イラク国内の混乱が継続するなかで、米国は大統領選を控えて、イラクからの米軍の撤退をめぐる議論が強くなってきている。そんななかで、米国に協力したイラク人たちの運命が危うくなっているにもかかわらず、そんな「米国の友人たち」を米国政府は見捨てようとしているというコラムがニューヨークタイムスに掲載された。2005年にファルージャの再建にあたって、地域コーディネーターだったKirk W. Johnsonの投稿である。
親米イラク人の運命
Hounded by Insurgents, Abandoned by Us
http://www.nytimes.com/2007/04/18/opinion/18johnson.html
イラクの国内の混乱が続く中、反米の反乱運動が強まるなかで、難民の問題が深刻化している。現在200万人のイラク人が国内に住むことができなくなっており、貧困のため逃げ出すこともできず国内で追放されている人々がさらに200万人いる。
1948年以降で中東最大の人口移動の問題をめぐって、ジュネーブで会議が開催された。
世界は、イラク戦争を始めたブッシュ大統領、そして従来難民問題に積極的な歴史をもつ米国がこの問題にどう対応するのかを見つめている。
現実は、こういった難民の多くが、米国の法律によって受け入れの拒否をされる可能性が高いのである。
その法律というのがPatriot and Real ID Actsで、テロリストに対する重大な支援を行ったものの入国を禁じるという条項があるのだ。
この条項が、米国協力者のイラク人で、その仕返しに家族を誘拐され、その際に支払った身代金が、このテロリストに対する重大なサポートを提供したという条項に該当するとみなされているのだ。
議会はこれに対して、強制のもとでの支援者に対する免除規定をつくろうとしたが、上院のJon Kyl議員によって、この規定は息の根を止められた。
今回の立法は、あくまでも米国に対する脅威とならないグループに対するテロ関連の移民規制緩和にとどめるべきだというのが彼の論点だった。
5年間もかかって、まだわれわれは、アルカイダのメンバーと自分たちの側に立って働いてくれた友人たちの区別もつかないのだろうか。
あるキリスト教徒のイラク人女性は、テロリスト通報窓口を担当し、イラク暫定政権の中で重要な役割を果たした。彼女の直接の上司だったBernard Kerikも彼女の勇気をたたえる推薦レターを書いているような人物である。
彼女の米国へのコミットメントは、自分の16歳の息子が誘拐されてしまうという結果を招いた。
誘拐犯は身代金を要求した。
夫が身代金要求に応じた。そして、夫は、妻の米国への協力がこんな結果を招いたと、彼女を離婚した。
夫と子供は、シリアへと移住し、そのあと音信はない。
殺害予告に耐えかねて、彼女も、ヨルダンへと脱出している。
驚くべきことだが、現在の法律では、彼女の家族は、テロリストに対する重大な支援を行ったという理由で米国に定住することができないのだ。
そして、米国国土安全保証省長官の免責決定がない限り、彼女が米国の土を踏むことはない。
対イラク進駐の過程で、われわれは心や精神を、まるで爆弾や銃のようにみるようになっている。
こんな基本的な区別ができないようでは、われわれアメリカ人は、この戦争の勝ち負け以上に大きなものを失うことになるだろう。
われわれがイラクに侵略する5年前の1998年に、ひとりの上院議員がイラク人の対米協力についてきわめて先見性の高い発言をした。
“If we would have people in
我々がイラクあるいは世界の他の場所において、米国を信頼し、ともに働く人々を得るためには、米国が信頼に値するということや、友人のめんどうを見るという定評を維持しなければならない。世界は、アメリカがわれわれの側に立っている人々をどう取り扱うかを常に凝視しているのである。米国がアンフェアであるという印象を与えることはできない。そうなると、将来、海外で米国が支持者を得るのがより困難になってしまう。
これはカイル上院議員の発言である。
米国の官僚たちの恐ろしいほどの行動の遅さを十分に見てきたつもりだったが、今回、この件でのワシントンの動きには驚かされた。危機に置かれている友人たちを助けるのに半年以上かかるという発言が繰り返されたのだ。
誘拐された家族を救うために身代金を支払った人々は、亡命申請でそのことを明確に説明することにためらっている。それが、先述の重大なテロ支援という規定にひっかることを恐れいているからである。
これはもはや、ブッシュ大統領が誰かにまかせるべき事態ではない。彼の官僚たちは、危険きわまりないほどの遅さでしか動かないのだ。アメリカ大統領のリーダーシップが今こそ必要とされているのだ。われわれを信じた友人たちに対して今こそ支援の手をさしのべなければならないのだ。(以上)
ブラックブックという映画は、第二次世界大戦中のオランダのコラボ(対独協力者)のナチス崩壊後の悲惨な運命と、復讐する人々の醜悪な姿を、克明に描いた。
世界はまったく同じことをあきもせずに繰り返している。日本の中国や、韓国への侵略、ロシアや米国のアフガニスタンへの侵攻。コラボの悲劇は、なんどもなんども繰り返される。世界は決して、歴史から学ぶことがない。国家というものの気まぐれのなかで、個人の人生や運命は、安い駒のようにもてあそばれ、忘れ去られていくのだ。
世界はとても嫌なところなのかも知れない。