フラジャイル~こわれもの(9)
「勝手に上がり込んでしまい、すみません。ほんとに申し訳ないです」
ぼくは腰を折り曲げて床につくほど頭を下げた。
「タマのことをいってるんだね、おじさん」
エミちゃんがニヤリとした。
「えっ? いま、なんていいました?」
「タマだよ」
「ネコの名前は、タマというんですか?」
「そうだよ。タマ。でも、それがどうかしたの?」
偶然の一致にしては不思議だった。
三毛猫なら当然、タマだろうと思い込んでいたが、まさかその通りだとは思いもしなかった。
「きっと名前はタマにちがいないと、思ってました」といいながら、ぼくは作り笑いをした。
すこし頬の筋肉が引きつったので、ぎこちない笑顔にみえたにことだろう。
「おもしろいひとね、タマの名前を当てるなんて」と関口夫人が険しい表情をゆるめた。
「エミちゃん。このおじさんに、タマの名前は教えてあげなかったのね?」
エミちゃんはにやにやしながらクビを横にふった。
「だって、おじさんとはそこまで親しくないもん。いつもこわい顔してるし」
エミちゃんの口から出た「こわい顔」ということばにぼくはびくりとした。
自分ではそんなつもりはまったくなかったのだが、ひとから見るとこわい顔をしていたのだ。
自分の時間をたっぷりととって人生を考え直すつもりなのにそんな顔をしていたということは、実は気持ちの余裕がなかったということなのだろう。
反省しなければならない。
大川さんちのおばさんも、きっとぼくのことをいつも暗い顔をした変な人間だと思っていたにちがいない。
だからぼくに話しかけてはいろいろと探りを入れてきたのだ。
ぼくが密かに思いを寄せている斜め向かいの弓田真知子さんも、ぼくのことを気味わるく思っているのだろうか。
「名前がタマだと思ったのは、なぜ?」
関口夫人が興味深そうな目できいてきた。
「たまたまです」
「フン、おやじギャグ」
エミちゃんが鼻で笑った。