ADHDと神戸連続児童殺傷事件

加害者、少年Aは中学校1 年生の時にADHDの診断を受けたそうです。

ADHDの子どもを持っている、親にとってはこの事件、目を背けたいですね。
でもね、あまりに、悲惨な事件だからこそ、
もう一度、そこから何が学べるのか考えてみませんか?



まず、彼は本当にADHDなのだろうか?

色々、調べてみましたが、ネットでは彼はアスペルガーだと言われてます。
IQは70と言われていますが、実際にはもっとあるんじゃないかな。
私はADHDを否定することもできませんでした。



犯行の動機はなんだったのだろうか?

彼がADHDなのかアスペルガーなのかはわかりませんが、
彼は、明らかに二次障害の行為障害から、三次障害、反社会性人格障害を併発してしていると思います。
ここまでくると、障害がどうとか、本人がどうとか、親がどうなんてことが動機にはならないと思います。
彼はある意味、魂を乗っ取られたような状態だったのではないでしょうか。

以前は反社会性人格障害は18歳以上の大人が発症されると考えられていましたが、
彼の例からもわかるように、その年齢は想像以上に低いことがわかってきています。

アスペルガーなど他の発達障害の子供たちもADHDの子供たちと同じような二次障害を併発するようです。
ここではっきり言いたいのは、行為障害、反社会性人格障害は発達障害の子どもたちだけが発症する障害ではありません。家族からの虐待・ネグレクトなどにより心に深い傷を負った子どもたちが発症すると言われています。
ですが、実際に発達障害を持った、家族から虐待・ネグレクトを受けていない子供たちがこの障害を併発しています。発達障害の子供を持つ親は子供たちが社会から虐待・ネグレクトされやすいとゆうことは忘れてはいけませんね。



では、彼ははいつごろ二次障害の行為障害を発症してしまったのか?

ダウン彼が小学3年生のときに書いた、作文です。

「ま界の大ま王」

お母さんは、やさしいときはあまりないけど、しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、あたまから二本のつのがはえてきて、ふとんたたきをもって、目をひからせて、空がくらくなって、かみなりがびびーっとおちる。そして、ひっさつわざの「百たたき」がでます。お母さんはえんま大王でも手が出せない、まかいの大ま王です。

「お母さんなしで生きてきたいぬ」

 ぼくのうちのサスケ、は生まれてすぐぼくのうちにきてそだてられたから、お母さんのかおもしりません。くもりの日や雨の日にはこやの中で「クーン、クーン」といって、目になみだをためていました。ぼくがにわにでていって、「お母さんがこいしいか」ときいてみたら、「クーン、クーン」とまたいって、ぼくの足にしがみついてきました。ぼくが「ぜったい、お母さんに会えるで。」ってわかってもいないのに、つい口に出してしまった。だって、すごくかわいそうだったからだけど、そうゆうことをゆうと、サスケのなみだがおさまって、ぼくの手をなめてくれました。
 雨がすごくふって、ぼくのかおにあたってもぜんぜんきづきませんでした。サスケとの会わにしんけんになっていたのです。そのあと、ぼくはうちの中に、サスケはこやの中にはいっていった。

(↓担任が内容がよくないとのことで、省略した部分↓)

ぼくもお母さんがいなかったらな。いやだけど、やっぱりぼくのおかあさんみたいのがサスケのおかあさんだったらわからないけど。やっぱりかわいそうだな。

この2つの作文は彼が脚色した、本当の話ではないようです。
ですが、この時点ですでに少年と母親との関係が安定しておらず、お互いの思いにズレが生じていることがわかると思います。
担任が勝手に子どもの作文を省略することは間違ってますよね。親としてはどんな言葉でも息子の言葉は知りたいものです。



そして、小学校5年生のとき、それまでずっとかわいがってもらっていた、祖母が亡くなり、
彼にとっては大切な命が目の前で消滅してしまったことを受け入れることができなかったのかもしれません。
それから、カエルの解剖、また、動物虐待が始まったようです。
行為障害を発症したと言えるのはこの頃ではないでしょうか。



そして、これは私の勝手な考えですが、
彼は小学6年生のときに、阪神・淡路大震災を経験しています。
祖母の死により死に興味を持った、幼い少年にとって、阪神・淡路大震災は彼の命の価値観を大きく揺らがせてしまったのではないでしょうか。一瞬で、無情に多数の命が消えてしまいましたからね。
私は地震こそ経験しませんでしたが、命の儚さに呆然としました。私も、自分の命の価値観を立て直すのに苦労しました。「神も仏もいない」亡くなった友人の父親が言った言葉はいまだに私を悩ませています。あの時の神戸には本当に神も仏もいなかったからね。多感な時期の少年にはツライ経験だったと思います。







