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わたげのブログ

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こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 先日 とあるところから小学校低学年や未就学のお子さんをもつ

(発達障害をお持ちのお子さんのお母さん)に親の会の紹介をするのに「わたげ」について

名前を出していいですか?というお話をいただきました。

 

そこで 「わたげ」について改めて書かせていただこうと思います。

 

もともと 私の子供が小1のときに 「支援級・学校(支援教育)についてどうも上手く話が通じない」

ということから同じ学校の支援級の母親たちで立ちあげた会です。

 

「相模原市小中学校支援級の親の会」という名称を掲げ「支援級」とは?「支援教育」とは?

ということを知り どういうことが「支援教育」として私たちの子供が学校側より提示していただけるのか?

ということを子どもが義務教育の間 話し合いを各関係機関と重ねてやってきました。

 

今 年月が流れ 若干の義務教育期間の方もおりますが ほとんどが義務教育を終え

高校やそれ以上の年齢となりつつあります。

 

ですので 支援級についてのお話を聞きたいということでしたら 現段階での情報は

そんなに古いものではありませんのでお話ができます。

 

また 将来はどうなるのか?という点は まだ 高校までのお話がメインになりますが

そこまでのお話はできます。

 

まだ 途中の成長段階ではありますが もう大人(成人)は目の前の子供をもつ親の集まりです。

 

学校との話し合いの方法などのノウハウは持っていると思っております。

 

我が子が小さかった頃 いくつか親の会を回って 一番ほしかったのが 「学校」に特化した

ことでした。

 

成人のお子さんの保護者からいただくアドバイスでは 困っていることが解決できるように

思えず「親の会」をつくりました。

 

私達の会は 今後 形を変えていくと考えています。

 

自分たちの子供の成長に応じて 課題がいろいろ出てきます。

 

子どもが小さかった頃 「なんで障害を持つ小さい子供の環境が整わないのだろう」と

思いました。

 

今 私達の課題は 大人になったら 困ることがあります。

 

大人の世界には 先輩方が多くいます。

 

私達の子供は「支援教育」で育ててもらった子どもです。

 

ここの生き方からも その先の一歩をやはり大人になっても大事であるとおもっています。

 

あんなに大変だった義務教育時代よりももっと難しいのかもしれないと感じることがあります。

 

そういう課題をどういう風にご理解いただき 環境を整え 子どもたちが少しでも自立していきていくか

そんなことを考えています。

 

ただ 子どもが成長すると 進路がみんないろいろなので そこも難しいですよね

 

まぁ そういうふうな(どういう風な?)会です。

 

まだまだ成長途中の会ではありますが

初めのほうに書いたことにかんして(支援級)はいろいろ知っていると思っております。

 

定例会を月に1度行っておりますので いらしていただければと思います。

 

 

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 「死んだときにはじめて幸せだったかわかる」とかいう言葉をなんかできいたことがあります。

(なんだっけ?)

 

ここ最近 「(子どもが)なにをしているのか 知らない。知ると(とんでもないことしてるから)そうしている」

というお話を聞く機会が増えました。

 

「支援級」である場合 多かれ少なかれ 子どもの送り迎えなどもあったりすることから

「知らないでいること」は難しいことも多い状況だったように思います。

 

いろんな考えがあるし 直面する親(主に母親)がそのことでまいってしまうことは違うと思います

 

とはいえ 発達障害の子を持つ場合 どこかで 腹をくくって踏ん張ることは 私はやっぱり

意味があると思うし 思いたいです。

 

早期療育と言われますが これにはやっぱり大きな意味があると思います。

 

ある意味 「白紙」状態の場合 時間は多くかかりますが吸収する力がつけばいろいろなことを

吸収することができます。

色がついていると(この場合(私感ではありますが)「うるさい!」「やらない!」などの抵抗を言葉で表現する場合 実際 理論的にわかっているわけではないけれどやっぱり言葉で表現していると理解していると思ってしまうことでより時間がかかる)やっぱり難しい面が多々あるし

 

体の大きさもすごく関係してくると感じている。

 

