今日もカトリーナ問題 ; ポール・クルーグマン 「責任転嫁は許さない」 | カフェメトロポリス

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またまたカトリーナ問題。


今日のニューヨークタイムスのポール・クルーグマンのコラム。


彼は首尾一貫、ブッシュ政権の構造的腐敗を批判しつづけてきている。彼の視点からは、今回のハリケーンに対する対応も、イラクでの失敗に、かなしいほど酷似したブッシュ流政治(不作為)が露呈しているのだ。


Point ones finger atという人を名指しで非難するという英語のフレーズがある。


コラムのタイトルは、自分のせいじゃないと責任転嫁するブッシュ政権の指から目をはなしてはいけないという意味なのだろう。



Point Those Fingers(責任転嫁を許さない)

http://www.nytimes.com/2005/09/09/opinion/09krugman.html

By PAUL KRUGMAN

ブッシュ政権の災害対応の歴史を理解するためには、彼らが使ったキャッチフレーズに着目すればいい。


最初に2001年の、FEMA(連邦緊急管理省)の長官としてブッシュが最初に選んだJoseph Allbaughが議会証言で、何度も繰り返した「責任と説明責任」(Responsibility and Accountability)という言葉だ。


彼が言いたいのは、州政府や地方政府の役人は災害に適切に備えていなかった場合に、FEMAの手助けを期待してはいけないということだ。


そして彼らは、自分たちの有権者を守る責任を100%背負わねばならず、それができなかった場合には説明責任は連邦政府の問題ではないということだ。


しかしこれは普通の役人に対するルールである。


どうもブッシュの側近たちには、このルールは適用されないようだ。


ブッシュ政権が災害の対応でしくじったからといって、非難のための非難(play the blame game)をするつもりはない。これはScott McClellanがホワイトハウスの2度のプレスミーティングの中で15回も使ったフレーズである。


今回の政策ミスが。ブッシュ政権下が犯した最初のものだで、コントロール不能な異常事態が続出した状況で起こったことだったら、安易な批判を差し控えるべきであるという見識も必要になるだろう。


しかし、かなり贔屓目に見たとしても、ブッシュ政権にとっては、これはイラクに継ぐ、二度目の政策上の大失策なのだ。


さらにミスの起こり方も、異常状況での仕方がない結果というよりは、いつもながらのブッシュ政権のパターンなのである。


イラクでのブッシュ政権の過ちと先週のミスは驚くほど似ている。


イラクでは、バグダッドの陥落後、コントロールの効かない襲撃がほとんどのインフラを破壊する中で、ブッシュ政権は麻痺と否認のまじりあった症候を露呈した。


カトリーナが接近し、メキシコ湾岸地区に上陸する過程で、同じような「ヘッドライトの前で立ちすくむ野生の鹿」(Deer-in-the-headlights immobility)症候が現れたのだ。


前もって、ハリケーンについての警戒情報は多数発せられていた。


8月29日月曜日の午後までに、ニューオリンズの洪水の脅威は終焉していなかった。


市の役人は午後2時に、17ストリートの運河の決壊を公に発表した。しかし火曜日に、連邦の役人は、問題の大きさを明らかにしようとしなかった。


そして大規模な連邦援助は先週の金曜日まで届くことがなかった。


イラクにおいては、サダム政権が倒れた直後の重要な1年間、すなわち政府が有効に機能すれば、国内における反乱の芽を摘むこともできたはずの大事な期間に、国家経営の任にあったCoalition Provisional Authorityは、その任に堪えるかどうかではなく、思想上の正しさと人脈に基づいて、メンバーが集められたのである。


ブッシュ政権は、FEMAのスタッフィングも同じ原則に基づいて行われた。


クリントン政権下では、この組織は危機管理に関する、高度な専門家集団だった。


しかしブッシュ政権は、この専門家集団を仲間内に仕事を与えるための天下り先(Turkey farm)に変えてしまったのだ。


ブルンバーグニュースが報じるように、この省の「幹部はブッシュ大統領への忠誠心があるということと緊急時対応の経験がほとんどないという二つの性質を持ち合わせているという点で共通していた。」 


今では、FEMAの今の長官が、前長官Allbaughの大学時代のルームメートということ以外に格段の理由なしに、馬の品評会を監督する仕事から、米国の災害対応のイニシアティブを取るという要職に転じたということは周知の事実となった。



カトリーナに関していまだ報じられていないのは、お金のかかる再建についての話題である。これも、何が起こるかはほぼ読めている。ブッシュ政権に政治的コネのある企業に魅力的なビジネスをもたらすだけで、本当に必要なサービスは決して提供されることはないのだ。


なぜブッシュ政権は同じ過ちを二度も犯すのだろう。理由は簡単で最初の過ちの政治的つけを支払っていないからである。


ブッシュはまたもや説明責任を回避してしまうのだろうか。


イラクでの失敗を隠蔽するような戦術のいくつかは使えない。FEMAがメディアの死者の写真を放映することをやめさせようとしているにもかかわらず、大災害の現実が日々、国内のテレビで報じられている。


厳しい質問をする人々を、軍の士気を損なうと非難することもできない。


とはいえ、ブッシュ政権のイラクにおける混乱の責任回避を可能にした他の要素はいまだに存在している。


メディアは、破滅的といいうるほどの事実を直視するのではなく、彼はこう言った、彼女はこう言ったというタイプの報道へと戻りはじめている。


国民の非難を州や地方の役人に転嫁しようというあからさまな努力も始まっている。


どうせそのうち、批判者に対するネガティブキャンペーンも始まるだろう。


そして政治権力が独立の調査を妨げるために粗雑な形で利用されるはずだ。


ブッシュ政権の責任回避を許していいのだろうか。まだ十分じゃないというのか。


そうならないことを心から望む。


ブッシュ政権が、起こった問題について説明責任を果たさないのならば、これからも過ちを繰り返すだろう。


Michael Brown(FEMA長官)とMichael Chertoff(DHS長官)は大統領から勲章をもらい、次の災害はもっとひどい結果をもたらすことになる。(以上)


破廉恥というか、鈍感というか、醜悪というか、たしかに、一方的な批判という部分もあるのだろうが、ブッシュのアメリカの動きを見ていて、いちいち腑に落ちる。


ブッシュがアメリカの理想を代表するという悪いジョークに、米国の国民はいつまで耐えられるのだろうか。

米国の一般大衆の反知性主義を最大限活用して、彼らの情緒を利用しながら、一部富裕層の利権を保つという、ねじれを利用したブッシュ政治の権力維持戦術にはある意味で感心する。


でも、そんなことがいつまで続くのだろうか。