夏の旅の記録が書き始まります前にブログ移転のお知らせです。
ホームページをFC2で管理している都合上,ブログもFC2で管理したほうが都合がよいのが最大の理由です。
そのほかにもレイアウトのしやすさなどの面で思うところがあり,移転することとなりました。
移転後のブログは
http://wasedacc.blog50.fc2.com/
となっています。
これからもよろしくお願いします。
なお,当ブログも当面の間残していく予定です。
てにいれたぞ!
ごきげんよう。T村です。
本日新しいフォークが届きました。
ストレートからラグ仕様への・・・
それはさておき、
秋季ヤビツ峠タイムトライアルの結果を
ご報告いたします。
今朝は肌寒く感じましたね~。
風邪気味の人もちらほら。
O太さんは相変わらずメット常備。
確かに日本は地震多いけど。
Y田さんがバンダナを巻き始めたのは
前回ヤビツTTからのこと。
こちらはK和さんの自転車、軽量化でしょうか。
三段スパイダーも涙目のフロント一段仕様。
そしてシングルになってしまったシフトレバー。
なぜ彼はランドナーなど買ってしまったのか。
それでもなお泥よけは外さないという姿勢。
彼曰く、泥除けはランドナーの顔だそうです。
どなたか顔の余っている方がいらしたら
私まで連絡下さい。
本所の650A用の分割型のやつです。
秦野駅出発。
この中に早稲ジャーを着てないものがおる。
N村さんのジャージは洗濯機に喰われたそうです。
鳥居後の激坂でご歓談の後
蓑毛で一休み。スタート地点です。
今回気づいたのは、
ヤビツTTのハンガーとして
最適なバナナの本数は1.5本だということ。
2本持っていって余った分は
M崎くんが食べてくれました。
そんな時、主将に詰め寄るロードの影が。
現れました38期OBのM山さん。
「ジャージ格好イイネ!」と
励ましを頂きました。
M山さん然り、休日にヤビツ峠に行くと
だいたいWCCの人がいるようですね。
格好いい黄色いジャージをきて行くといいことあるかも。
一輪車で上られた猛者もいたようです。
資料局の孤独な30分間が終わり、
峠に続々と黄色い連中がやってきました。
ざわ・・・ざわ・・・
結果発表
↓ ↓ ↓
●M崎(1) 33:53 (-3:01)(前回比)
肺のバーストからよみがえったこだま。
WCCに染まってしまった最初の一年生。
●N村(2) 33:31 (-3:52)
一週間前、
「今回のヤビツはちょっと(好機が)あるかも」
といっていた人。ストパーかけてみては?
●T中(1) 32:40 (n/a)
ヤビツTT初参加にしてこのタイム。
夏合宿白ジャージ保有者。インドで何があった。
●S谷(1) 31:38 (-2:44)
―DAVOSを継ぐもの―
だからキャリアは置いて来いと。
●I隈(1) 31:00 (-8:14)
いろんな意味でダークホース。
キャップ賞授賞。
●O太(2) 30:53 (-8:52)
Mr. Methven。流石の適応力。
ソックス賞授賞。
●S藤(2) 30:16 (-1:39)
破壊神にしてホームページの創造主。
30分の壁まであと一歩及ばず。
●Y田(3) 29:42 (-1:04)
しゅっしょぉぉぉ!!!
30分を切ることができてご満悦のご様子。
●K村(1) 29:42 (-2:56) ■
ヤビツで返り咲いた白いフェデラル。
白いジャージとの組み合わせでこの秋を先取り!