いろんな大変があるし 一つなんとかなっても また一つ何かが課題となるのだけれど

 

やっぱり 個人的に思うのは 「見る (子どもを)」は大きい大事なことだと思う。

 

「見ない」ことをすることで 大きな課題が出てしまうなら 小さな課題を一つ一つクリアすることは

大変ではあるけれど最終的に「幸せ」につながるんじゃないかな?と私は思っています。

 

いろんな考えがあっていいと思います。

 

それでも 自己満足かもしれないけれど 目をそらしたくなるかもしれないけれど

「見ること」は意味があると思います。

 

難しいけれど・・・

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 先日 定例会がありました。

 

そこでのお話で つながってるなぁ と思ったことがあります。

 

中学校の支援級のお話で 「支援教育」のご理解が 「????」と感じるお話がありました。

 

今までにも書きましたが 「支援級」に関わる 支援級担任や 校長が 「支援級」に対しての基本的考え

が市が(いや国が)掲げているものと違う考えをしていて 違うことに気付いていない(いや?故意なのか??)

 

「支援級」には「知的障害の子しかいない」 いや 必要な支援に応じてそんなことはないはずです。

 

「支援級」の進路は「支援学校」 いや 支援学校だけではありません。

サポート校や その先の進路として 手帳を持っていても進んでいる方はいます。

 

その考えにより 「学習」より「作業」 いやいや それは個々に応じた学習計画が必要なんです。

今は 就職を考えるのなら 小4の学習まではいるといわれていた昔とはまた違い 小6までということもあります。

可能性を考えるのなら 子どもの状況に応じた学習計画をしていかなければ 「働くこと」を考えた時間を過ごせない

義務教育機関が存在することになります。

 

支援学校の進学も 「分教室」を選ぶのなら 自力登校を掲げていること 「一斉授業」を掲げていること

を考えるのならば「自立」は大切なことだから

 

「支援級」だけの行事参加 では ここがうまくいかないこともあるのではないでしょうか?

 

「個別指導計画」を 支援級担任 学校長が正しく理解し作成しているのなら 「支援級だけ」での囲った学習は

あり得ないと考えます。

 

いきなりできないから ではなく「できるようにするにはどう計画し実行するのか?」なのです。

 

また 先日 「支援級」に在籍していての今後の進路はどういうものがあるのか?というお話を聞きました。

 

これから どういう進路があるのか?と考えている人にとって 学校側の間違った「支援級とはどういうものか」という

考えは その進路の選択の幅を狭め 学校側の「支援教育の無理解」の犠牲になってしまいます。

 

学習は難しい というお子さんでも 「字が読める」ことによりできることが大きく変わります。

 

計算ができなくても という話を聞いたことがありますが 計算機を使うにも 概念がなく使えません。

 

そのお子さんが レジを打ったりできる可能性を 学校側の考えで できるようになったり できなかったままであったり

するのです。

 

「自立」が大事 ということも 知識があることでできることは多くあるのです。

 

小さな子供たちの将来を考えるためにも 学校側の「支援級」というのはどういうところなのか?ということを

市の掲げているものとすり合わせていただきたいと思います。

 

もちろん 育てているうちに 目標としていたようにはいかないこともありますが

きちんと「個別指導計画」を立てていれば 毎年毎年の(学期ごとの)お子さんの実態と目標を作っていけるわけです。

 

そこから 微調整しながら 少しでも「自立」そして「働ける人」を育てていただきたいと思います。

 

支援級・学校長のお考えは 大変重要です。

 

「知的障害を持つ子ども」であっても 「学びます」 ご理解ください。

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 最近 改めて思うこと

「個別指導計画」やっぱり大事じゃん!です。

 

とはいえ ずっと言い続けているけれど きちんと計画をたて 実行して振り返りをできるという前提にはなりますが・・・

 

実際 活用できている方ってどれくらいいるのでしょうか?

 

というか 保護者が「個別指導計画」をどう使うか?

