中東にはどんな人が住んでいるの? | 中東情勢入門? ~マニアがご説明します~

中東情勢入門? ~マニアがご説明します~

 アラビア語・中東政治専攻、治安分析等々、中東8か国を訪問した男が、「遠くてややこしい」と思われがちな中東をご説明します。

前回の記事で話しました中東・北アフリカ諸国は22もの国・地域から成るので、
人の集団を括るカテゴリーも非常にたくさんあります

しかし、それらのカテゴリーをきちんと整理して理解しないと、(池○彰さんのように)一部のジャーナリストでさえも堂々と誤解をする事態に陥ります。

日本でもそう。 日本人、関西人、大阪府民、浄土真宗、黄色人種…全部次元が違いますよね?
中東報道には、こうしたカテゴリーをごちゃごちゃ、あるいは拡大解釈して、トンデモナイ伝え方をしている例もあるのです。。

そこで、カテゴリーとその意味をご紹介した上で、中東・北アフリカに当てはまるものを挙げていきます。


【民族】

 ググってみると色んな定義が出てきますが・・・
「言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。」
(デジタル大辞林)

これがまさにニュートラルかつ簡潔な定義です!
つまり、「同じ言語を使い、同じ文化・歴史を持ち、同族意識を抱く人々」のことです。

 この定義で「言語」が一番前に書かれている通り、「母(国)語」は民族にとって最も決定的なツールです。お互い心の底から意思疎通できない限り、同族意識が生まれるどころか、次の世代に文化や歴史を教えることもできませんよね?

 中東には、主にこのような民族が存在します。


(出所: 米CIA "World Fact Book"ほか、各国当局・国際団体の資料をもとに計算)

このほかにも数多くの少数民族がいます。
※ イラク・トルコの民族分布推計は確定されていないため、最大値と最小値の平均をとりました。
※ 中東・北アフリカ以外からの移民・長期滞在者は含めていません。


●アラブ人

 アラビア語を話す人々で、中東・北アフリカの人口の大部分を占めます。
 (人を見た目で区別するのはいいことじゃありませんが)、サウジアラビアなどの湾岸産油国(※1)で真っ白い民族衣装をまとった人々[画像]や、主にシリア・レバノン・イラク・ヨルダン・パレスチナには白人に近い風貌の人々[レバノンのミーカーティ首相]、白人よりは浅黒い肌の人々、主にスーダンなどの北アフリカ諸国には黒人に近い風貌の人々[スーダンのバシール大統領]など、実に「十人十色」です。
 また、一口に「アラビア語」といっても、多くの国で通用する標準語(フスハー)は、専ら読み書きやTV・ラジオのニュース、政治家の演説にしか使われないので、日常会話はほぼ100%方言(アンミーヤ)で行われます。
 そんな背景もあって、同じアラブ人としてある程度の同族意識は持ちつつも、国ごとにまた違ったアイデンティティを併せ持っているのです。(日本でも、同じ関西人だけど、やっぱ自分は大阪人…みたいなのがありますよね?)
 ちなみに、アラブ人が大多数を占める国(イラン・トルコ・イスラエル以外)をアラブ諸国と総称します。

●ペルシャ人
 ペルシャ語を話す民族で、大国の一つ、イランに集中しています
 アラブ人と似てはいますが、黒人に近い風貌の人はほとんどいませんし、同じような肌の色の人でも、やっぱり何となく違います…(そこは実際に会ってみるしかありませんね)。
 あ、そうそう。「イラン人=アラブ人」、「イランの公用語はアラビア語」というのは完璧な間違いです。確かにペルシャ語はアラビア文字で表記しますし、似た単語もありますが、文法はまるで別物です(ちょうど日本語と中国語みたいな関係)。文化も結構違います。
 ペルシャ語の方言はアラビア語の方言ほど違いが激しくないそうですが(ペルシャの専門じゃないんでごめんなさい…)、アラビア語に比べると喉の奥から出すような特異な音がなく、比較的マイルドな発音です。
 多くの人は日常的に民族衣装を着ません(イスラムの宗教衣装は別として)。

