If today were the last day of my life | 早稲田ドクター日記(旧早稲田MBA日記) ~男芸者のアカデミズムへの挑戦~

早稲田ドクター日記(旧早稲田MBA日記) ~男芸者のアカデミズムへの挑戦~

現在、総合商社で働きながら、アカデミズムへの挑戦のため、早稲田にてMBAを取得後、2009年春より早稲田大学商学研究科博士課程に進学。経営戦略、新市場創造型ビジネス、イノベーション論あたりが研究領域。実践・研究・教育の3つが人生の柱。

数日前に会社同期と恵比寿で酒を飲んでいたら、大学時代の悪友からメールが来た。思わず自分が酔いすぎなのではないかと、携帯電話の中の文字に目を疑った。


「レントゲンで肺に影が見つかった」と言う。腫瘍であることは間違いなく、良性か悪性かわからないのだと言うではないか。



それでも、きっとまだ若いのだし良性で一件落着だと、気軽に思おうと言う自分がいた。さすがに最近は昔と同じような身体の自由はなく、少しスピードを上げて走れば筋肉がきしむのを感じるし、かき上げた髪の中の白髪の数にひいてしまうことがある。それでも、どこか無意識に若さを過信していて、今すぐに生死を分ける事象と自分は限りなく無縁であるのだ。


そして本日、この悪友が検査を受けたところ、結果は僕の楽観過ぎる思い込みを裏切り、悪性腫瘍だった。幸いにも、0期の超初期段階で完治させることができると聞いて、安堵したが。


しかし、このニュースは一切の自分の若さへの過信を打ち壊してくれた。この悪友に起きるならば、同様のことが自分に起きないと断言する根拠は何ら持ち合わせていない。思い当たる健康上の優位性と言えば、毎朝、セサミンを飲んでいるぐらいだ(ちなみに、僕も9年前に右腹部に腫瘍が見つかり手術して摘出している、幸いこちらも良性だったが)。



他人事ではないこの数日の出来事を受けて、僕が真っ先に思い出したのは、スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業式でのかの伝説のスピーチの次の箇所だ(日本語訳は、僕による)。



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My third story is about death.


僕の3つ目の話は、死についてです。


When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

僕が17歳の時、ある言葉を目にしました。確かね、こんな感じだったと思うんだけど、「もし今日が人生最後の日だと思って日々を生きれば、いつか必ずその通りになるだろう」と。

この言葉がすごく印象に残って、僕はあれから33年間、毎朝、鏡に映る自分を見て、こう問いかけてます。

「今日が人生最後の日だとしても、今日のやるべき予定を自分はやりたいだろうか?」


そして、その答えが「NO」となってしまう日がけっこう続くと、何かを変えなきゃいけないみたいだと言うことに気づくのです。


Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.


死はけっこうすぐ訪れるのだと覚えておくことは、僕が人生の大きな決断をする時に背中を押してくれる最高の手段でした。

なぜなら、周囲の期待とかプライド、恥や失敗への恐怖みたいなことは、だいたい死んだ瞬間に消えてしまい、そして本当に重要なことしか残らないんですから。

自分もいつか死ぬんだと覚悟しておくことは、何かを失うんじゃないかと考えてすぎてしまう罠にはまらないための最善の方法です。

今、あなたは、何も持っていない、真っ裸の状態なんです。あなたが自分の心のままに動き出さない理由は、一つもないんですよ。


((略))

No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.

誰だって死にたくないに決まってます。天国に行きたいと思っている連中ですら、天国に行くために死のうとは思いません。

でも、死は全員にとっての共通の終着地なのです。死から逃れられる人なんて存在しません。


そして、これはそうあって然るべきなのです。なぜなら、死は生による究極の発明だからです。死は生を変える代理人みたいなものです。死は、新しいものに向かう道をひくために古いものを消し去ってくれるわけです。

まさしく今、新しいものとはここにいる皆さんです。でも、いつかそう遠く無い未来に、皆さんも段々と古いものになってしまって、消し去られることになります。

ドラマチックな話で悪いのだけど、でもこれこそが真実なんです。


Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ― which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

皆さんの持ち時間は限られています。だから、他人の人生を生きている暇なんてまったく無いのです。

他人が考えたことの結果に従って生きて行く、そんなドグマに囚われていてはなりません。あなた自身の内なる声を、他人たちの戯言の雑音でかき消させてはなりません。


最も重要なのは、あたな自身の心と直感のままに勇気を持って進むことです。あなたの心と直感は、あなたが本当に何になりたいのか、不思議なことに既にわかっているんですよ。

それ以外のことは、全部もう二の次で良いじゃないですか。

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「今日が人生最後の日だとしても、今日のやるべき予定を自分はやりたいだろうか?」この問いは、今日が人生最後の日である確率がどれぐらい高いかで変わってくる。人生最後の日である確率が低いと見込まれると、「人生最後の日かもしれないが、そうでないかもしれない。だから、今後のためには、予定をやった方が良い」と言う判断が強くなってしまう。今日が本当に人生最後ならば、明日明後日のことに囚われず予定を変更して、例えば、好きな物を好きなだけ食べる。ラーメンライスを遠慮なくお替りまでやるかもしれない。しかし、かなり大抵の場合、明日明後日はやってくる。そして体重計の数字に、ラーメンライスを後悔するだけだ。



だが今日、まさしく今日が人生最後の日かもしれない確率がかなり上昇していることを、とても濃厚なリアリティを持って僕は痛感してしまった。



"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"


少しだけこの言葉を自分につぶやき、そして内なる声の言うことを社会性とかの前に耳をふさがずに、耳を傾けよう。


「ラーメンライスを食べておくべきだった」

それが僕が人生の最後に考えたことになるのは避けなくてならない。