やはり浸透していないと思います。

 

(まぁ 学校側がまだ 支援級でも保護者へ渡していないっていう

謎の行動も含め問題なんだけど)

 

支援級はもちろん 普通級の支援のいる子に関してもきちんと

作成し共通理解し育てていくことで カオス化していることがほぐれるのではないかと思うんです。

 

後回しにして 今の課題をそのままにしてしまえば

負の定着をしてしまい 本人にとっても周りにとっても

大変なことになると思うのです。

 

計画を書面にすることは 目標をきちんと掲げ そこへ向かって

本人・家庭・学校や関係機関一緒に目指しましょう!という

標語?!のようなもので一致団結して育てることはとても大きな成長をもたらします。

 

どうせ できないでしょ?!というのは 簡単なことですが

成長を伴うにつれ そのことが大きくなってしまうので・・・

 

やっぱり 「個別指導計画」のもと きちんと課題を見つめることが大事だと思います。

 

それを 家庭がどう利用するのか?

もっと利用の仕方が周知できるようになることが大事であって

それにより (残念ではありますが現段階では)つかえない「個別指導計画」が改善され意味を成すことを願います。

 

少なくても 幼稚園→小学校→中学校できちんと「個別指導計画」を

つくり振り返りをし目標を立てることは大きいことだと思うのです。

 

 

 

 

こんにちは

ケリーママです。

 

先日、定例会がありました。

 

そこでのお話から 私が思ったことですが・・・

 

義務教育が終わり 進路がそれぞれ分かれましたが

支援学校を選ぶ ということは 「学ぶ」が「作業」という形に

重点をおくことになり もっと学ばすことを(「学習」要は国語・算数)

させたかった人 もっと学ぶことがしたかった子には別世界なのだ

という話がありました。

 

我が子は 進路を支援学校を選んでいませんので

中学の延長(いや それより専門的な教科もありなかなか大変ですが)

 

周囲には 学ぶ(学習のほうの教科学習)ことが苦手というお子さんも

多いと話を聞くことがあります。

 

そこで ふと思うのですが

 

「学習(教科学習)」がもういやだ というお子さんに対しては

やはり基礎がきっと積み重なっていないからだと考えますので

「学習」の在り方って考えたほうがいいのではないかということ

 

基礎って本当に大事だと思うんです。

 

漢字を書く(ひらがな かたがなでも同じですが) 筆順って大事だと

思うのですが それもままならなければ 形をうまくとらえることが

難しくなると思います。

形をとらえるという点では 部首などの理解がされていると

漢字も組み立てで覚えやすいと思うのですが

そういう概念が抜けていれば やはり漢字を覚えるのは難しい

となるでしょう。

 

話しが少し それましたが

知的障害のあるお子さんは 支援学校で(高校)作業を

中心に(職業訓練)授業があります。

(実習へいったり)

 

ふと思うのですが

どうして 3年で卒業になるのでしょうか?

 

働くためには 小4まで(最近は小6まで)の学習ができてないと

と昔 講演会や先輩ママのお話で嫌というほど聞かされています。

 

子どもの障害状況はありますが 少しでも理解できることが多いほうが「働く」に結びつくのです。

 

3年で卒業させるのはなぜでしょうか?

 

仮に(夢話になりますが)高校が5年間あったら

学習と職業訓練をする時間が存在するのではないでしょうか?

 

なぜ?発達が遅れているという障害なのに 健常の人より

早く学ぶことがおわるのでしょうか?

 

私の学生時代の友人で 高校終了後(専門学校へ進んだ人もいますが)社会に出て もう一度学生をして学んだ人が多くいます。

 

健常の人ならば 「学び」を自分の意志で再度始めることができますが

障がいのある子たちが同じようなことをすることは難しいでしょう。

 

でも 学ぶことをしたい人もいると思います

 

それが 高校生の年齢で 小学校の学習をしているとしても

 

机上で学んでも意味がない ことは 知っています。

 

それならば 生活と結びつけながら学ばせれば

(ということは 通常の倍の時間がいるってことですよね)

 

やっぱり 義務教育後の在り方は 今は難しいかもしれないですが

課題として考えなければならないことではないでしょうか?

