東京大学附属病院分院(目白台) | 21世紀の健康社会を創造する

東京大学附属病院分院(目白台)

東京大学附属病院分院(目白台)は、お袋が57歳のとき1ヶ月間入院した病院である。今も、89歳で元気に暮らしている。この病院は、100年の歴史があったが、いまは、教育学部の施設になっている。
$21世紀の健康社会を創造する(2010年3月撮影)

 宮沢賢治の妹トシが大正7年12月下旬から大正8年1月下旬まで入院していた永楽病院の前身である。永楽病院は、文部省医師試験・薬剤師試験附属病院であった。
$21世紀の健康社会を創造する 永楽病院正門(出典:東京大学医学部附属病院分院のあゆみ)
$21世紀の健康社会を創造する永楽病院の配置図(出典:東京大学医学部附属病院分院のあゆみ)

大正6年8月1日を以て東京帝国大学医科大学附属医院分院を創設開設している。
私費並びに官費を以て外来入院患者を診療した。(出典:東京大学医学部附属病院分院のあゆみ)
宮沢賢治の妹トシが入院した時は、永楽病院でなくて東京帝国大学医科大学附属医院分院が正しい。

 もともと、大正時代から看護婦養成所があり、そして東大臨時医学専門部で軍医養成。戦後、日本での大学出身のエリート看護婦養成もしている。衛生看護学科である。10年間続いたが、本郷に看護養成課程が移り、残った先生によりはじめて中央検査部が生まれた。ここの特徴は、臨床化学の超微量の検査です。サンズピペットとADS比色計と佐々木の連続ピペッターで血清と試薬を微量化でき、当時の検査室のイノベーションであった。特に小児科検査に威力を果たした。また。胃カメラの研究・開発の場所である。
平成13年4月をもって本院と組織統合になり100年の歴史を閉じた。
$21世紀の健康社会を創造する西門 動物小屋と解剖室があった。一部病棟と研究室・宿直室の建物 工事中の講談社 (2010年3月撮影)

21世紀は、本郷から
東大キャンパスの集中化で本郷地区、駒場地区、柏地区になり 田無の原子核研究所もなくなった。 このように見て行くと古い大きな大学も時代とともに進化している。死んでいく大学組織、新しく生まれる大学組織。変化の時代になりつつある。より財源確保のために動きが早くなるのかもしれない。古い時代の大学文化遺産が失われていく。