おれだって破れたいんだ
低い空から日射しがこぼれ落ち
路面が冷たく光っていた
人通りのない住宅街で
会話が 途切れたまま
コンクリートの塀に沿った坂道にさしかかって
立ちどまり
振り返らずに わたしは
雨が降ったの と 呟く
問いかけた つもりが ひとりごとになる
半歩うしろから
こたえる声は返ってこない
束ねたキイをもてあそぶ音だけ
年下の男だった
年下の
男 だった
苦しくて
ブラウスの釦をもうひとつはずしても
低い空の下
塞がれてしまいそうな躰が 苦しくて
破れ目が欲しくて わたしは
振り返り
あなたが好きだ と
唇が 開く
年下の男が驚いた顔をする
坂道
滑らないように 爪先に力をこめて
上りはじめると
うしろから 硬い指が
わたしに追いつく
黙ったまま
年下の男は私の胸元に もたれかかるように唇を押しつける
魚のようにざらり冷たい唇
こたえる声なんかなくていい
胸元から破れて
コンクリートの塀に背中をこすりつけながら
もっともっと破れて
坂道を
暗い空の方へ
上りつめたい
背中が 濡れる
雨 だろうか
いいえ
雨は
これから降る
< 川口晴美「六月」 >
雨の匂いのする六月の低い空の下はせつなくやるせない。
この詩に切実にただようこの思いに魅かれる。
さりげなく盛りつけられた言葉の手料理を味わううち、適度な行間の飛躍から立ちのぼるせつなさに浸ってしまう。
漠然とした恐れと期待、衝動と不安を抱きながら毎日をやり過ごす。ひりひりするような現実の肌ざわりが欲しい。「今日一日を生きた」と思える証となるものが。
「年下の男」も「ブラウスのボタンをもう一つはずす」のもいいけど、なにより「破れ目が欲しい」わたしの思いは切実だ。
だから陰うつな空を見上げ、一雨来る予感におびえて言ってしまう、「あなたが好きだ」と。そうして押し出されてしまったかのようにして、今日のストーリーがすべり出す。
それにしても、「せつない」なんて思い、ずいぶん味わってないな。
いつからかスクリーンから抜け出て、他人事になってしまった。
「恋」、衝動につき動かされて狂おしく、ただ、恋なるものを求める恋。
その人の前では足が震え、声がうわずり、血が反乱を起こす恋。
それは今のおれにはかなわぬことなのか。
なんて作品の虚構から現実のつぶやきを引き出してしまった。
言葉の運び方、行の切り方といい、素材、プロットのとり方といい、この詩がかもしだすムードにはそんなリアリティがあると思うのです。