●トルコ人
  中東の言語で初めてラテン・アルファベット(ローマ字)を導入した、トルコ語を使う人々です。名前の通り、ほとんどの人がトルコに住んでいます。
 見た目は、先に述べましたシリアやレバノンのアラブ人と同じく、白人に似た風貌の人が多いです[イスタンブールの人混み]。また、トルコは中東で初めて「世俗主義」(実生活と宗教の距離を置く考え方)を導入したこともあって、私達のような世俗派も多くいます

●クルド人
 上記の中では唯一、どの国でも少数派で、自治できる国を持たない民族です。それでも、中東全域では結構な人口を占めます。
 見た目はトルコ人よりやや浅黒い風貌の人が多いでしょうか。
 トルコではクルド政党が結成されたり、トルコ南東部・イラン西部ではクルド武装勢力が政府に対する武力闘争(いわゆるテロ)を行ったりしていますが、自治実現の見通しは立っていません。
 一方、油田が集中するイラク北東部のクルディスタン地方(クルド自治区)では、イラク戦争後に自治が強化され、治安がイラクとは思えないくらい改善したこともあって、経済発展が進んでいます。今では日本を含む世界各国からビジネスマンが駆け付けるまでになりました[最大都市アルビールのビル群]
 しかし、クルド地域の統一にとって最大の足かせは、皮肉にもクルド語にあります。クルド語はクルマンジー系やソーラーニ系など、同じ言語とは言えない程の遠い方言にに分かれる上、アラビア文字を使うかローマ字を使うかさえ地域により異なるのです。
 (イラク・クルディスタン地方のウェブサイト。右上に英語、クルド語アラビア文字版、クルド語ローマ字版、アラビア語が並んでいます)

●ユダヤ人
 中東・北アフリカでは専らイスラエルに集中しています。
 ユダヤ人はヘブライ語を話す人…と言いたいところですが、ここだけ少し微妙です(間違いではないけれど)。
 というのも、ユダヤの人々の間でも「ユダヤ人とは誰?」という問いが長い間議論になっており、英語版ウィキピディアに詳細な専用ページが設けられている程です。
 現状では、言語に重きを置く考え方と、宗教に重きを置く考え方が併存しているというべきでしょう。
 前者は「ヘブライ語が母語なら、ユダヤ教徒だろうとキリスト教徒だろうと(極端な場合)イスラム教徒だろうと、ユダヤ人に変わりない」という見方で、主に世俗派に多い認識です。イスラエルを多民族国家にしようというリベラル派や、ユダヤ人優位の国家にしようというナショナリストの間でも共有されています。
 一方、後者は「ユダヤ教を信じる者こそがユダヤ人」という見方ですが、こちらは宗教に敬虔な人々(特に敬虔な人は超正統派=ハレディと呼ばれます)に多い認識です。
 加えてもうひとつ、中東のユダヤ人特有の問題が。
 イスラエルは、簡単に言えばヨーロッパで迫害を受けた西欧系のユダヤ人が、当時のパレスチナに移住して建てた国ですが、建国当時の西欧系=白人系のユダヤ人(スファラディー)と、建国後にアフリカやロシアから移住した非ヨーロッパ系のユダヤ人(アシュケナズィー)というユダヤ人の間に「壁」が生じていて、今もイスラエル国内の人種差別や経済格差となって表れています。
 (「ユダヤ人とは何か」をめぐるイスラエルの問題については、この新書がオススメです!)


(※) クルド語にはアラビア文字を使った表記法もあります。
(※) このほかの民族について知るには、この本が最適です!



