高橋大輔 ~芸術への道~ | WFS JAPAN

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Daisuke Takahashi – The Way of Art


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このユニークなスケーターについて書かれたアーティクルならば星の数ほどある。私がこれから書こうとしているこの日本のスケーターに関するアーティクルがあなたの注目に値するかどうか、正直わからない。しかし私の考えがあなたの興味をそそることを願っている。
そして、この有名なスケーターがこれまで獲得してきた全てのタイトルや収めてきた勝利をここで羅列することなど、意味の無いことだとも考えている。なぜなら、多くのフィギュアスケートファンはそれらについて良く知っているであろうから。だとしても、形式上、彼の業績の中の最も重要なものを紹介しようと思う。

高橋大輔。2010年バンクーバーオリンピック銅メダリスト、2010年トリノ世界選手権チャンピオン、2度の世界選手権銀メダリスト(2007年、2012年)、2度の四大陸選手権チャンピオン(2008年、2011年)、そして5度の全日本チャンピオン(2006~2008年、2010年、2012年)。

彼は日本を代表し2006年と2010年の冬季オリンピックに出場している。彼が2010年オリンピックで獲得した銅メダルは、日本男子シングル界において史上初となるメダルとなった。

2011-12シーズンのスケートカナダで、大輔はSPで84.66ポイント、FSで153.21ポイント、総合237.87ポイントで銅メダルを獲得。NHK杯ではSPで新たなパーソナルベストを更新する90.43ポイントを獲得してチームメイトである小塚崇彦に10.66ポイント差をつけリードを奪った。総合スコア259.75ポイントで優勝、そしてGPF出場権も手に入れた。ファイナルでは銀メダルを獲得。全日本選手権ではSPで96.05ポイントを得て第1位、FSではスコア158.38ポイントで第3位。総合254.60を獲得して小塚崇彦と羽生結弦の上に立ち、自身5度目の日本チャンピオンとなった。そして2012年世界選手権出場切符を得て、そこで銀メダルをも獲得したのだ。

高橋大輔のシーズンの仕上げは2012年世界国別対抗戦。SPでパーソナルベストを再度更新する94.00ポイント、FSは182.72ポイント、総合スコア276.72ポイント。男子イベントを制してシーズンを終えた。彼がマークしたSPスコアは男子シングルの新たな世界最高得点でもある。

一部のスケーターだけがどうして世界中のファンの注目を集めるのか、私は度々自問する。なぜ私たちは、そのスケーターのパフォーマンスを何度も何度も見たくなるのか?何故私たちは、そのスケーターのパフォーマンスの間、全てを忘れ引きずり込まれているのか?未だ答えを見つけられない。いくつかの“もしかしたら”があるだけだ。

高橋大輔のキャリアは、たった一言で説明することができる。ああ。驚かないで。何人かの大輔ファンは腹立たしげに思っているだろう:“一言ですって?!何回優勝したと思ってるの。最高のパフォーマンスがどれだけあったと思ってるのよ。何十万人ものファンがいて、あなたはたった一言で片付けようとしてるわけ?!”良く解る。もっともな意見だからね!

しかし、日本語にその一言はあるのだ。僅かながらでも日本文化を知っている人ならば、私の考えを解ってくれると思う。日本の文字は、他の言語のサウンドや語彙構造とは非常に異なっている。その文字の一つ一つが深い意味を持っているのだ。こういうのは、伝統的西洋的解釈のサウンドや単語ではない。もっとずっと深く、其々の日本文字にとって必要不可欠な部分。古代日本には、象形文字で表現するアートさえ存在した。人々はただその書の極みに達するため、日々を、年月を、その作業に費やした。


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ご覧の通りこの章の冒頭にある文字。私の考えでは、高橋大輔の全てのアートワーク(彼の滑りは本当に芸術的だと言える)を説明するに、これ以上ふさわしいものは無いと思う。この文字は、その深い意味合いと共に“Way”と訳すことが出来る。

人生に近道などなく、真直ぐな道のりでもない。その“道”という文字の左側を注意深く見たならば、それが良く解ると思う。そして自分の辿ってきた道を思い起こしてもらえれば、もっとハッキリと解るだろう。大輔が辿ったフィギュアスケートの道のりもまた、真直ぐなものではなかった。栄光の極みと痛みを伴う下り坂と。しかし、その困難さえもその“道”の一部なのだ。そしてそれなくして、母国の歴史に名を刻んだ2010年バンクーバーオリンピックの銅メダル獲得を想像することすら不可能なのだろう。

勝利と敗北は二つで一つの形を作り、人生やスポーツにおいて積みあげる経験となり、その人の人格を作り上げる。
その道を辿った経験のあるスケーターは、そのパフォーマンスにより深いハーモニーを奏でるのだ。


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大輔が見せるパフォーマンスは単にフットワーク、ハンドワーク、体の動き、などと分けることは出来ない。ああ、技術的には分けることは可能だ。しかし、彼のパフォーマンスが持つ全ての美を理解しようとしたならば、完全に全ての詳細を感じ取らなければいけない。いいや、感じ取ろうとするんじゃないんだ!ただ見て“感じる”んだ。感情は向こうからやってくる。そして感じるその感覚を正確に説明するのは困難だろう。この信じられない感覚こそが、大輔が辿った“道”が生み出すものなのだ。

彼は彼自身のユニークな道から逸れたことは無い。フィギュア界で絶えず変る必要条件と傾向の最中にあっても、だ。彼はそれを受け入れる。しかし彼は熟達者として、プログラムに必要な変更を滑らかに混ぜ合わせ、世界中の観客を彼の世界へと誘いつづける。誰一人として、本当のところその“道”がどういうものであるのか解らないだろう。考えることでそれを知り理解することは出来ない;心と魂とでただ感じるのだ。

氷の上の大輔は集中し、そして寛いでいる;主要なことに集中し、同時に詳細なことに注意を払う;その一瞬に浸りきってはいるが、現実から遊離してもいない。その過程の最中もその道から逸脱することない。これは東洋の哲学者によって記述された状態でもある。その人が自分だけで調和しているのではなく、周りの人々にもこの驚異的な感覚を振りまく方法。人の真価に達する、唯一の道。それこそ氷上の大輔が繰り出すもの。


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氷上での彼の滑りは日本の書道と比べることが出来る。文字それぞれが完璧さを備えている;線の一本一本に意味があり、交わる全ての線が一つの非常に見事な美しい絵を描く。

大輔にインタビューできた私は幸せだ。彼が発する言葉の一つ一つから、フィギュアスケートは彼にとってアートなのだという想いを感じることが出来た。それが彼の道なのだと。失敗や怪我、そして公平とは言えないジャッジングがあっても、彼は道を歩み続ける。ただ歩み続ける。なぜならば“別の道”など歩みたくはない。歩めないのだ。なぜなら“別の道”は“彼の道”ではないから。これまでの彼がそうであったように、これからの彼も自身の道のみを忠実に歩むのだろう。
人は他人の望みに沿うのではなく、自らの生きる道しるべにのみ沿うべきなのだ。
それが“道”という文字が持つ深みを理解する唯一の方法であるから。