美の追求 | 実存的な☯あまりに実存的な

美の追求

美の追求はあらゆる結果を許容するものか?
僕の答は否である。


新しい秩序を求める方向性と同時に
甘美な世界に誘い込む美しさをあわせ持つ芸術・美は
時代が欲しているものとして共同体のひとつの願望として
容易に受け入れられる。


例えば、ドイツ第三帝国で称揚された芸術・美を想起してほしい。


美は自己と他者の間隙を埋める熱狂を生み
自己と他者の媒介項となり
自己を無化し
集団のアイデンティティーを作り上げ
全体主義を高揚させていく。


このような自己を無化する美の追求は断じて許されない。


ここでプラトンの詩人追放論を
いま一度想い起こすべきではないだろうか。


人々のパトスを刺戟し煽動する芸術家・政治家は
追放されるべきではないか。


人々のロゴスを刺戟し主体的で理知的な思考と行動による
美のイデアへの上昇を促進する
美こそが追求されるべきではないだろうか。



みなさまの1日1回のクリックが

僕のロゴスを刺戟します。


現在31位

クリックで投票!