(ファッション的な意味で)
●T中(2) 28:11 (n/a)
降臨せり。ネ申さん。一年ぶりのTT。
ハンドルの角度を変えたのが良かったらしい。
●T村(2) 27:13 (-2:35)
なんと一年前の今日から
二位の座を守り続けてまいりました。
●K和(3) 24:30 (-1:25) ■
足しげくヤビツへ通う覇者。
それは一位という名のエキシビジョン。
DNS勢の皆さん:
●T邊(1)
●I井(2)
●S山(2)
夏合宿を終えただけあって
みんな速くなっていますねー。
誰かが自分の後ろについたとき、
ギアを上げるかギアを下げるか、
自己ブレーキをかけない強さが
必要なんだなーと感じました。
まあ私は一人ぼっちだったんですけどね。
次回はもっと速く走りたいものです。
参加された皆様おつかれさまでした。
おまけ。
今年も秦野タバコ祭りが賑わいをみせていました。
おしまい。
ほとんど出来上がって、送信ボタンを押すだけだったのに記事消えた。なんなの?書き直し~。
part3は東京を出て6日目、尾鷲を出て3日目の8/10からの記録です。
道の駅なちを早朝に出た我々は熊野詣のうちのひとつ熊野那智大社へ行く。
世界遺産の熊野古道というのは熊野三社である熊野本宮大社・新宮速玉大社・熊野那智大社に至る古道のことをさし、それは紀伊半島一帯に広がる。
また、古道という道が遺産であるため、修験僧が通った山道であったり、神社に至る門前道であったり、はたまた現在は幹線道路になっている国道までもが世界遺産なのだった。
そういうわけで至るところに「世界遺産」の看板がある。道をじかに走る自転車旅行にとってこれほど世界遺産を体感できる場所はなかなかないだろうと思う。
さて、早朝に出たにもかかわらず太陽はジンジンと照り始め、さらに那智大社は山の上にあるため時速10km/hにも満たないペースでのんびりと登らされ、早くも体力を奪われ始めていた。
やっとのことでたどり着いた那智大社は絶景。山の上にあるということもあり、神々が降り立つような雰囲気がある。
ここでは八咫烏(やたがらす)も祭られている。八咫烏とは神武天皇をこの熊野の地に案内したとされる3本足のカラスのことで、現在ではサッカー日本代表のユニホームのデザインにもあっている。
この時、女子サッカーがW杯で優勝し、沢選手などもこの那智大社の勝守をつけていたということをさかんに宣伝していた。普段は悪者のカラスだが、天皇を導いたように、ゴールを導く案内役として描かれているのだそうだ。
少し下ったところにあるのが、熊野古道のハイライトである那智の滝だ。日本一高さから落下する。写真では遠いところに映っているが、滝壺間近まで行くことができる。巷で流行っているパワースポットを越えるような空間でおすすめ。
那智大社を満喫したら予定では再び道の駅まで戻り国道を走ることになっていたのだが・・・。
コアラ「この道まだ続いてるよね。アップしてるしちょっと行ってみようか。にやにや」
メスベン「う、うん」
はははっ、下るとでも思ったか!これぞWCC。「とりあえず登るほうに行け」のおきてに従い進むことに。
すると、登る登る。海を見守る観音様にあいさつをし、山道をうねうねうねうねと。
「あとちょっと、あとひと巻で峠じゃない?」と何度言ったことか。。。いやはや絶景ですなぁ。
道の後ろに点のように見えるのがメスベン氏。「絶対に許さない」とか思っていたのだろう・・・
峠について一気に下ると、朝以来に沿岸部に出て太地町という小さな町に到着。くじらがお出迎え。
そう、この町はもともと捕鯨基地で栄えた町。現在も行われているのだが、昨年アカデミー賞で賞をとった映画「ザ・コーブ」やシーシェパードの活動によって、そのあり方が妨害され、また見直されている。