【宗教】

では、よく中東報道で出てくるこの言葉は何でしょうか。

 「神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。」
(デジタル大辞林)

つまり、「神様などの超越的・神秘的な存在に関係する行為、活動や考え方」と言えます。

 もちろん、こうした「営み」を通して人々が同族意識を持つことは大いにあり得ますし、実際に中東・北アフリカを含め、全世界でそのような現象が見られます。
 しかし、忘れてはならないのは、宗教が「民族とは全く次元の違うカテゴリー」だということです。

 特に、キリスト教やイスラム教は全世界の万人に開かれた宗教ですから、民族に関係なく世界中に信徒が存在します。
 だから、アラブ人のキリスト教徒も当然います割合としては少ないけれども、彼らの存在を決して軽視してはいけません。

 アラブ諸国の政財界にはキリスト教徒が多くいます。国際原子力機構(IAEA)の前事務局長で有名政治家のエルバラダイ(アルバラダーイー)氏、エジプトの通信・ゼネコン大手を持つ敏腕実業家サウィーリス氏、歴史的な超大物歌手フェイルーズさん[オフィシャルサイト]などなど…
 それから、著名な政治思想家(日本だと福沢諭吉や大隈重信?)としても、多くのキリスト教徒が活躍してきました。
 (決してキリスト教徒が優秀という訳ではないですよ!イスラム教徒にも著名人が有り余るほどいます。)

 「アラブ人=イスラム教徒」という誤解をされている方は、「キリスト教徒のアラブ人???」と不思議な気持ちを抱かれたのではないでしょうか。

 さて、前置きが長くなりましたが、中東・北アフリカの主な宗教人口はこんな感じです。

(出所: 米CIA "World Fact Book"ほか、各国当局・国際団体の資料をもとに計算)
※ このほかの少数宗派もあります。
※ イラク・バーレーン・サウジアラビアの民族分布推計は確定されていないため、最大値と最小値の平均をとりました。
※ 中東・北アフリカ以外からの移民・長期滞在者は含めていません。


●イスラム教スンナ派

 日本のマスコミでは「スンニ」とされることが多いですが、アラビア語的にはこちらが正です。
 簡単に言えば、イスラム教ができた当時のオーソドックスな宗派です(キリスト教で言えばカトリックでしょうか。 ←もちろん中身は違いますよ!)。
 イスラム教の創始者ムハンマド(イスラム教では「預言者」と呼ばれます)が、神からきいた言葉などを言い伝え、それを記録した「スンナ」を重視する宗派なので、「スンナ派」と称されます。
 下記の表からもわかるように、多くのアラブ諸国に信徒がいますが、世界的にはパキスタン、インド、バングラデシュ、マレーシア、インドネシアなど、中東・北アフリカ以外のイスラム諸国でもスンナ派が主流です。
 (ここで補足。スンナ派に限らず、イスラム教徒の人口の6割は南アジア・東南アジアで、中東はたった2割です!)
 スンナ派の中にも様々なグループがありますが、代表的なのはサウジアラビアの「公式宗派」であるワッハーブ派です。スンナ派の教義は次にご紹介するシーア派に比べ厳格で質素なのですが、ワッハーブ派はまさに超厳格。なので、同じサウジ国内でも、スンナ派同士で宗教的な考え方に違いがあります。

●イスラム教シーア派
 簡単に言えば、イスラム教ができて50年程後に、当時のイスラム教(いわばスンナ派)に不満を持つ人々が形成した分派です。
 教義的な不満もあったのでしょうが、ざっくりと言うと、預言者ムハンマドの後継者(カリフ、正しくはハリーファ)争いが発端でした。後に「シーア派」と呼ばれる分派の人々が選んだのはアリーという人物で、現在も彼はシーア派信徒にとってムハンマドに匹敵するくらいの崇拝対象です。
 現在のシーア派人口は、「公式宗派」に指定しているイランに加え、次のようなアラブ諸国にも分布しています。
 ・バーレーン(全人口の66~70%)
 ・イラク(60~65%)
 ・イエメン(30%)
 ・レバノン(27%)
 ・サウジアラビア(5~10%)
 シーア派の教義はスンナ派に比べれば、芸術、音楽や思想に対して穏やかです。そのため、スンナ派のモスク[アズハル・モスク(エジプト)]が荘厳なデザインである一方、シーア派のモスク[エスファハーン(イラン)のモスク]には鮮やかな装飾が施されていることもあります。
 イスラム教には「生き物を絵画、写真や映像に表さない」という考え方があり、上記のワッハーブ派ではこれをマジメに守りますが、シーア派では預言者ムハンマドでさえも絵にすることがあります。
 また、「人間はどうあるべきか/どうなるのか」という哲学思想も、どちらかというとアラブ諸国よりイランでの方が発達したそうです。

