ばあちゃんが亡くなって。
早いもんですな…
ばあちゃんが倒れたのは、3.11だったそうです。
ちなみに母方のばあちゃんが亡くなった、ちょうど一ヶ月後だったりもします。
前から下血していたらしいのだけど、本人は病院行きたくないから隠してたらしい。
同居の叔母は、本人の意思に任せて医者に連れて行くこともなかったそう。
もうちょっと発見が早かったら…と思わざるを得ません(´・ω・`)
まぁタラレバですけどね。
浴衣を着せられて横たわるばあちゃんは、1ヶ月の入院でちょっと痩せていたけど
相変わらず髪は黒々としていてとても97歳には見えなかった。
白髪なんて、下手すりゃ越後屋の方が多いかも(笑)
3月にお見舞いに行った時、足が鬱血して紫色になってたけどそれもなく、
でも点滴を打っていた左手の甲にできた赤い痣が、あまりにも痛々しくて見られなかった
今まで祖父母を見送ってきたけど、足に足袋を履かせたり
わらじを置いたりしたのは初めてでちょっと戸惑った。
寝かされていた布団から、棺に納めるのを手伝ったのも初めて。
…というかすぐに駆け付けられなかったからなのか
火葬の時、”お小遣い銭”を入れたのは皆一緒。
他の地域にはない習慣なんでしょうかね…棺に紙に描かれたお金とか本物の小銭を入れるの。
左が上から父方祖父母、右が母方祖父母。
この7年で、4人みんな旅立ってしまった。
…と言うか祖父母全員、7年前までは健在だったことがすごいよね。
ちなみに父方ばあちゃん、遺骨はけっこーしっかり残ってた。
父方じいちゃんは焼く時間を延長してもなお骨格標本並みに残ってたけど(笑)、
ばあちゃんも腰回りの骨や頭蓋骨の眼窩のところがビックリするぐらい形が残ってたよ。
前から『ばあちゃんは骨太だし骨格しっかりしてる』って思ってたけど、さすがでした(*'ω'*)
すっかり引きこもりの越後屋、ここまで骨が残るかちょっと心配になって来た…←
ちなみに真っ黒い塊がゴロゴロしてたので、火葬場の係りの人に聞いたら「(お供えの)お団子です」ってΣ(・ω・ノ)ノ!
すごいな団子…こんなに残るものなんだ
越後屋も負けないように今から鍛えておきます(真顔)
桜はまだまだだったけど、実家の梅の花はきれいに咲いてたよ。
※家はお隣さんですw
”願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ”
という西行法師の詠んだ歌…ずっと桜の花だと思ってたけど、如月だったら梅の花なのか。
越後屋は桜か桃の花を見てからがいいな…としみじみ思う、4月なのに夏日の午後でした。