2000年2月22日は三重県南島町の芦浜原発建設計画が白紙撤回された日です。 | 還暦からの人生革命!100まで現役で走るために!瞑想と催眠で心を過去から未来へ繋げるお志事クリエイター

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すこし前の話になりますが、
2月22日に伊勢観光文化会館である講演会がありました。


2000年2月22日は当時の三重県知事北川正恭知事が
三重県南島町(現南伊勢町)の原発建設計画を白紙撤回した記念日でした。

そこに至るまで
南島町の漁師さんたちの
37年間に渡る長くつらい戦いの歴史があったのです。

原発計画で町は分断されて
人々は対立し、いがみ合い
反対派の人たちには様々な嫌がらせがありました。

それにもめげずに南島町の漁師さんたちは
粘り強くしたたかに戦い
ついには原発計画を断念させたのでした。


それから11年後、福島第一原発が大事故を起こしました。

幼い子供をもつ若い伊勢のお母さんたちは
放射能から子供たちを守るために
ハハノワという子育てグループを結成して
放射能被ばくの情報交換や勉強会を始めました。
その流れで

2012年は
武田邦彦さんの講演会を企画し、
1000人以上のお客さんを集めました。


今年は
三重県ニ原発建設ノ計画ガアッタDo You Know 芦浜?
というタイトルでの講演会でした。

ポスターがオサレでかわいいです。

芦浜原発建設を止めた反対運動の中心人物、
旧南島町にお住いの小倉紀子さんと大石琢照さん
元南島高校教師の柴原洋一さんを招いて
37年間の戦いのお話を聴かせていただきました。

会場には150人ほどのお客さんが詰めかけ満員です。


ぼくも会場でお話を聞きながら
落書きをしていました。


原発建設計画の持ち上がった街では
人々の心や地域のつながりがずたずたに引き裂かれました。

賛成か反対かに分かれて同じ集落でいがみあい
反対派にはずいぶんな嫌がらせや脅迫ときには
暴力も受けました。

夜中にかかる無言電話、
頼んだ覚えのない商品が次々と送られてきても
警察に言っても何も動いてくれない。

原発との戦いは お金との戦いだ。 

と言う言葉が印象的でした。

逮捕されるかもわからないのに、恐怖を感じなかったのか?という質問に
恐怖心など全く感じなかった。
自分たちは全く悪いことをしていないので
逮捕する方が悪いのだと思っていた。
逮捕者を出してもここで止めなければ
終わってしまう。(建設が強行される)
大きなものと戦うには
大きな犠牲が必要だ。

淡々と語られる言葉の一つ一つが鋭くて
原発という巨大なものに
押しつぶされまいと抗う人々の叫びが
心に突き刺さりました。


「子供たちも
背広姿の人間を町内で見つけると追いかけまわし
『死んでけ!』と罵声を浴びせていました。
『そんな事を言うたらいかん。』と叱ると
『お母さんたちだって言うとるやん!』と、
子どもに言い返されるのです。
あの時、
私たちは異常な心理状態でした。
大きなものと戦うにはかなりの犠牲が必要だったのです。」

そうして海洋調査を受け入れる決議をする
漁協の総会を阻止すべく
逮捕覚悟で坐り込もうとした若者を
おばあちゃんたちが押しのけて機動隊の前に座り込み
結果、一人の逮捕者も出さなかった。

など生々しい証言が語られました。

37年間もの間の長い戦いの末、
150万三重県民の半数以上の81万人の署名を集め
2000年2月22日当時の北川知事がとうとう
原発計画白紙撤回の決断を下した。ということです。


その後、機動隊の一人から大石さんに電話がありました。
「機動隊の○○です。今からは機動隊の○○ではありません。
尾鷲の漁師の息子として言わせていただきます。
ありがとうございました。」

私たちの地元伊勢からわずか40㎞の南島町(現南伊勢町)で
そんな壮絶な戦いがあったのです。


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