●キリスト教
 中東・北アフリカのキリスト教は、中世の東方教会の系列ですので、総じてカトリックです(プロテスタントも少なからずありますが…)。
 コプト正教、シリア正教、ギリシャ正教、アルメニア正教など様々な宗派がありますが、キリスト教全体の教徒人口が多い国は主に次のとおりです。
 ・レバノン(41%)
 ・シリア(10%) [ダマスカスのマリア聖堂]
 ・パレスチナ自治区ヨルダン川西岸(8%)
 ・ヨルダン(6%)
 ・エジプト(2%) [カイロの聖マルコス聖堂]
 レバノンが突出して多いのは、同国中部を走るレバノン山地が古くからキリスト教徒の地域だったからです。
 イスラム教徒に比べれば割合は小さいですが、イスラム教徒以外のマイノリティの重要性は、前に指摘したとおりです。

●ユダヤ教
 現在は人口がイスラエルに集中していますが、チュニジア、モロッコ、イエメンなど多くの国にユダヤ教徒の少数派がいます
 イスラエル人ではありませんが、イギリスのヘアスタイリストであるヴィダル・サスーン氏は、20世紀にイラクで活躍したユダヤ系実業一家の血筋を引いているとも言われています。
 アラブ・イスラエル紛争以降、中東各国のユダヤ人はイスラエルや欧米に移住しましたが、今もチュニジアなどでユダヤ教徒があくまでも「ユダヤ教徒のアラブ人」として暮らしています
 2012年1月、イスラム派が台頭するチュニジアのユダヤ教徒に対して、イスラエル政府が移住を呼びかけましたが効果はゼロでした。ある男性は英BBCに対して「イスラエルに移住するかって?私はバカじゃない。私はあくまでもチュニジア人でなおかつユダヤ教徒。イスラエル政府に祖国を捨てろと言われる筋合いはない」と突っぱねています[記事はこちら]
 ちなみに、イスラエルの法律では母親がユダヤ教徒であればイスラエル国籍を取得できることになっているため、エチオピアなど南半球から移民が押し寄せていますが、ヨーロッパと同様、イスラエルでも移民問題が深刻化しています

 あえて宗派人口を民族で分類すると、こんな感じになります。宗派人口と民族が完全に一致しないことは、ぜひ頭に入れておきたいです。



【世俗派とサラフィー派】

 最後に、今の中東情勢を理解するために、「世俗」・「サラフィー」という2つの言葉をご紹介します。

「世俗」という言葉は、日本語では「俗世間」のような意味にとどまりますが、英語のsecularやアラビア語の3lmaniya(アルマーニーヤ)には、
宗教と実生活(政治・経済・社会)との距離を保ち、宗教は“特別な存在”とすること」
という意味合いがあります。

 決して多数派とは言えませんが、中東・北アフリカにもこうした世俗派の人々が少なからずいて、政治・経済・文化に大きな影響力を及ぼしています
 現に、2013年5月末からトルコのイスタンブールなどで続いている反政府抗議行動の主役は世俗派の市民です。
 “アラブの春”(※2)で失脚した、チュニジアのベンアーリー元大統領、エジプトのムバーラク元大統領、リビアの故カッザーフィー(カダフィ)大佐、そして内戦真っ只中のシリア・アサド大統領も、皆世俗派です。
 白い民族衣装を纏っているバーレーン、クウェートやUAE(アラブ首長国連邦)の首長家の方々も基本的には世俗で、彼らは決してサウジアラビアやイランのような宗教国家を作ろうとは思っていません。
 ちなみに、自分のアラブ人の友人は、お酒を飲んだり豚肉を食べてしまうほど世俗な人です…。