そんな渦中の町のなかで我々はクジラ丼をいただく。これがうまい!ごはんも大盛りに、デザートもつけていただいて感謝。さらに今晩のおすすめキャンプ場まで教えていただいて至れり尽くせりでした。それにしてもメスベン氏は黒く焼けてんなぁ。
おなかもいっぱいだし、暑いから2時~4時は走るのをやめようということにしていたので、今日は海水浴。
海きれいすぎ。こんなところで泳いじゃうと江の島なんかに行けなくなっちゃうと思う。去年の山陰も素晴らしい海だったが、ここもいい思い出ができた。というのも、写真にはないのだが、われわれはこの海でクジラと泳いだのである。
写真の左中ほどに養殖場のような足場がわかるだろうか?この中に実は太地町のクジラが飼育されており、我々が行った時間に、たまたま解放の時間となりクジラがこの海水浴場に解き放たれ、人間と一緒に泳いだのだ。
このクジラは体長3mほどのコンドウクジラ(だった気がする)で、飲み込まれるほどデカいクジラではないものの、サプライズ海水浴を満喫した。ちなみにこの浜は9月からイルカ漁(追い込み漁)が行われ、シーシェパードに対して海上保安庁や警察官が厳重警戒態勢を引く緊迫した状況になるらしい。
太地町から海岸線を走って本州最南端の串本町潮岬が本日のキャンプ地。台風の映像でよく出てくる場所だ。
この日はスパゲッティ―を作って寝る。月がきれいだ。
右の写真は朝焼け。今日が前プラ最終日。紀伊半島の田辺というところでWCCの本合宿が始まるのだ。今日中に何としてでも着かなくっちゃ、と意気込んで日の出のころにはご飯を食べ始めていたのだが・・・
真ん中の人は誰?と思うことなかれ。彼こそが潮岬のキャンプ場に出没するオッチャンや!
「自慢じゃないけんな、ワシ、このキャンプ場の口コミサイトに載ってんや。誰かが書いてくれたんやろな」
「早稲田のやつはたまに見るけど、慶応のやつは一回も見いへんな~。なんでやろ?」
「慶応生はロイヤルホテルにでも泊まってるんじゃないですか」という答えに大うけして、その後アドレス交換。
楽しいお話と潮岬・串本観光をしているといつの間にか日が昇ってるではないかい。
出発しても車で我々を追いかけてきてくれ、さらには職場まで招待し、ジュースをおごってくれたオッチャン。ほんとうにありがとう。
旅の醍醐味はこういう人との出会いにあると思う。旅先で出会う人運というのがあれば、自分は1位や2位に入れるだろう。出会う人によって新しい情報を得たり、違った考え方をするきっかけになったり、旅先で自分の感覚が研ぎ澄まされている分だけ、大きな影響を与えてくれるのだと実感する。
人と出会うというのは集団の旅行ではなかなかできないことだし、さらに、自転車旅というスタイルは、人との隔たりが少ない形である。ぜひ、まだ見ぬ旅人、まだ見ぬ知らない人に会ってみたいものだ。
おじさんと別れた後はひたすら国道42号を進む。
途中イノブタランドという道の駅に寄り道。イノシシとブタを掛け合わせてできたイノブタが飼育されている。道の駅は日本国から過疎化のために独立した珍小国家のイノブタランド。写真は王様とお姫様。
さらに進むともうここはリゾート地、南紀白浜。海水客が海水浴場にうじゃうじゃ。
しかし、このきれいな海に入らないことができようか。海がきれいなのはもちろん、砂も白くサラサラ、行きかう女の人も白黒混じりピチピチで目の保養になったようです←これはメスベン氏が言ってた。
その後、海沿いを走っていると人だかりがあったので停車。話を聞いてみると、岩と岩の間に夕日が沈んでいくそう。太陽高度の関係からここ数日がチャンスだという。これは前プラのクライマックスにふさわしい、とてじっくり待って写真を撮ることに。結果はご覧のよう。
まさか、穴の部分に雲がかかっているとは。。。残念。
