昨日の第10回の続きです。

Hさんに妙なこだわりを見せる理由は、別にモデルの方とのそういうどうのこうのだけではありません。
ただ、モデルにした人の影響を受けないキャラクターというのはいないと、僕の小説の場合は断言できます。

例えば主人公の妹、未来はモデルのTさんに立ち振る舞いを似せたつもりです。
書いている途中にモデルを決めたんですが、そこから未来の出番が増える増える、動かしやすいことこの上なく、性格もほぼそこで決まったと言っても過言ではありません。
(つーか未読だと意味ない文章だなあつくづく 早く公開しないとまるっきり内輪ネタだなあ)

そして今作「すべてへ」が完成をみて少し時間が経った今にして思うわけです。
主人公やヒロインを差し置いて、ストーリー展開上のキーパーソンが対馬冴だったなあ、と。

だからHさんがいなければ、「すべてへ」が今のような仕上がりになることはなかったということになります。
今のような仕上がりにならなくても納得のいく作品になることはあり得ます。でも、僕の中での「すべてへ」は、完成した現在の「すべてへ」が唯一無二なわけであって、それ以上でもそれ以下でもなくただHさんにはありがとうなわけです。

たびたびネタ同然の扱いでHさんについては書いてきました。
繰り返しモデルに使う動かしやすい、想像しやすい人として。
(住田弁護士の少女時代とか新桃太郎の桃太郎とか、完全にネタにしたこともありますが今回は関係なし)
ただ、作品の規模とかけた時間が大きいということを差し引いても、一番影響を受けたのが今回だと思うわけです。

「中学に入ってすぐな、うち、なまり直してしもたから」

僕的ハイライトシーンから最小限の抜粋です。
対馬冴は主人公と知り合った小5の頃には西日本系のなまりがあった、という半ば思いつきの設定があり、結局重要な場面に色をつけることになったんですが、生まれも育ちもみかんの国である僕にはよその方言なんて解るはずもなく、結局はまあ、伊予弁でごまかしてあります。
Hさんの一人称は、“うち”と“あたし”が混じっていたとおぼろげながら記憶しています。


6年間同じ小学校に通った僕とHさんが同じクラスになり、よく話すようになったのは6年になってからのこと。
共有したものはそこまで多くなく、後々になってこれほどまでに影響を受けるとは思いもしませんでした。

今思えば、対馬冴は僕の中にあるHさんのすべてだったのかもしれません。

センチメンタリズムの話に戻ります。
中3のはじめに引っ越しはしましたが移動距離たったの数百メートル、ずっと同じ街に住みしかし出身小学校からひとり私学に進学した僕ですから道や街や電車や駅で小学校時代の友人と会うことも時たまですがあり、物珍しさもあるのか声をかけてもらったり話したりもします。
でも人付き合いと会話のキャッチボールが苦手なので往々にしてさらっと形式的なやりとりだけで別れてしまうことがほとんどです。

中学卒業までは同窓会と称して集まって思い出話や無駄話をするというイベントもあったのでそんな旧友たちと長く話すこともありましたが、出くわしたものに限ると、そしてちゃんと(僕の基準で)内容のある会話をしたのはHさんのケースのみになります。

「背、伸びたね」
「声、低くなったね」
「やっぱり(僕の名字)ってば、すごいね」

第10回の終わりに付け加えた台詞、もちろんHさんの僕に対してのものです。
客観的事実。単なるお世辞。僕だって解ってます、解っているつもりです。

でもこういうことって、毎日学校で顔を合わせる友達やひとつ屋根の下で暮らす家族には言ってもらえないことじゃないですか。
進学校にいて、成績は上の中くらいにしがみついています。友達には認められます。先生は単純に励ましてくれます。両親はうるさく言わずに見守ってくれます。
無条件(ときに無責任)に褒めてくれるひとは、今の僕にはいません。

もちろんそれが不満だとか不幸だとか言うつもりもありませんし、今の友人関係なんかも満足そのものです。
ただ、普段勉強や生活態度、あるいは引退前は放送委員会の仕事などでしか他人に評価されることがなかったからともすると儀礼的なあの言葉がいやに嬉しかった、ような気が。もう2年半も前のことです。

書いてきて解ってきた。俺褒められたいだけか……ってそれはいいとして。


ただ実感として多分、そのHさん、今なんとなく会いたい、会って話したいHさんと会うことは二度ともうないんだろうな、ってのがあって。

またしても明日(またしても予定)に続きます。
ようやくにして“結果論としての永遠”の話になる……はずです。