 こういった世俗派の人達が実際どのくらいいるのか、どの程度の割合を占めるのかを示すデータはありませんが、イメージとしては、トルコ、レバノン、シリア、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸、チュニジア、アルジェリア、モロッコなどで目立つ存在です。
 なぜこれらの国で世俗派が影響力を持っているのか、明確な答えはありません。ただ、トルコ以外は植民地・保護国時代にフランスに支配され、イギリス支配に比べて世俗主義が徹底的に導入された、という経緯も関係しているかもしれません(トルコは20世紀初め、近代化を進める過程で自主的に世俗主義を採用しました)。


 一方、「サラフィー」と呼ばれる人々の考え方は世俗派と真逆ですが、彼らの影響力は“アラブの春”以降、アラブ諸国で急速に拡大しています
 日本のマスコミ風に言えば「イスラム原理主義派」、「急進イスラム主義派」とか、「超保守イスラム派」でしょうか。
 イスラム教のルールを真剣に解釈し、社会のあらゆる場面(政治・経済・文化etc)で徹底させよう、という人々で、多くはイスラム教の聖典(コーランやスンナ)に基づいた憲法・法律を制定し、宗教国家を建国したい、と考えています。
 具体的には、イスラム教徒でない人(観光客など)にも飲酒を禁止したり、キリスト教徒を含めすべての女性に黒いベール(ニカーブ)の着用を義務付けたり、露出のある映画や西洋的な音楽を禁じたり…
 中東・北アフリカでズバ抜けて保守的なサウジアラビアよりも、さらに宗教的な国を作りたい、と思っているのです。

 ご存知の方も多いかもしれませんが、2010年末に始まった“アラブの春”以前、多くのアラブ諸国で強権を振ってきた政権は、ほぼすべてが世俗派の政権でした
 チュニジアの立憲民主集会政権(崩壊)、エジプトの国民民主党政権(崩壊)、イエメンのサーレハ大統領(辞任)、リビアのカダフィ政権(崩壊)、どの政権のトップもイスラム教スンナ派に属しながら、宗教が政治を飲み込んでしまうことを恐れ、イスラム系野党を弾圧していました
 シリアのアサド政権も世俗派の急先鋒です。
 先進主要国がこれらの政権にイスラム過激派の抑え込みを期待していたことや、地元の人々の大半が民主化をあきらめ政治的に無関心だったこともあり、長期政権が維持されていましたが、経済のグローバル化に伴うインフレや不公正な市場経済化で怒りが爆発。

 結局、上記の国々(シリア以外)で政権が崩壊、うちチュニジア・エジプトでは穏健イスラム政党が政権を握ったほか、クウェートでは総選挙でイスラム系議員が過半数のを獲得(その後解散で混乱中)、モロッコでも総選挙で穏健イスラム政党が第1党になりました。
 弾圧を恐れて細々と活動してきた「サラフィー派」は、政権崩壊を切っ掛けに街頭へ繰り出します。
 エジプトではサラフィー派の市民がキリスト教徒に暴行を加えたり、教会への襲撃を切っ掛けにキリスト教徒の市民らと衝突したり、チュニジアではサラフィー団体の呼びかけで酒屋、飲食店、劇場やテレビ局が襲撃されたりしています。暴力行為だけではなく、イスラム国家の建国を呼びかけるデモも繰り返しています。

