加藤木朗のとっぴんぱらりのぷう

WARIKI blog
うたごえ新聞の連載記事です


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 しょっちゅうではありませんが、海外で公演させていただくことがあります。挨拶のしかたは地域によってかなり違っていておどろきます。日本で当たり前に交わされる頭を下げる「お辞儀」は少数派で、一番多いのが「握手」する地域。 戸惑ったのは、頬をくっつける、抱き合うなど密接に体を触れ合わせる挨拶習慣のある国に伺った際で、特に女性との「ハグ」については、妻に対する忠誠心から大いに煩悶しました。苦悩の末、相手の文化を尊重し、相互理解に貢献するという崇高な理念と、男としての本能の声のもと、女性との「ハグ」に邁進することが出来ました。「ハグ」にも相手との関係をあらわす間合いや頃合いがあります。時間の長さ、身体の密着度などが親密度により変動しますので、「ハグ」することで、相手が自分をどう思っているのかを感じ取ることが出来ます。

 このように便利な「ハグ」がなぜ日本では挨拶に取り入れられなかったのでしょう。「ハグらかす」不誠実でスッキリしない態度がうっすらと漂っている語感に加え、もう一つの理由として考えられるのが、日本は湿度が高く疫病が蔓延することがありました。

 科学の発達していなかった時代にあっても、病人から距離をとっていたものは罹患しにくかったことに着目した私たちの祖先は、体を触れ合わせない防疫上もっとも優れた挨拶「お辞儀」を推奨したのではないかと推察されます。また、「お辞儀」には、何度さげるか、どこまで深くさげるか、どちらが先に且つ最後までさげているかによって、相手との関係をお互いに確認し合い、更には周囲にも知らしめるというきわめて優れた性能があります。

 しかし例外的な「ハグ」を見つけました。千葉県銚子に一つの太鼓を二人で担いで囃すお囃子があります。一人が飛び上がっているときは、もう一人が下で支え、着地点を予想して太鼓と相手を運びます。左腕をガッチリと組み合わせ、左の脇腹で相手側に太鼓を押し、左の膝を合わせると、腕、脇、膝の三点によって体と太鼓が固定され、飛んでも跳ねても太鼓がぶれず一心同体で囃すことが出来ます。これは太鼓を介在させての「ハグ」と言えます。日常的には体に直接触れることの少ない日本では、体を触れ合わせたり、抱き合ったりすることで「ハレの日」をより強く体感したのではないでしょうか。いま私の心がハレないのは、妻に「ハグ」をこころみ、張られた頬のハレが引かないからです。

 

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  老若男女がスマホ片手に、徒歩で、自転車で、車で駆けずり回りながら、どこかの誰かに設定された場所で、仮想のキャラクターをゲットするのが流行っています。ゲットしたい人が大勢集まると珍しい種が出現する可能性が高まり、運が良ければ捕獲できたりするのだそうで、聖地と呼ばれる場所までが出来ているらしく、お祭りでもないのに連日の大賑わい。

 「イヤイヤこれはお祭りなのかもしれないぞ」。スマホの画面をこすってキャラクターをゲットするのは、伝統的なお祭りのように五穀豊穣や無病息災などを祈願するわけではないけれど、一つの目的に絞られた場に大勢の人を集め熱狂を生み出す手法は政治、宗教、商売で常套手段なのは皆さんご存知の通り。

 してみれば、大勢の人間が捜索することで、捕獲したい目標物が出現しやすい状況になった区切られた場で、対象をゲットしたいという共通の願いを胸に秘めて人が集まれば、そこは「祭りの場」聖地となります。聖地に集うのですからそれは信者と呼んで差し支えないでしょう。その信者たちがスマホをかざし、あちらを見透かし、こちらを眺めて歩き回っているのは、一連の動きが同じ操作で繰り返されるため、風流と呼ばれる盆踊りなどにみられる集団での行進に見えなくもありません。

 そう思って聖地で信者さんの流れを見ていると、歩くコースや流れにもある程度の決まりがあって闇雲に歩き回っているのではないらしい。視線も手振りもある程度そろっている。これならば、スマホを扇子の形にしさえすれば、本格的な盆踊りにすぐ出来る。これは新たな芸能が生み出されたのかもしれないぞ。

