その人は、華々しい経歴の持ち主でした。
神奈川県立高校ではNo.1の湘南高校を卒業、一ツ橋大学へ。
大手地銀に入行、アメリカロサンゼルス支店、支店長となる。
50歳にてワタミへ
経理・財務のみならず、リスク管理の責任者として活躍。
そして63歳 2年9ヶ月の闘病生活の末、逝去。
早すぎる旅立ちでした。

~人は何によって記憶されるか~
よく私は、学校の生徒やワタミの社員に
~自分の葬式を思いうかべながら生きなさい。
 そうすれば人生の大切なものが見えてくる~
という話をします。
葬式で、あの人は○億円の財産を残した人だったね。
あの人の乗っていた車は○○○万円だった。
とか、あの人の学校は偏差値いくつだった、などという話が出るわけがなく、
あの人は、こんな生き方をした人だった、という話が出ます。
つまり人としての附属的要素の話しではなく、本質的要素の話となるのです。

その人の経歴は素晴らしいものでしたが、
その通夜の席で私たち仲間で話されたことは
~どんな案件にも、全身全霊で自分ごととして取り組む人だった~
~独立希望のオーナーの為に、本気で融資交渉をしてくれる人だった~
等々の言葉でした。
―他人の立場に立って行動できる人―
それ以上のほめ言葉が他にあるでしょうか。
人は、何を残したかで評価されず、何をしたかで評価される。
人は、その生き様で人に記憶される。
あらためて大切なことを教わったような気がします。

人の人生は長さではなく、その密度だと理解しつつ、
その早すぎた旅立ちを惜しみます。
心から冥福を祈ります。