 

壮大な話になりますが

やっぱり考える必要のあることなのではないでしょうか?

 

 

 

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 先日 書きました「ユニバーサル化」「構造化」に続く

話しですが・・・

 

学校生活 まっただ中のころ(今も学校生活だけどね)

頭を悩ませたのは 「抽象的な表現」でした。

 

「楽しくできました」の壁は大きく

正直 「耳障りのいい言葉をつかって本質は全くない」状況は

目指すところもなく 「障害を持つ子ってこんなもんでしょ?」という

相手の気持ちが見え隠れして

 

「個々に応じて」は まじ 「言っておけばいいじゃん!(できるわけないじゃん)」という雰囲気を漂わせておりました。

 

それは そうやることでごまかして やっている(言っている)指導者自身も闇の中の迷宮に入り込むだけで 良いことなんて

ないんだけど・・・

 

具体的に表現することで 「それをやんなきゃなんないから(やりたくないから)」っていう風に感じるんだと思うけど

 

具体的にすることで それをやることを目指すには どうしたらいいのか?というゴール(ただし 目標を達したら次の課題がでてはきますが)が明確化して指導者自身も 対象者やその周りの人たちも

同じ方向へ目指せるので

 

やっぱり ごまかしの「抽象的な表現」は しちゃいけないと思うのです。

 

そのためには やはり 「個別指導計画」の存在は重要で

「支援級」はもちろん「支援が必要なお子さん(普通級に在籍している

子でも)」作成されるような整備が必要だと考えます。

 

なんか 結局 「個別指導計画」にたどりつくのか・・・

 

まぁ ともかく

抽象的な表現と具体的な表現の使い方をもっと

指導者に理解してもらわないとなんないんじゃないかな?

(保護者に対して 「こういうことができない」とかいうときは

具体的とかじゃなくてさ(そういう時は対策も含めて話したほうがいいんだけど))

 

 

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 最近考えることですが

 

義務教育の中 「学校」という世界で 「支援教育」について

いろいろ学んできた私ですが・・・

 

「学校」という世界から 一歩離れると まだまだ 「支援」や

「ユニバーサル化(デザインを含めた)]

考えは 公共の場で浸透されていないように感じています。

 

子どもに関わる公共の場において

やはり 「支援教育」の考え方としての 視覚支援・構造化が

もっと理解され浸透していくことができれば

 

健常であっても 障害を持っていても わかりやすく 理解できることで

「自立」が進むと考えますが

 

残念ながら 昔ながらの 「聞いて理解する」ということがあたりまえ

とされる概念がはびこっていて

 

子どもが関わる 公共の場ならば 

「自立」を身に着けるために 「視覚で表す」「構造化した環境をつくる」「具体的な説明(抽象的な話でない)や端的に話す」

などが浸透されていないと考えます。

 

私達の子供(「支援を必要とする子供」)は 各関係機関でつながって

情報交換して子どもを育てることが「支援教育」の考えとして

大切とされていますが

 

その情報とは 子ども個人の特性などももちろん重要な情報ですが

 

「支援教育」の概念のもと 「環境の整備」も同様なのではないかと

思います。

 

神奈川県は「特別支援教育」ではなく「支援教育」という考えを

打ち出し 障害があってもなくても 必要な支援をすると唱っています。

 

ということは

 

公共機関も意識して 障害があってもなくても わかりやすい

構造化された環境 を 整えていただくことが大事なのでは

ないでしょうか?

 

もしかしたら 民間の機関のほうが こういうことは

きちんとされているのかもしれませんが

 

公共の場が 「支援」「ユニバーサル化」をより意識していただくことで

より世の中に 「支援」の考えが根付くのではないでしょうか?