彼がADHDなのかはわかりませんが、
ADHDの視点からこの事件をちょっと考察してみると

1、ADHDの子どもと年子の弟との相性は最悪です。
 私の息子の父親にも年子の弟がいますが、弟を愛していて、かわいがろうとします。でも、母親はつい弟をかばったり、手をかけているのを見ると、どうしても、弟が自分より母の愛情を受けてると思うらしく、うらやましく、妬ましく、弟をいじめたくなってしまうようですね。
ADHDの子どもで長男も気をつけてくださいね。長男だからと言って厳しく育てないように。

2、ADHDの子どもの父親が育児に無関心ならば、いないほうがいいと思います。
 子どもが父親から愛されていないと勘違いしますからね。

3、ADHDの子どもの習い事は、本人の興味のある、才能を伸ばせるものにしましょうよ。
 彼の母親は彼に闘争心を身につけて欲しいと思って、少林寺拳法を習わせたようです。
 でも、彼は勝負する気もなかったんじゃないかな。
 もし、本当に彼に負けたくないと思わせたかったならば、本人が興味のある、芸術・絵画などを習わせるべきだったと思います。
 私も幼い頃から、あまりにお転婆だったので、母親が心配して、
 お嬢様風になって欲しかったのでしょう、ピアノとクラシックバレーを習わせられました。クラシックバレーはきつかった。踊りは大好きなんですけどね、クラシックバレーの時間は消えたかったです。一度も母親から何が習いたい?って聞かれたことはなかったですね。

4、ADHDの子どもはツーカーな仲が好き?
 ADHDの子供は多くを語らなくても親なら分かってくれるだろうと思っているかもしれません。
 私と親友はツーカーな仲だと思います。多くを語らなくても分かってくれる。
 なので、幼い頃は親なのにどうしてわかってくれないんだと思うことがたくさんありました。
 今は、私と私の母親はツーカーな仲には一生、なれないことがわかっています。
 でも、「言葉で言ってくれないとお母さんはわからない」ともっと早く、教えて欲しかったですね。 実際には言葉で言ってもなかなか分かってもらえないんですけどね。





彼は以前に、「懲役13年」とゆう作文を書いています。
この作文、彼自身の苦悩を綴りながらも、色んなところからの引用ばかり、彼の言葉が見当たらない、とても不思議な感じの作文です。

ダウンその中のウィリアム・マーチ『悪い種子』からの引用

「彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう・・・
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、実物は不完全な形で
あったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、バラのつぼみや挑はこういう風でなければなら
ないと俺たちが思いこんでしまうように」


無様でも、不器用でも、間抜けでも、脆くても、あるがままで人は美しい。
仮面を被る必要がある人間なんてこの世にはいない。
そんな当たり前のことを当たり前のように息子には教えたいですね。

彼がこの作文を書いて13年が経ちます。
もし、今の彼が「懲役13年」とゆう題の作文を書いたならば、どんな、作文になるのか、読んでみたいですね。
いつか、彼が自分の意思で手記を書いたならば、いち母親として読ませてもらおうと思います。



この事件を調べてみた感想、
彼や彼の家族を責めるような言葉はいくらでも言えるような事件です。
でもね、他の人が十分言ってるし、もう、十分だと思います。
ただ、私は息子のために、自分の襟を正そうと思いました。

この事件は象徴的で、世の中に与えた衝撃は大きかったです。
でも、彼だけが少年犯罪を犯したわけではないし、
そろそろ、他の犯罪を犯した少年と同等に扱われるべきではないでしょうか。

本当に彼の更正を考えたならば、14歳の少年が犯した罪を、彼一人に背負わせるのではなく、
社会全体で背負っていくべきなのではないでしょうか。そんな社会であって欲しいと願います。
もう、彼を透明の存在にしてあげて欲しいですね。

私は14歳の少年が反社会性人格障害から生き延びたこと、また、まわりの協力を得ながらも、自ら暗い森から抜けだしてきたことに、彼の勇気と強さを感じています。
償いとゆうものはうつむいて生きて行くことではないですから、自分を信じて、胸を張って生きていって欲しいなと思いますね。




この事件を詳しく知りたい人はこちらで色々な資料が見れます。



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