口からでまかせと言うと語弊があるかもしれないが、オバちゃんから夜寝る前に聞いた話は、とりとめがなかったり、有り得ない設定だったりした。夜の暗さが、山姥や、赤や青の鬼ヶ島の住人の気配を濃厚にして、トイレに行くのをためらわせたりして閉口したが、それでも、布団の中の安心感からか「それからどうしたの」「もっと話してー」と、六人一部屋の子どもらが口をそろえて話の続きをせがむものだから「じゃ、あともう少しだよ」仕方なく話が続けられる。絵本であれば、毎回同じ顛末になるのだが、私たち子どもを寝かしつけようとして話をするので、豆電球の明かりがポツンと灯っているだけ、字は読めない。桃太郎が竹から生まれてきたり、イヌやキジの代わりに、六人のうちの誰かがお供について行ったりしちゃうオバちゃんのでまかせ話を、ことによったら自分も登場できるのでは?と、いつ訪れるかわからない出番をハラハラドキドキしながら待っていた。中々寝ようとしない私たちに手を焼いて、「とっぴんぱらりのぷう」と言って話を終わらせようとするのだが、私らは「わー」と声をあげて、その言葉を打ち消して、豆電球みたいな目をぱっちりと開けて「それからどうしたの」と話しのおねだりを延々と続けた。早く子供らを寝かしつけてしまおうとの思惑が外れて、やけくそになったものか、そんな時のでまかせ話は一層熱を帯びる。「でまかせ」と言ってしまうと印象があまり良くないが、感性や美学をもとにして、言葉を「出る」に「任せる」と分けて書いてみると、見たこともないような景色や、行ったこともない海の底や空の上の国々を作って、そこにみんなを連れて出かけて行き、力を合わせて困難を乗り越えたり、知恵を絞って大きな力に立ち向かったりした夜の物語が、いまだに私の中できらきらと輝き続けて、私の舞台づくりのもとになっているのだと気付く。舞踊は体を動かしての、音楽は楽器を奏でて、歌や言葉は声の表現だ。日本の芸能で伝えられてきたこれらの表現は、特別な訓練から生み出されることよりも、暮らしや仕事など、日々の営みの中で培われたものが多いと思う。私はそんな芸能を愛していて、舞台で歌い踊れることに幸せを感じている。うたごえ新聞の読者の方々には、私のとりとめもない口から出まかせの拙い話にお付き合いいただき、本当に感謝しております「とっぴんぱらりのぷう」