 

まだ 学校という中も 「支援教育」が理解しきれていないところ

もありますが

 

市・県の取り組みとして 「公共の場」での「支援」「ユニバーサル化」

がすすむことで より理解が進むことを願っております。

 

どうか もっとご理解いただき 机上の空論ではなく

できることをしていただけますようにお願い申し上げます。

 

追伸:これにより「合理的配慮」への理解もよりすすむと

私は考えます。

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 先日 聞いたお話で

支援学校で お掃除検定っていうのがあって

その検定は 希望者が受けれるものではないらしいです

(っていうか 学校によって その検定の話をきくこともない学校も

あるようですが)

 

さらに 何種目(ほうき・ぞうきんなど(正式名称ではないですが))

かあるらしいのですが・・・

 

普通 検定って 4級受かったから 次は3級を受ける って感じで

級があがるのですが

 

その日の子供の状態で 前回 4級でも 今回は6級になってしまう

ということが発生するので 違う種目で受けることをされるという

お話を聞きました。

 

そういえば 教育委員会の方とお話をしたとき

検定の査定?(判定?)をできる方が少ないというお話を聞きました。

 

子どものコンディションは確かにあるでしょうが・・・

正直 よくわかりません。

 

前回 できたところが定着していないから 級が下がるということ

なのだろうと思いますが 定着するってことにうといのでしょうか?

 

また 以前 企業の方にお話をきいたところ

学校でやった掃除のやり方と 仕事のやり方は違います

という話を聞きました。

 

まぁ 私達 大人が検定で学んだことでも 仕事だと

例えば簿記など 勘定科目がちがうものをつかったりなど

あるから(交通費が旅費交通費だったり)そういうことは

あるだろうと思いますが・・・

 

なんだか 不思議な気がします。

 

定着させるってことを目指しているわけではないのでしょうか?

何が検定の意図なのかなぁ?

 

あまりよくわかんないんだけど・・・

 

でも 意味があるんだとは思いたいです。

 

 

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 義務教育でなくなってしまったので

私自身 かなりぼけてきている面があります。

 

恵まれた環境の中で 子どもが自立している(とはいえまだまだではありますが)ので 細かなところを目にする機会がなくなっている状況

でありますので

 

就学相談についてのお話を聞いても 思い出すのにちと時間が

かかってしまうくらいのピンボケ状態でありますが・・・

 

言えることは

 

子どもの課題がなんなのか?という点を整理し

その課題をどうするとできるようになるのか?

それは 家庭ではどうしていくのか?

学校ではどうしていくのか?

 

それをするには どういう進路がいいのか?

学校側としてはどのように考えてくれるのか?

 

さらに 学校側として

この目標を共通認識として家庭と連携するために

きちんとした個別指導計画を作成してくださることができるのか?

 

ということではないかと思います。

 

ケリーの場合

 

小学校から中学へ進学する際

小学校できちんと「個別指導計画」の作成をしていただいておりましたし 家庭として何が課題であるのか きちんと整理し

入学前に(多分 秋ころから)話し合いを重ねておりました。

 

このブログにも書きましたが

ケリーの場合 学習が 小6までの過程を終了できることが

予測できていましたので 中学で次の学習をするために

交流で学習させていただくこと (これには 中学は小学校と違い

難しいですよ というお話をききましたが 難しくなった場合をどうするかについても考えるという話をしていました)

 

さらに 中学卒業後の進路を考え 自分で公共交通機関を

利用し通学するために 家庭でも練習したり 学校の行事参加の際

一人で行かせることが可能そうなところはそうしたりなどを

先輩ママたちに中学の生活を聞きかじりながら 想定して学校との

話し合いに臨みました。

 

この場合 強い味方として 小学校の進学の場合なら

幼稚園 中学進学の場合は小学校の先生方であり

あくまで私はですが 書類にして資料を渡していました。

 

小学校への進学では 問題となるのが 「勉強時間座っていられるか」というものです。

 

これは うちの場合は 

 

1 練習をする 

  1年前から はじめは5分くらいから

  時間を増やし 毎朝 簡単な学習を座ってする

 

  黒板をつかう練習もして ノートに字を書く(板書をうつす練習)

 

2 療育機関にも課題として対応していただく

 

