ネットラジオと小料理屋を書こうとして、ふとこのブログ、「本と書評」みたいなジャンルに属していたことを思い出した。ネトラジ と小料理屋も、結局のところ(曰く言い難いのだが)、バルザックのジャーナリズムのように、身に付いた匂いのような、よくこなれたパンクなSF映画の埋め込みチップのように、ことさらにITなどと言挙げされる時代を終えて、なじんだアンダーウェアや、スーツや、汗や、皮膚のようなものへと沈降していくはずのものだから、このブログのジャンル云々もやがては意味をなさないものになっていくはずで、そこへ一歩でも二歩でも押し出さそうという試みなのだ。しかも、それはサイバーパンク的ではあるかもしれないが、SFではなく、すでに現実に生きられ始めている。で以下では本の書評が綴られるのだが、これは、あるバーのIT担当者、SEからあずかった文庫についてのレビューであって、それはソーシャルネットワーキングサービスのつながりと、実際のバーでのリアル会話と連なって一度は、SNSの「日記」の類に格納されたものなのである。で、それは原則的に二度と逆リン、リトリーバルができないという欠落感、戦慄を託つことにもなるのだ・・・。

スティーヴン キング, Stephen King, 浅倉 久志
幸運の25セント硬貨

スティーブン・キングの作品というのは、映画化されたものでこういう作風のホラー作家、というイメージが定着しちゃってるとこがあるが、こういう短編集は、まったく違ったキングの側面を発見させてくれることがある。だいたい『シャイニング』だって、あれはキューブリックのシャイニングで、勿論あれはあれで凄い大傑作映画なのだが、文字で読むと随分違うはず。


表題作「幸運の25セント金貨」は、結局くるくる回る永劫回帰というか、悪循環というか輪廻というか、勝っては負け、負けては勝ち、鴨川の水は絶えることがありません。そういう多くの人生にとっての幸せっちゅうものの実相をスケッチした小品だと言っていい。訳者も言うとおり「しみじみとしたいい話」(「いい」かどうかは異論があるが)。
と言うのも、ただ一つだけ気になることがある。もともとネタバレというほどの大がかりの仕掛けがある作品でもないので大丈夫だろう。


ある単語のスペリングミスのことだ。タイトルにもなっている「幸運」の英語の綴り。
(なぜか、読後に、こうして後付けで書いていると、あらためてゾっとしてくる。やっぱホラーじゃん!!)
あのね、最初ね、「幸運の」ってところがねluckyじゃなくて、luckeyなのね。
(あ、こりゃやっぱりネタバらしになるのか?)
でね、あとで色々調べてみたらね、
lack・ey
n. 従者, 下男; 追従(ついしょう)者.
━━ v. 従う; へつらう.
lack 欠如。
lucentから光る鍵も連想させる、なんてね、いろいろ考えさせられるわけ。
「あ」の音が違うんで、ネイティブがどう思うかは知らんけど。なんか近いことは連想するだろうねきっと。

さて、『神々のワードプロセッサー』に出てくる、キーの刻字「Execute」(最近のキーボードのReturnや、Enterと同じ働き、同じ位置にある)もそうだった。刑の執行、とりわけ「死刑執行」を意味する。
日本で言えば、まったく作風もジャンルも異なるのだが、喩えていえば森博嗣(もっとふさわしい例ないかなあ?)に似たものが着想においては働いているのではないか。数学パズル好きを唸らせるような着想、発想におけるセンスをスティーブンは、ふんだんに持っているのではないか。絵描きで言えばエッシャー。しかし、仕上がりは見る者にモチベーションを決して悟られることのないような、狂気のうずを巻くゴッホのような、そういうタッチを擬態して読者を煙に巻いているのではないか。そういうことに、あらためて気づかされる短編集だ。 で、ホラーには映像化できない醍醐味というのがあることを、特にこの「25セント硬貨」は教えてくれているように思う。


一度誰か、そういうキング作品のなかのアナグラムのような、パズル解きのようなワードがどれくらいちりばめられているか、スキャンしてくれると面白いと思う。但しすべて英語版を使用することが必要になる。
なんか英文学の卒論か、修論程度のネタにはなりそうだ。このレビューを読んで、もしそういうものを書き上げた、ないし書こうと思い立った人がいたら、必ずコメントし、クレジットしておくように(笑)。
次は同じ短編集のなかの「道路ウィルスは北へ向かう」を取り上げようと思う。
これは本人も言ってる「変化する絵」タイプの作品。怖いに決まっている!


(★なおこの文庫は、中野坊主バーのSE、annoyさんより半永久的にお借りしたものです。この場を借りてお礼申し上げます)。