10月16日に入院して、はや3週間が過ぎた。抗生剤のお陰で入院2日程で急回復し、4週間は持て余してしまうかなと思っていた。が、3日目に脳梗塞を起こしてからは結構飛ぶように時間は過ぎたと思う。
口の麻痺も回復し、体温はついに薬なしで37度を切るようになっていた。
毎朝のS先生の診察では、胸部の聴診のほか、足のむくみをチェックされていた。弁膜症で血液が逆流しているので、足や手がむくんで押してもなかなか戻らない症状が出たら、心不全の兆候らしい。恐ろしいが、今のところ全くない。
それどころか10月末からベッドの上で腹筋50回、腿上げ100回を毎日やるようになっていた。その後も呼吸の苦しさを感じた事はなかった。
α歯科医院に行ってから、次は東京医科歯科と東京歯科とで散々迷ったあげく、東京医科歯科大学歯学部病院にした。やはり国立であること(安い)、間違いなく国内最先端の研究および臨床を行っている事が考えられた為である。
こうして迎えた11月6日朝9時、再度の外出許可を貰い東京医科歯科に行く事になった。
今日の俺は前回とは違うぜ。
何せ毎日筋トレしてる。
もう体力は入院前近くにまで戻っているはずだ、恰好はちゃらんぽらんだけど。
ていうか、男は中身だろ?
猛々しい思いを胸に、東京医科歯科大学歯学部病院へ向かった。
新宿に向かう途中、満員の京王線快速列車の中でのこと。
貧血を起こした。
やばい、立っていられない。どんどんと冷や汗が出てくる。このままでは意識を失ってしまう。うーん、でもドアから人一人置いてもどかしい位置。できれば近くの座ってる人に席を譲って欲しいけど、寝てる…。向かいは若めの女性の背中、どうしよう。そんな事を考えていると、立っているのが限界に達した。
「すみません」
「ん」
「貧血気味なので座ります」
「は、はい」
僕は、全く関係のない斜め前に立っていたサラリーマンに話しかけ、了解を取ったのを確認し(何の了解か不明)その場にしゃがみこんだ。彼にしてみれば、「は、はい」以外に言葉がないだろう。
「僕に言われても」と返すのは一つの正論だが、弱っている人に向かってそれを吐くのは良心の呵責があろうし、かえって周囲の注目を集めてしまうめんどくささもある。僕は万が一の痴漢冤罪に巻き込まれるリスクを回避、認識してくれる人が一人できて安心した。
しゃがみながら電車止められたら嫌だな、と考えていた。右手に持った携帯電話(ガラケー)が物凄く重く感じる。持っていられない。ポケットにしまう。
はあ、まだまだ全然だめなんだなあ。少し悲しくなった。
少々恥ずかしいので、5分程しゃがんで回復したっぽいと判断して立ち上がった。しかしまた2、3分してしんどくなってしまった。
今度はさっきのサラリーマンの方に視線をやってから、一瞬目が合った後、無言でしゃがみこむ。
兄ちゃん、さっきの了解、まだ生きてんだろ?
と目で言ってやったのである。
何とか電車を止められることなく、御茶ノ水の東京医科歯科大学歯学部病院に着いた。
最初に歯科総合診療部というところで問診を受けた。α歯科医院で貰ったレントゲンのコピーを渡し、自分の状態と要望を話した。その後、虫歯外来という科に行くよう言われた。
階を移動して、虫歯外来科で担当してくれたのは若い女性の先生だった。僕が同じ説明を一通りし、コピーに目を通してくれた。
「では歯周ポケットをチェックします。ちょっとチクチクしますね」
「はい。歯周ポケット?(心の声)」
問題の歯の歯茎と歯の間にピンを這わせる。
「んー、状態は悪いですね」
「悪いですか」
「この歯だけ他の歯と違ってピンが奥まで入ってしまうのが分かりますか?」
ピンの先をグイっと入れられる。
「ふぁい」
「歯周ポケットもひどくなっています。これだけ状態が悪いと回復しません。ここは根管治療専門の担当ですが、感染性心内膜炎の再発防止も考えると、抜歯しかないと思います」
「…そうですか。わかりました」
若く綺麗でドリルのようにシャープな先生の説明は終わった。
ジャッジは早かった。レントゲンコピーを見て、歯周ポケットを確認し終わりである。一方で荒さはない。ドリル先生の説明には、多くの症例に裏打ちされている説得力を感じた。僕は抜歯を決意した。
その後、また階の違うスペシャルケア外来科に回された。林先生というこれまた物腰が柔らかく聡明な感じの先生と今後の治療方針を話す事となった。
「Jさん、はじめまして。今後Jさんは普通の虫歯外来ではなく、疾患を抱えられている方を専門で診るうちで担当します。
「はい。宜しくお願いします。」
「それにしても今回は大変なご病気になられましたね」
「はい。入院3日目にはうっかり脳梗塞にもなってしまいました」
「はは」
お陰様で後遺症は全くなくなっていたので、ギャグにできるまでになっていた。脳梗塞というのは重いワードである。けど、できることなら笑い飛ばしたい。
「さっきも言われたと思いますが、心内膜炎の再発防止の為にも抜歯になります。非常に怖い病気ですから」
「はい、もう納得しました。先生、他にも虫歯があった場合、その治療もこちらで頼みたいのですが」
「わかりました。まず抜歯ですが、抜歯自体は慈恵第三病院でして頂いた方がいいと思います。それが落ち着いたら他の歯の治療はこちらでしましょう」
「わかりました。あの、他の歯の治療は虫歯外来になるのでしょうか?」
「うーん、うち(スペシャルケア外来)ですね。虫歯の治療も抗生剤を落としながらやる事になると思います。やはり心内膜炎再発は怖いですから。慈恵さんの循環器の先生と連絡を取りながらやりますから安心して下さい」
「はい」
非常に注意深い林先生の説明に信頼感を覚えるとともに、自分が病状を軽く見ていたなと反省した。
「慈恵の先生に今度は私がお手紙を書きます。落ち着いたらまた直接連絡下さい。今日は以上です」
「ありがとうございました」
僕はスペシャルケア外来診察室を後にした。
会計は890円(レントゲンはなかったとはいえ、3科回って初診でこの安さである)。
慈恵、個人のα歯科医院、東京医科歯科と、遠回りをしてしまったと思っていた。結果的にはむしろ社会勉強もできて良かったと思う。
役者は揃った!
GⅠ 感染性心内膜炎の感染巣処置杯 出走一覧
名前 処置 騎手より一言 騎手よりもう一言
第1コース 慈恵第三病院 抜歯 抗生剤投与必要 骨は戻らない
第2コース 東京医科歯科 抜歯 抗生剤投与必要 骨は戻らない
第3コース α歯科医院 根管治療 抗生剤言及せず 骨は戻ります
白血球に言及
一番偉そうな口ぶりで万馬券だったゼ
【天声素人語 第十二回】 やばくなったら大学病院へゆけ
今の医学は凄い事になっており、貴様の全力疾走でもその進歩に追い付けはしないのである。最初に掛かった病院で完治がこじれたら、次は中途半端な病院をはさむ事なく、大学病院へjumpせよ。多くの場合に掛かる初診の別料金3000円弱は、軽い風邪などの患者まで来ないようにする為の防波堤である。こじれたお前を早く診る為の叡智である。ゆえにこじれた場合はその3000円を躊躇するな。笑顔で払え。