ちょっと落ち込みながら、暗くなった国道42号を走り、WCC部員が待つ田辺へゴールしたのでした。
さて、この記事を書いているのは9/14日、実際に走ったのは8/10~11日です。
前プラと本合宿で行った紀伊半島は9月上旬の台風12号により、死者数20人以上、行方不明者数40人という甚大な被害を受けています。特に御浜町から新宮、那智勝浦、田辺、十津川などでは、道路が寸断され、流れる川は土砂によってせき止められ、世界遺産である寺社仏閣も相当な被害が出ていると聞いております。
今回被害にあった場所は、我々が行ったときには、このように緑にあふれるすてきな場所でした。それが一変して自然の脅威にさらされると、見る影もなくなってしまったということに戸惑いを隠せません。台風被害のニュースを見るたびに、「ここに行った。こんなんになってしまったのか。」と思い胸が痛みます。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。そして、ぜひ力強い復旧・復興により、再び今年の夏のように、自然と人が共生する豊かな土地に戻ってほしいと願っています。
おわり
続きを書きます。
三重県の尾鷲でメスベン氏と合流。
尾鷲にはイオンがあったのでちょっと安心。と思ったらメスベン氏がこんなことをいう。
「テント、機材送りしちゃった。」
「うわぁぁぁぁ」
今日どこで寝ればよいのか。紀伊半島には漫喫一軒もないんだぞ。(こんなことだったら神楽坂スーパーホテル
の実家でも予約しておくんだった)
とりあえず宿より飯ということで、ラーメン屋で作戦会議。街道沿いに行けばなんかあるんじゃね、という結論に至り探してみるとなんとマクドナルドが24時間あいている。これはラッキー。尾鷲は案外大きい街だ。
やはり1人旅から2人旅になると話が弾む。(というより私がメスベン氏に一方的に話し続けていたように思う)
翌日も快晴。街道沿いに「早稲高(わせこう)」ならぬ「鷲高(わせこう)」のユニフォームをきた学生がいたので後をつけてみる。これが尾鷲高校だ。その後、郵便局へいってテントや荷物を受け取る。
今日から山にアタックする普通の前プラが始まる。手始めに、酷道こと国道425号へ。事前にyou tubeで見ていたが、実際に踏み込んでみるとあまりの自然に圧倒される。あっという間に尾鷲市街が真下に見えるくらいにアップして、ライトのないトンネルを数本抜けて、めちゃくちゃきれいな川を渡り、山深い紀伊半島の中に突き進んでいく。
進んでも進んでも生い茂った木しか見えない。しかしその木を見ていると生え方に違いがあるのがわかってくる。向こうの山は若い木、手前の木は立派な木、真ん中の木は切り株しかないなぁといった感じ。農林水産業とかいうけれど、林業の実態を初めて見た。こんな立派な滝もあった。
トンネルを抜けて奈良県に入ると、今度はダム沿いをひたすら走る。地図を見ても「まだこんなところかよ」と2人で嘆き励ましあいながら進んでいく。正直この山を抜けきることができるのか不安になっていた。いやぁ恐るべし酷道。
さらに道は悪くなり、時間も予定より遅れてゆく。焦りながら走っているとなんとメスベン氏が転倒、さらに道は崩落もあり、前プラ初日から修行日。なんでこんなところに道をつくったのだろうということを考えてしまう。
ようやく開けたところがダムでそこがキャンプ場になっていた。疲労度や時間を考えて今日はここで打ち止め。2人でテントを立て調理開始。メニューをメスベン氏に任せたら「しめじと小松菜のチャンプル」というかなり和風の食事となった。
「肉入ってないジャン!」
「豆腐は畑の肉だよ」
俺は断じて畑ではない。この後、WCCの食事はどのようなものかというのを説明したのはいうまでもない。
