河北新報3月8日付社説記事の反響が大きく、私への問い合わせや意見を求める声も大きいことから今回少し意見を述べたいと思う。

 

まず社説は、多くの避難者がこれまでの6年間感じてきた閉塞感や無力感、そして町や国に対する不信感を捉え、住民側に立つべき町が国の方針に屈服し住民自治団体自治が蔑ろにされているという論調で書かれているが、復興計画が土壇場で変容したという部分や町が現地復興帰還政策に変容したという部分の記載には誤りがあると私は考えている。

今現地富岡町は復興に向けて日々劇的に変化を続けている。そして来月4月1日富岡町は避難指示を解除されることになる。確かに表に現れてくる事実や情報だけを捉えれば町は現地復興帰還政策に変容したかのような誤解を抱かれるのかもしれない。しかし町は現地復興と並行して「人と町のつながりアクションプラン」を作成し全戸配布している。この「人と町のつながりアクションプラン」の内容は素晴らしく、まさしく第二次復興計画の柱である「町民一人ひとりのあらゆる選択の尊重」の精神を具現化しようとしていることが感じられる内容となっている。また、今年1月、町がバックアップする形でまちづくり会社「とみおかプラス」が設立され、町と人との繋がり維持のプログラムが次々と実行に移されようと動き始めている。そして、町長も町民の多様な意思の尊重を宣言し続けている。

第二次復興計画では特に「町民一人ひとりの心の復興」を強調してきた。この「町民一人ひとりの心の復興」が果たされるには、町民自身の主体的な生活再建意欲が欠かせない。現在町には前向きな材料も出てきている。しかしいくら発展的で建設的な提案や情報提供を行っても、主役である町民自身がこれらから目を逸らし耳を塞いだままではいつまでも自分自身の心の復興は果たせない。震災原発事故から6年が過ぎた。現状をただ嘆き、国や県そして町の施策を批判するだけの時期はもうとっくに過ぎている。

そして今まさにこれから芽生えようとしている心の復興の芽が、これまでの原発事故被災地の閉塞した悪しき歩みがまた同じように将来に続いていくかのような論調によって摘まれ、再び町民に失望感を与え主体的な生活再建意欲を削ぐ結果になるのは非常に残念なことだと思う。

私の知る限り、町は今現在も第二次復興計画を遂行すべく、「現地富岡町の復興」と「町民一人ひとりの心の復興」を車の両輪として徐々にではあるが動かし続けている。私は富岡町が「人と町の繋がりアクションプラン」を具現化させ町民自身が真に心の復興を実感できるようになれば、他の被災地に類をみない町になるのだろうと考えている。

道のりは長く険しい。世間の皆さんには今まさに芽生えようとしている心の復興の芽を温かく見守っていて欲しいと願う。富岡町には「町民一人ひとりの心の復興」の実現を強く強く望むとともに、私自身も一町民としてできることから地道に日々努力していきたいと思う。