 それにいち早く気付いた私は、「スマホ流舞踊の家元となりピラミッドの頂点に立つのだ」。そう思った矢先、捕獲する方法に若干の問題が見つかった。現在街中で行われている捕獲方法は、スマホによってカプセルのようなものを捕獲対象に投げつけてその中に封印してしまう。一応、生物の捕獲なので狩猟法を調べてみると、狩猟法で認められた猟具でなければ違法となることが分かった。

 残念ながらカプセルは猟具ではなかった。しかもである、猟期は来月15日から来年2月の15日までと決まっていて、これも守らねば勿論、違法で罰金を納めねばならない。ピラミッドの頂点が、かすんで見えなくなってきた。「ヤマタノオロチ」「オオムカデ」「オニ」などを皆で社を作り封印した先祖たちの本気の捕獲力に感服する。

 

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 「ウワーン」夏の草を勢いよくなぎ倒していく草刈機、通称ビーバーの回転する刃を見ていると八木節で使う唐傘を思い出します。八木節は、輪になって踊る盆踊りを江戸の馬鹿面踊りの手を加え、「花笠踊り」「菅笠踊り」「唐傘踊り」など道具を持つように明治の初年に改変したのだそうです。

 明治維新で激動する世の中の流れを尻目に、傘をクルクル回して踊りの振りを考えていたどなたかを、芸能者のはしくれの私は自分もそうありたいものだといたく尊敬しております。盆踊りは、輪になった群衆が地球と月の関係のように、自転と公転を織り交ぜつつ同一方向に進み、輪を構成する個々人が、それぞれの間隔を保持して周回します。

 命の再生や転生を願う盆踊りとは、宇宙の摂理を現した一大スペクタクルなのではないかと思う事があります。回ってこそ宇宙規模の繋がりに思いをはせ得る「盆踊り」ですから、観光のためにパレード化された回らないものを見るよりも、私はあくまでも回ることにこだわり続けたいです。

 我が家の年中行事で海水浴に行きますが、お盆を過ぎるとクラゲが出るので八月の上旬にしています。海はみるだけでも気持ちが浮き立ちますし、揺れる波間に身を任せながら泳ぐともなく浮いていますと、母親の胎内はこんな感じだったのかもしれないと、記憶とは呼べない体感した懐かしさらしきものを覚えます。 全身運動である水泳は、エネルギーの消費率が高く腹が減ります。せっかく海に来たのだからと奮発してカウンター越しに注文するスタイルのお店に入り「地魚でおすすめのものを握ってください」とお願いしましたら、大将が非常に手際よく握ってくれ、それぞれの目の前に「まな板の小さいの」みたいなものに握りずしが綺麗に並べられたものを出してくれました。

 子どもたちはジーッと見ていて手を付けようとしません。きっと綺麗に並んでいるのを自分が食べることで崩したくないと思っているのだと感じた私は、情操教育の見地からも『奮発してよかった』と思いました。その時、息子が「おとうちゃん、これ食べてもいいの」とたずねてきました。「いいんだよー」内心『どうですか大将、うちの子どもたちはまずは目で楽しめるんですよ』スバラシイ教育の成果。大将の目が優しく微笑み返します。息子の「このお寿司回らないよ」の一言で店内の空気が一変し、以来寿司は回ってこそ宇宙とつながれると改心しました。

 

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 「間に合わない」田植えにです。「田起こし」に入ったとたんに、トラクターの後ろについているロータリー(グルグル回る爪のようなもの)が回らなくなってしまったのです。ロータリーが付いているからトラクター。それがなければ泥の中でも走ることのできる遅い車です。農機具やさんに引き上げてもらいましたが、「ギアが割れとるなぁ、修理出来るけど部品屋が休んどるもんで休み明けになるに」とのこと、10連休の初日に受けた宣告に目の前が暗くなりました。

 田んぼの作業で一番にするのは、稲刈りが済んでから春先までの間にあけられたモグラの穴をふさぐこと。田んぼの水には実にたくさんの力が秘められていて「養分をためておく」「急激な気温の変化から苗を守る」「雑草の繁殖を防ぐ」「連作障害の原因物質を流す」などがパッとあげられる主なものでしょう。