キャンプ場には温泉までついていたので入浴ぬめっとした温泉ったのだが、東京を出て以来初めてお風呂に入ったのでかなり気持ちよかった。
その次の日も快晴。5時起床7時発で出発。奈良県から和歌山県へ向かう。
緑と青に包まれた気持ちの良い道を進む。
長くて歩道もないライトもないトンネルをびくびくしながら抜けるとそこは和歌山県。本州で唯一訪れたことのない県であったので、ようやく来たぜ、という気持ちであふれかえっていた。
しかも踏み入れた土地は和歌山県の中でも特殊な北山村という場所。驚くことなかれ、人口は520人しかおらず、まわりを和歌山県以外に囲まれるという飛び地の村である。
ダーツの旅のように「第一村人発見!」などと言って走っていたが、景色もよくほんとうにきれいな村だった。
北山村を後にし、今度は海側に向かって再び三重県を走り抜ける。これは途中にあった千枚田。棚田は絵になるなぁ。
海岸線に出て、御浜町という町の道の駅でお昼ご飯。同級生にこの町の出身の友達がいたのでメールをする。海がきれいでいいなぁとか、どうして東京に出ようと思ったんだろうとか、どんな少年時代だったんだろうとか、いろんなことを考える。
知り合いの生まれ育った町へ行くというのは、その人のアイデンティティーを知れるような気がして好きな行為である。そして、なにより帰った後の話のネタにもなる。
海へ下る川沿いの道は日陰があったのだが、海沿いの道を走る道は直射日光がモロニあたる。覚悟を決めて二人で15kmほど頑張って走って、紀伊半島最大の川である熊野川を渡って対岸の新宮に到着した。
新宮には熊野詣で訪れるうちの一つである新宮速玉大社があるのでお参り。外から見ると普通の神社以下で早稲田の穴八幡のほうが立派であった。しかし中に入ってみると荘厳な雰囲気が漂っていた。熊野の神・出雲の神・伊勢の神・それぞれ古代からの信仰があるが、訪れた当時は違いがまったく分からなかったので帰ったら勉強したいなぁと思った。
新宮からもうすこし移動したかったのだが暑さにやられた2人はしばし休憩。涼しくなってから国道42号を走り那智勝浦にある道の駅なちで野宿。明日に備えます。
続きはpart3で
8月はみんな旅に出ていたせいでブログ更新が止まっていましたが、これから怒涛のように旅の様子がアップされるはずなのでお楽しみに。
トップバッターはコアラ3号がお送りいたします。ちなみに前プラとは合宿前のプライベートランのことで、略して前プラ。
私の前プラは2部構成で行いました。8月4日の夜行から8月7日まで一人で行った前プラと、8日から11日まで、2年新人ことメスベン君を連れて行った前プラです。今日は一人旅の報告を。
テストを終え、馬場で所用を終えて、部室に戻るとそこには・・・
3人とも合宿の準備をしていました。
そのうちの一人「単位?そんなものにーよ。テストが始まったということを知らずにテスト期間が終わった・・・」
みんなにバイバイを言って、部室を後にして東京駅に向かいます。
旅人の強い味方、ムーンライトながら号で一気に名古屋へ。横浜を過ぎて検札に切符を見せた後はすんなりと眠れました。
名古屋から中央西線で恵那。恵那からは明智鉄道というローカル線に乗り、前プラのスタート地である岐阜県明智に到着。
明智(あけち)と聞いて思い浮かぶのは、1582年に本能寺の変で織田信長を倒した明智光秀ですよね。今回はその明智光秀ゆかりの地から出発です。
何もなかった。ふもとに明智光秀のお墓があったので、そこできちんとお参りをしました。満足。
このあとお昼ご飯を食べて、岐阜県のひたすらアップダウンの続く県道を走って、日本一熱い街、ではなくて暑い街の多治見に到着。
この日の気温は34.8℃。まぁ暑いったら暑い。
