1日目を私の目線で追って書いて来たのですが、残された家族もいろいろあったし、私が結局2晩過したERにもいろいろなドラマがありました。
そういった事も合間に入れて書いていこうと思います。
ERの患者の待合室はERの出入口のすぐ側にありました。
有難い事に携帯使用禁止の病院内で数少ない携帯利用OKの場所でした。
主人の携帯を入れた時に自分のも忘れずに持って出たので家族との連絡は割りと頻繁に取れました。
電話だと電池の残が気になったのでメールでのやり取りが殆どでしたが、内容は今でも取ってあります。
父親が、息子が倒れて、母が、嫁がいきなり「多分脳関係だと思う」なんて爆弾発言して救急車で行ってしまった後、とりあえずリビングで連絡を待って、朝9時まで進展なしと連絡があった後、各部屋に戻って仮眠を取ったそうです。
娘たちは、心細かったようで、2人で一緒にベッドで入ったらしいのですが、殆ど眠れなかったと後日言っていました。
翌日は学校があったので、休むにしても学校側へ事情を説明せねばならず、いろいろ考慮して2人も学校には何も伝えず登校することにしました。
長女は極端に乗物に弱いので、自転車通学出来る学校を受験、合格しました。
不安と寝不足でふらふぃらだった長女は、この日と翌日主人の手術が無事終わったと知らせがあった後も、連続して2回派手に自転車でコケて両膝に派手な怪我をし作ってしまいました。
その後膝は化膿して、完治したのは主人が待望の退院を果たし、家に帰宅してから更に2ヶ月程かかりました。
今でも両足に茶色く痕が残っています。
長女は私がいない間の食事を担当してくれていました。
麺類しか作れませんが大変助かりました。
次女も頑張って授業も部活も毎日続けてくれていました。
子供には悪い話はせず、快方の話題ばかり振っていたつもりでしたが、後から聞くと、私の表情でまだまだ厳しい状態なのだと、なんとなく感じていたらしく、母親として情けないと深く反省したのでした。
最初に動転していてお義母さんにショッキングな伝え方をしてしまったので、その後は出来るだけ良い情報を選りすぐって伝える事にしました。
お義母さんも予断を許さない状態なのを肌で感じていたのか、それともお義姉さんのアドバイスか、あまり頻繁に病院へ行かないようにしている様子でした。
こうして、主人だけでなく、家族も気持ちだけは病気と闘ってたのです。