大学生で出会い、繰り返し読んできた、司馬遼太郎の『竜馬がいく』。
年末の京都出張の際、ワタミグループのお店を見て回っていたときに、ちょうど池田屋の前を通り、ふと最近読んでいないなと気付き、年末年始で読みました。


やっぱりいいです。


竜馬は生涯を通じて、常に独自のポジションを持っている。
自分を一旦は“全体”の外に置いたうえで、その“全体”のなかのどこにいるのが一番効果的なのかを把握し、そこに自分をポジショニングすることができる。
あの幕末の非常時に、船に乗っていたり、またお金を集めていたり、と時にその自由な行動を批判されることもあったようですが、それこそが日本を変えるために自分がいるべき効果的なポジションなのだということをわかったうえでやっているのです。


そのうえで決して“全体”の外側にいる人間ではありませんでした。
ほかの多くの志士と同様“事を為すために生まれてきたんだ”という死生観のもとに、命を捨てている。
そんなところが、坂本竜馬のすごさだと思います。


そして、もう一つ。
彼は“藩”という意識しかなかったあの当時の日本で、すでに“国”を意識していました。
この“国”という意識が明治維新を導いたように、“環境”“食糧”といった地球全体の問題が浮上する今この時代、地球上のすべての国の人々が“地球人”であるという意識をもつこと。
これこそが現代社会の閉そくを打ち破る一歩となる、そう思いました。