でも最も優れている者だ。よって、ここに覚りへと至る最後の試験をお前に授けようとおもう」


「はい。どのような試験でございましょうか」


「お前はこれから国中の人100人(※1000人という説も有ります)の命を奪い、その死体から指を切り取りなさい、100の指を集めれば、お前の修行は完成したとしよう」


アヒンサーはしばらく考えましたが、他ならぬ尊敬する師からの言いつけであり、彼は若さゆえの純粋さで素直にしたがったのです。



「殺生罪」


アヒンサーがアングリマーラ(指の首飾り)と呼ばれるようになったのは、そのような経緯があったのですが、人々から恐れられ、お尋ね者の殺人鬼と成り果てた彼の集めた指は99本となり、いよいよあと一つとなったのです。

そんなある日、町の外れの森へと一人で歩いてくるお坊さんの姿をアングリマーラは見ました。
(※それは我が息子の悪行を止めさせようと息子の所に行こうとしているアングリマーラの母親と、それを自分の母親と気付かずに100人目として殺してしまうであろうアングリマーラが視えたお釈迦様が、彼等を救う為に先立って自ら森に出向かれたと伝えられます)

「今では俺を恐れて誰も通らないこの道を一人で歩いてくるなんて、何と勇気のある奴だ。それとも何も知らないのかな?」
そう思った彼が見つめる坊さんとは、祇園精舎から出てこられたブッダ、釈尊だったのです。

ブッダが森に入った時、アングリマーラは呼びかけました。
「おい坊さん、止まりな。お前でちょうどこの指が100になるんだ。俺に会ったのが運の尽きだと思え」

しかしその声が聞こえていないかのように、ブッダは静かに先へ先へと歩いていくのです。

「止まれっていうのが聞こえねえのか!」アングリマーラは走って、先を歩くブッダを捕まえようとします。


「止まるんだ!!」 しかし、いくら懸命に走ってもブッダには追いつかないのです。
(※この時にお釈迦様は神通力を使ったと言われています)


釈尊は答えます。「アングリマーラよ、私はすでに止まっている」

「…!? 冗談言うな。止まれって言ってるだろ!!」

「私は止まっている。むやみに生き物の命を奪う殺生という行いは止まっている。だから、アングリマーラよ、お前も止まりなさい」

(くぅ~~~ッ♪ お釈迦様、超カッコいい! from この場面はいつ読んでも魂がシビレるlilacさん♡)


ブッダのその声はアングリマーラの心の底に響き、そしてその時ようやく彼は正気に戻ったのです。そして過去の罪を悔い、ブッダの弟子となったのです。


指斬り魔アングリマーラがブッダのもとにいるという噂は直ぐに町中に広まり、やがて城の王の耳にも入りました。

パセーナディー王は、アングリマーラを捕えに一個大隊を率いて向かったのです。軍隊が祇園精舎に着いた時、ブッダは何事かと驚きました。

「王よ、これからどこの国へ攻めに行かれるのですか」
「師よ、戦ではない。あの指斬り魔アングリマーラがここにいると聞き、捕えにきたのだ」

「アングリマーラなら、私の弟子となり、今は奥の部屋におりますが」
「師よ、それは信じられない」

「では、その目で確かめるがよいでしょう」


王は奥の部屋に行き、そこに静かに座っている頭を剃った姿のアングリマーラを見て驚きます。
王は合掌礼拝し、「新たに仏弟子となられたあなたを捕えることは出来ません。そしてあなたには国王として何か布施をさせて頂きたいのですが、何がよいでしょうか」
(※出家した者は王や貴族よりも位が上になるのです)

アングリマーラは答えます。
「王よ、有難い言葉にお礼申し上げます。しかし、私にはすでに一枚の衣と鉢があります、不足なものはございませんから、どうかお気遣いなさいませぬよう」
「そうですか。ならば今日は遠慮させて頂きますが、また日をあらためてあなたに供養したい」

そうして合掌礼拝し、王は軍隊とともに城へ帰ったのです。



「忍耐」


アングリマーラがブッダの弟子となり10日が過ぎた頃でしょうか。托鉢に出掛けた日のことです。
彼が歩いていると、どこからか投げられた石つぶてが身体に当たりました。

彼が後ろを振り返ると、その背中に別の石が当たりました。
そして投げられる石の数がだんだん増えてきました。
うずくまったところを棒で叩いてくる者が現れました。

「坊さんの格好をして騙そうとしても駄目だぞ、アングリマーラめ、父の仇だ!」
棒を持った人が何人も現れ、アングリマーラはめったうちにあいました。
そうしたことは一日だけで終わらず、毎日彼は額から血を流し衣は破け、身体はあざだらけになり帰ってくるのです。

その姿を見てブッダは言いました。

「アングリマーラよ耐えなさい。お前は地獄へ行き何万年の長い間受けるはずの罰を今受けているのだ。これに耐えてこそ、お前は本当に生まれ変われるのだ」

傷だらけになって托鉢から帰ってくる日が続きました。
しかし、やがて石つぶては投げられなくなり、アングリマーラの過去を知った人々は彼が罪を悔いて懺悔し、戒を守る清らかな姿に手を合わせるようになるのです。



さきには放逸であったけれども  のちに放逸ならざる人は

雲をはなれた月のように  この世を照らすであろう
人もしよく善業をもって  そのなせる悪業をおおわば
その人は、この世を照らすこと  雲をはなれし月のごとくであろう

テーラ・ガーター(長老偈経)871、872より



ちなみに以下はブッダがアングリマーラ長老について後に語られたものです。

かれは 般涅槃 はつねはん(入滅)しています。
前には一人の善人も得ないために、あれだけの悪事を犯しました。
しかし、後には善友という縁を得て、怠りのない者になりました。
かれの悪業は善業に包まれています。(※"善" とは阿羅漢道を指す)


そしてお釈迦様とアングリマーラには、この様な逸話も残されています。
(^^✿

ある時、アングリマーラが托鉢していると逆子の為に難産で苦しんでいる女性を見かけます。
何もできなかったアングリマーラは戻ってから、どのようにすれば良いのか釈尊に尋ねると、
釈尊は「私は一度も人を殺した事は無い。その徳によって母子は安全に出産できるだろう」と言う様に答えました。

アングリマーラは「それは本当では無いので、功徳は無いのではないか?」と疑問を伝えました。
その時に釈尊は、「では、私は出家して仏弟子として生まれてから、一度も人を殺めたことは無いと言いなさい」と言ったと伝えられています。

そしてアングリマーラがその通りに母親に唱えると、すぐ無事に子供が生まれた事から、その後アングリマーラは新しい命を授かった母親達から安産祈願をされる存在になったという事です。
(^^✿✿✿



皆様はこの逸話を読まれて「前世(生まれ変わり)」や「カルマ」、そして「因果」に付いて、どの様に解釈されましたか?


私の解釈は…、
長くなるので、それは次回のコラムにて♪


このテーマは今回で終えるつもりでしたが、やはりとても書き応えの有るテーマです!(笑)
(・。・;






これを執筆していたら、外は突然のゲリラ豪雨に。(※当時)

雨と雨雲により、スカイツリーも霞んでおります。
( ・・)~☂








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