 “アラブの春”を経て、多くの国で「穏健イスラム派」が政権を樹立したことは、先に述べました。
 穏健イスラム派とは、イスラムの思想と世俗主義に折り合いを付け、「イスラム教に立脚した近代国家」を目指す人々で、完全な世俗国家よりはイスラム色の濃い社会にしつつも、民主政治、観光業、外交や国際ビジネスなどを両立させる、という考え方を持っています。
 世俗派の長期政権下で穏健イスラム派は急速に人気を集め、「ムスリム同胞団」などの組織が支持者の強固なネットワークを築いていました。“アラブの春”の最中には、穏健イスラム派が反政府デモに参加したとたん、デモの規模が一気に膨れ上がりました。
 数の力を持っているのだから、当然選挙でも楽勝、エジプトやチュニジアなどで政権を獲得したのです。

 ところが、これらの新政権は今、「世俗派」と「サラフィー派」の板挟みになっています
 なぜかというと、「世俗派」から見れば、穏健イスラム派も急進なサラフィー派と同じ『宗教かぶれ』である一方、「サラフィー派」から見れば穏健イスラム派は『宗教もぐり』で、「イスラム教の教えに従っていない」と見なされているからです。
 また、新政権はイスラム過激派の台頭を恐れる先進主要国のご機嫌をうかがい、サラフィー派に対して露骨な取締りを行っては逆に反感を買い、取締りの手を緩めると今度は世俗派から「宗教国家を作ろうとしている」と非難される・・・という悪循環が続いているのです。
 (穏健イスラム派のムルシー・エジプト大統領に抗議する世俗派同大統領にイスラム化を要求するサラフィー派
 

(上図)マスコミでよく使われるイスラム教徒のカテゴリー



…どうでしょう? 中東はイスラム教一色、宗教一色に見えるでしょうか?
むしろ、多種多様な人々が暮らす、「まだら模様」な地域であることをご理解頂けたでしょうか。
よくよく考えてみれば、中国だって、ロシアだって、アメリカだって、結構「まだら」ですよね。。
逆に日本が特殊なのかもしれません。

 『中東=アラブ=イスラム』 『中東=宗教』のような視野の狭い見方は、この際ぜひ捨てていって下さい!

お読み下さり、ありがとうございました<m(__)m>


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《用語解説》

(※1)湾岸産油国・・・
地下資源(石油・天然ガス)産業が盛んなペルシャ湾岸の国々を指す。具体的には、クウェート、バーレーン、カタール、UAE(アラブ首長国連邦)、オマーン、サウジアラビア(イラン、イラク、イエメンを含める場合もある)。
 中東と言っても全ての国が豊富な資源に恵まれている訳ではなく、輸出でがっぽがっぽ稼げるのは、これら湾岸産油国と、アルジェリア、リビアに限られる。
 湾岸産油国(イラン、イラク、イエメン以外)のアラブ人男性は白い民族衣装(サウブ/ディスダーシャ)をまとうことが多いが、これは彼らの感覚で言うと「正装」。そのため、政治家もビジネスマンもしょっちゅう着る。同じアラブの民族衣装であっても、シリアやエジプトなど他の地域のアラブ人は滅多に着ない
 もちろん、イランのペルシャ人など、アラブ人以外の民族も着ない。
(※2)“アラブの春”・・・2010年末~2011年前半にかけてアラブ諸国で始まった一連の反政府抗議行動と、それらに伴う政変を指す。
治安部隊とデモ隊の衝突などで多数の死傷者を出し、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンでは順に長期政権が崩壊したほか、モロッコでは選挙で政権交代が実現、クウェート、バーレーンやヨルダンでも政界に一定の変化が生じた。
一方、シリアでは周辺国に支援された反政府武装勢力と政府部隊との内戦に発展したほか、サウジアラビアとアルジェリアでは比較的小規模な抗議行動が抑え込まれ、カタールとUAEではデモ活動家と思しき人物が逮捕されるも抗議行動は発生しなかった。
“アラブの春”は欧米のマスコミが付けた名称であり、地元では一般に「アラブ諸国革命」と呼ばれる。同時に、多くの国にもたらされた治安・経済・市民生活への壊滅的ダメージは、決して“春”のようなバラ色で表現できるものではない。