  ○付けのとき 並んで待っているのがケリーには難しかった

  のですが 療育機関で練習しました

  ただし 実際は 30人以上の児童が並んで待っている学校では

  並んで待つ時間が療育機関とは違い長かったです。

  

  ケリーは支援級在籍でしたので きちんと児童に話をさせて

  いただき 並んで待っているのが難しいことがあるので

  その時は待つ場所を教えて待っているように声かけてください

  という説明をしていましたので クラスのお子さんたちが上手に

  対応してくれました。

 

  (これは 支援級在籍だからできたことでもあると思いますが

   普通級在籍の場合なら 先生とよく話をして 先生が

   上手に並ならぶ方法や並ぶのが上手でない子にどうやって声を

   かけるのかっていう話をしてもらうなど支援方法があるかな

   とは思います)

 

 3 医師との相談での服用

 

   うちは服用を考えたことでうまくいったケースですが

   何分 薬ですので副作用もありますし あわないで飲めないことも

   ありますが 相談されることも考えてみてもいいと思います。

 

小学校の時も 中学の時も 「勉強するんですよ 今までと違いますよ」ということを言われましたが

やってみないとわかりませんし 支援級で学習する場合でも

それは同様で 少しづつできることを増やすこと

 

お子さんの状況を観察し 課題を見つけ それを実行し

評価していただき 次につなげる

 

それは 学校だけではなく (健常である人でも)きちんとやることで

大きな成長を遂げると考えます。

 

就学相談って 次に進む学校ってところがどんなところか

わかんないことで 大きな壁を感じますが

それよりも 子どもの今の課題はこういうことで この課題を

クリアするためにどうする方法があるのか?という小さなことを

一緒に考えていただけるように働きかけ それに対して

ご理解いただけるであろうところに進むことが大事であると思い

ます。

 

そして 決まってしまえばOKとはせずに その課題について

真摯に向き合うことが お子さんにとって 成長と自信をつける

ことになり 二次障害などで苦しむような時間を過ごすことなく

進んでいけると私は考えます。

 

 

こんにちは

ケリーママです。

 

さてさて 最近 目に触れたことで不思議に思ったのですが

ゆとり教育のときと教え方に違いがあるのでしょうか?

 

ケリーが小学校のころ 算数を(小1のころ)を家庭でもやらせていて

このやり方わかりやすいな と目から鱗だったのが 「さくらんぼ」

というやりかた

 

5は 1と4に分かれる 5は 2と3に分かれる

というように 分解を理解することで 繰り上がりの計算の時

楽になることを発見して (たとえば 8+5= という問題なら

8は あといくつで10になる?か考え あと 2で10になるから

5から2 をあげて 10の塊をつくり 5は2と3に分かれるから

のこりの3を一の位にいれるという考え方)

 

算数ってパターンだから ケリーには向いている教科であることを

納得しました。

 

最近のお子さんの学習を見るチャンスがあり あれ?このやり方

してないのかな?となぞに思っております。

 

と同時に そうやって 健常のお子さんに時代によって学習の仕方に

(いいのか悪いのかわかんないけど)差がある中で 支援級は変わっているのでしょうか?

 

いいのか 悪いのかわかりませんが 私は 支援級の畑の授業

反対派であります。

 

育ててだから何だっていうんだ?と思ってしまうのです。

 

それが 働くことにつながるのならまた違うかもしれませんが

申し訳けないですが 今までその方面で職に就きましたという

先輩にお会いしたころがありません。

 

植物を育てることで 成長を学んだり 旬を学んだりするのは

わかりませんが それを義務教育9年間する意味が申し訳けないですがわかりません。

 

百歩譲って 理科的な学習として学ぶのならいいですが

「畑」としての授業があることはよくわかりません。

 

支援級の学習って(というか支援学校の学習って)なんらかの変化が

というか研究がされていてそこから子供たちの成長に大きな成果を

与えているのでしょうか?

 

学習が個々に応じてとなるので 難しいとは思いますが

やっぱり先生任せであると感じてしまいます。

 

難しいけど

 

将来につながるように お願いしたいと思うのです。