 そこで「田起こし」の前に、田んぼの道のような部分の「アゼ」をスコップで削り取り、「シロカキ」の一回目の後に「クロヌリ」をして水の流失をふせぐのです。トラクターが直ってきたのが5月13日の金曜日。田植えが済んで「おさなぶり」している田んぼを見ると、日にちと曜日に自分の田んぼへの不安がよぎります。「おさなぶり」は田植えが済んだことを「田の神」とともに祝う「サナブリ」のことですが、田植えそのものを「おさなぶり」と呼ぶ地域もあります。 芸能の源流の一つ「田楽」は、田植えの際に歌や太鼓で囃しながら集団での作業を効率よく進めることと、芸能を奉ずることで田の神の力を強め五穀の豊饒や大地の新生を願う「まじない」でもありました。早乙女が苗を植えていく後ろに太鼓方がずらりと並び、「サンバイ」と呼ばれる田の神役の歌に合わせて囃すのが「花田植え」で、広島の「壬生の花田植え」が有名です。馬のしっぽの毛を両端に付けたバチをクルクル回したり、頭上に放り投げたりと、曲芸と舞踊の要素の入った演奏です。目の前には田植えをする早乙女たちの後ろ姿がありますが、バチをみなければ田んぼに落としてしまいます。泥の付いたバチは馬の毛が重くなり苦労しますが、早乙女も見たいという生命体としての根源的な欲求にも抗いがたく、バチを落とさぬように早乙女チラッ。

 先人たちが「サブリミナル効果」を知っていたかは分かりませんが、早乙女のサナブリを見せつけるあの構成には、少子化を解くカギがあるのではないかと勝手におもっています。

 

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私のまぶたの裏には、中学校の卒業式の景色が焼き付いています。毎日見ていた景色が急によそよそしく遠ざかり、友たちの笑顔や別れを惜しむ泣き顔が人ごとのように自分の周りから遠ざかっていくその一瞬を鮮明に思い出せます。新しく始まる高校生活に対する期待や、かすかな恐れ、馴れ親しんだ友たちとの別れに戸惑っていたのだと今ならわかりますが、経験したことのない不安感を怒りの感情と取り違えた私は、学生服のボタンを全部引きちぎり、校舎に向かって投げつけて校舎を後にしました。青い青い少年でした。

 さて、このごろ良い年をしたおじさんにはなりましたが、役所から届けられた納税通知書をみると青い青い顔色になってしまいます。通知書を引き裂くわけにもいかず、やり繰り上手の家内の家計簿も「すでに焼き付いているなぁ」と案じられ、仕事もないので「大掃除でもしておいて」と家内に焚き付けられてホウキを振り回しながら、何とはなしに「脳裏に焼き付いた」のと、「まぶたの裏に焼き付ける」のは少し違うような気がするなと考えました。

 大きな机を二人で持ち上げる時、進む方向によって、足元の見えなくなることがあります。そんなときには机の下をのぞき込み、段差、障害物などを「脳裏に焼き付け」ます。そうすると、机の天板で足元は見えていないのに、かなり正確に段差や障害物を回避して机の移動に成功します。芸能でも脳裏は結構使います。獅子舞の構造は、ホロを獅子のからだに見立てます。舞台の広さやお囃子の位置、マイクの立ち位置を獅子の口から確認して「脳裏に焼き付け」舞台に飛び出します。舞台の上では足元しか見ません。口から前を見ると自分の頭がぴょこんと飛び出て、獅子がラクダになってしまうからです。

 獅子舞は、ペルシャの神殿を守っていたライオンの石像がシルクロードを通過して天竺、唐、高麗を経て日本列島に渡ってきたものと考えられております。神社の狛犬(こまいぬ)は、高麗犬とも書くのはそんな由来からだそうです。シルクロードを通過したので獅子にラクダの要素が混入してもよさそうなものですが、どこの地域の獅子舞を教えて頂いても「ほれ、ラクダになってるぞ」と頭を引っ込めさせられます。

 先日、獅子舞で引っ込む袖を間違えた私、太鼓にドンとぶちあたり、あまりの痛さに目から火花。「なるほど、この火花で焼き付けるんだ」と気付いた次第でございます。

 

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