表参道で竹内まりやのデニムを聴いた | カフェメトロポリス

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Denim (通常盤)/竹内まりや

¥3,059
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表参道の交差点のあたりに、昔オープンカフェがあったような気がするんだけど、記憶違いだったろうか。

東京に来て半月なので道が全然わからないんですと、なんの屈託もなく言い放つ、若いタクシー運転手に道を指示しながら、外苑東をまっすぐ、246を右とか言いながら、すっかり、タクシーのなかで、竹内まりやのデニムに没頭するというもくろみはあっけなくついえた。表参道の交差点のところでタクシーを降りて、次のミーティングまでの間、オープンカフェでデニムを聞こうという思いだけで表参道を散歩した。平日ながら、さすがに天下の表参道は人通りが多い。初夏というには少し汗ばむ気候のなかで、表参道の並木も、少々ねっとりとした光の粒を帯び始めたようで、妖艶な感じがする。夏はいい。

表参道ヒルズ沿いの表参道茶寮の道沿いの席で、カフェ・カリオカとかいう、ラム酒の入ったコーヒーを頼んだ。

iPodで、デニムのなかのスローラブを選んだ。軽快な、元気になる、定番のメロディだ。だ。あせらずにゆっくり生きようというテーマ。竹内まりやの曲は、ある意味、みな定番だ。どこかで聴いたことのあるメロディ。なんども同じテーマで泣かされてしまうアメリカのスポーツ映画のような定番の良さ。メディアへの露出を自然に制限しているので、この定番さは、サザンやユーミンのように金属疲労を起こすほど過剰消費されてもいない。いずれにせよ、竹内まりやの個性はほどほどのバランスのよさにあるのだろう。

そんな批評的なことを言いたいわけじゃない。大事なのは初夏、お酒の入ったコーヒーを飲みながら、眺める表参道の舗道には何が一番あっているかだ。

突然の夏の暑さに辟易した表情のダークスーツのサラリーマンや、めっきり薄着になった「夏服を着た女たち」が三々五々通りすぎていく。女たちには夏が似合う。まわりの澱んだ空気をかきわけて、風の波紋を起こしながら、笑いながら歩いている。

しばらく、ぼーっと、舗道を眺めていたら、「人生の扉」という曲がかかった。五十路という歌詞が耳に入ってきて、ちょっとびっくりした。竹内まりやも50代になった。永遠の青春のイメージを発散していたニューミュージック(言うもふるくさい響きになってしまったが)のミュージシャンが続々と50歳になっている。タクシーの座席の前に、宣伝カードが置いてあった、ダイハードはパート4だし、ロッキーもファイナルなんだから。時の流れは、たしかに、驚くほど速い。竹内まりやが自分の人生の後半を歌ったとしても何の不思議もない。

「春がまた来るたび、一つ齢をかさね、眼に映る景色も少しずつ変わるよ、

陽気にはしゃいでた幼い日は遠く、気がつけば五十路をこえた私がいる。

信じられない速さで時は過ぎ去ると、知ってしまったら、どんな小さなことも、憶えていたいと心が言ったよ。」

一つ一つ人生の扉を開けては、感じる、その重さ、一人一人愛する人たちのために、生きてゆきたい」

英語で歌われる、80でも90でも生きる価値はあるというリフレインがなんとなく心に入ってきた。少しずつ、日も翳ってきて、表参道の樹木の葉に光と影がまだらに交錯するようになってきた。

表参道のカフェで聴く、竹内まりやもいい。