「フューチャリスト宣言」を読んだ | カフェメトロポリス

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昨日は、初夏とういうより本格的な夏日の一日だった。午後から、街に出ていたが、肌に触れる大気の湿気の重さが、過去なんどかの、夏の肌触りの記憶を重層的に想起させた。オープンカフェで、PCを開き、メールを確認しているとき、アイスコーヒーのカップに滞留する水滴の一つ一つが、いつかの夏の記憶に共鳴した。

城山ヒルズのブックファーストで、梅田望夫/茂木健一郎の「フューチャリスト宣言」(ちくま新書)を買った。この本屋は、外資系の多いビジネス街にあるという自分の立場をわきまえた専門感を漂わせている面白い店だ。思わず、MLBやサッカーの比較経済分析の本なども買いこんでしまった。

梅田も茂木も、それぞれベストセラーを出している、最近旬な書き手だ。

その二人が、増殖するインターネット、グーグル的な未来について縦横無尽に語り合った本だ。面白かった。

自分たちでも認めているが、インターネットというと、ダークサイドについて思わせぶりに書く仕草をする論客が多いなかで、どちらかといえば手放しにポジティブな点がいい。

社会的影響などはいろいろあるとは思うが、インターネットの異様な増殖の恩恵を感じているという意味では、ぼくも、著者たちに劣らない。

脳科学者の茂木は、偶有性(ある事象が半ば偶然的に半ば必然的に起こるという不確実な性質)を脳というものを理解するうえで重要な概念として提起しているらしい。(彼の著作はいまのところ一冊も読んだことがない。)そして、その観点から見ると、グーグルという検索的ロジックから、世界を猛烈な速度でつなげていく、その動きのなかに、偶有性がみちているととらえるのだ。

「朝起きて、まず何をするか、いちばんやりたいこと、いちばんせざるを得ないところからやりますよね。そうすると最近、メールよりブログのコメントやトラックバックのほうが気になります。そっちのほうが、何が起きているかわからないから面白い。まさに偶有性ですね。自分のブログを自分の分身のように考えると、とくに頻繁に更新している時期には、分身に異常が発生していないかを見にいくみたいな感覚があります。メールは想像のつく範囲の人からしか来ないですから。(梅田)」

たしかに、ブログを開いて、トラックバックやコメントを確認するときに毎回感じる、ちょっとした胸騒ぎ、あるいは何かとんでもない予測もしないことが起きているのではないかという期待感があるというのは本当だ。

梅田は、収益追求というところから切り離された分野で、加速するネット世界の増殖スピードを指摘しながら、そのなかで、現実の世界からあえて自分を切り離すことで、自分をつかって、どこまでネットの世界のなかに浸りつづけられるかという実験を行っている。中途半端に大学に教えに行くなどということをやらずに、日々、彼が準拠点としている500名ぐらいの人のブログを朝から確認しつづけ、そこから発見されたものを、自分が組織化したグループで思考し、再発信していくというループを継続しているのだという。そういうプロセスの結果、発信される梅田の発言が、グーグルの検索にひっかかり、グーグルというシステムがどんどん賢くなっていくというのが、グーグルの企業価値を押し上げていっている。「無償で狂ったようにやる奴」が一人いれば、社会人教育の新しい概念などすぐにできる可能性があるという梅田の発言は、自分が毎日、なぜ、ブログを書き続けているのかということにはっと気づかせてくれる新鮮さがあった。

インターネットの有料化ということについて。

「ネットの上で何かを中途半端に有料にして生計を立てようというのは、うまくいきません。パスワードが入って検索エンジンに引っかからなくなるから、ネットは絶対に有料にしちゃいけないんです。無料にしてそれで広告が入るかといったら、先進国でまともな生活ができるほどは普通は入らない。一方、リアルというのは不自由だからこそ、お金を使って自由を求めます。だから永久にリアルの世界でお金が圧倒的に回る。この二つの世界での生計の立て方とか、それから知的満足のしかたとか、いろいろ組み合わせて戦略的に考えていく必要があります。(梅田)」

ネット的に生きている梅田ならではの実践的な発言が、ネットの新参者であるぼくには、納得性が高い。

個人の信用を企業が供与しているような日本社会に対しては、今後、個人の信用は、その人間のブログが保証していくようになると鮮烈な視点を提示する。たしかに、企業は個人の信用を保証するほど、その人間のすべてを知らない。ところが、ブログに一定期間書き続けられたもののなかには、自ずとその人間の全貌が現れてくる。グーグル的現実、未来が個人に力を付与するというイメージがポジティブに語られていく。

茂木はネットが、人間の高次の欲求である「学ぶ喜び」を深める点を強調する。

「偶有性の喜び、自分の人格をより高度なものにしていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでももっとも強く、深い喜びではないでしょうか。食べる喜びなんて、おなかがいっぱいになっちゃえば終わりだし、性的な喜びだって限界がある。学ぶ喜びって、限界がないんですよ。インターネットというものが、「学ぶ」という最も根源的な、オープンエンドな「終わりのない」喜びを大爆発させる機会を与えている。まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の特権的な人にだけでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、その可能性が広がっている。基本的な認識はそこなんです。人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する、触媒としての機能ですね。(茂木)」

あと二人に共通するのは、知識を囲い込むことによって力を得ようとする、日本社会の大学、マスコミ、大企業に共通する「談合の思想」に対する明らかな嫌悪感がある。とくに大企業向けのコンサルティングで生計を立ててきた梅田は、日本の大手電気メーカーが、インターネットに成功できなかった理由を、インターネットの中にある現状破壊的性格を大企業に属するエンジニアたちが恐れ、自己規制したからだという。YouTube的な技術を商業化することが、著作権を害する可能性など、談合の論理から、それを手がけることを自らやめていくという流れである。そういった知の囲い込みを破壊し、より平等に知を拡散させていきたいという意思を感じた。無償で狂ったように活動する一人の意思によって、教育に起こりうる革命の可能性にかける思いには強い共感を感じた。自分が理由もわからずに、毎日何かを書き続けたいと感じる思いのなかみを簡単に解剖してくれた。

インターネットが、ぼくをひきつけるのは、自分のなかに存在するアナーキーなものへのあこがれに直接に触れてくるからだし、自分を育ててくれた社会そして次世代に対して、なにかを返したいという思いを実現してくれる可能性があるからなのだろう。

いずれにせよ、グーグル的現在のなかにどっぷり使っている、二人、というか、梅田の存在が非常に身近に感じられ、読みながら、元気になれる本だった。