多治見からは再び、アップダウンの続く道をひた走り、ちょっとした峠を越えたりしながら愛知県に入ります。だんだんと雲行きが怪しくなりバァーと雨が降ってきたところで、犬山に着いて犬山城に登ります。
なんとこのお城、2008年までお殿様がいました。天守閣も国宝に指定されていてとても立派。
天守からの眺めはこんな感じで、夕立が去った後の風が気持ちいい~。おすすめのお城です。
犬山を後にして沈む夕日を目指して西に進み、今日の目的地である岐阜に到着。岐阜ってなんかパッとしないイメージがあるけどとてもいい街でした。
織田信長が「天下布武」を発した稲葉山城こと岐阜城からの眺めは最高。
この日は漫喫泊。
翌日はどんよりとした曇り空。西に向かって進みます。ひと山越えて、ピューっと下るとそこは天下分け目の関ヶ原。子供たちがお出迎えをしてくれました。
関ヶ原町は町全体が古戦場。この山は徳川家康が、あの山は小早川秀秋が、向こうの山には石田光成が、といった感じで、400年前の兵たちの戦いの舞台を想像したりしてました。
関ヶ原を越えると滋賀県に入って伊吹山のふもとをかすめて琵琶湖のほとりの長浜へ。ここに至るまでの道がもう暑すぎて暑すぎて・・・。夏の旅までにちゃんと体力が持つのだろうかと心配になるほどの暑さ。
長浜駅で、福井に向かう監督をチラリとみることができました。みんな着々と動き出しているなぁと実感。
旧長浜駅の鉄道記念館に立ち寄った後、今度は長浜城に立ち寄ります。ここは豊臣秀吉のお城。
ここから琵琶湖沿いを15kmほど南に行ってひこにゃんで有名になった彦根が今日のメインの見どころ。しかし長浜でぐだぁ~としたので閉館時間に近づいています。しかし何としてでも彦根城へという決意のもと、くそ暑い、夕日がガンガン照りつける中ひた走りました。
彦根に着くとやはりお出迎えはひこにゃん。だが、商店街などはあまり盛り上がっておらず、長浜のほうがにぎわっていた印象。さて、彦根城に登ってひこにゃんに会おうとするも、この日の出現時間は終わってしまったようだったのでこいつで我慢。
彦根城はこんなお城。これで姫路城・松本城・犬山城・彦根城の国宝4城(姫路城は世界遺産)に登ったことになりました。
滋賀県は漫喫不毛の地といってもいいでしょう。2500円ほどする高級店しかなくて、安定のコミックバスターや自遊空間が少なすぎますね。この日は彦根からさらに15kmほど行ったところの漫喫を目当てに走り始めます。
夜中の国道沿いを走っていると、おなかが空いて食べ物屋さんを探していた眼に飛び込んできたのが「食べ放題・バイキング」の文字。迷わず入店。
一人食べ放題デビュー。食べ放題ほど人に幸せを与えてくれるものもそうそうありません。
ごちそうに満足して、うさぎドロップを読みながら夜が更けていきました。
一人旅最終日は国道沿いにあった五個荘という古い町並みが残る小さな町を見学した後、長年行ってみたかった安土城に登ります。
これがでかいったらでかい。さすが織田信長、と思ってしまうほどのスケールがありました。
歴史上の本流に乗っかる織田や豊臣の遺跡はしっかりと保存され観光地化されているのに、明智光秀や石田光成という敗者の遺跡は、跡は野となれ山となれといった整備のされ方で、これってどうなのかなぁという気がします。(光成の佐和山城は彦根城から見え、行こうと思ったら現地の人に「あそこは何もないただの山だよ。行ってもしょうがねぇ」といわれた)
安土城から琵琶湖沿いに南下して近江八幡で輪行。ここから、草津線で柘植、関西本線で亀山、紀勢本線で尾鷲まで18きっぷの旅。
紀伊半島は分け入っても分け入っても青い山。紀伊長島で3両だった車両が1両になり、特急が止まる駅なのに駅前にイオンもなく、めっちゃ心細くなったのを思い出します。
そんなこんなで尾鷲に到着。ここからはpart2で書こうと思います。
おわり