雑談中の雑談 | Study Hard

雑談中の雑談

 そろそろ『「疑似科学」批判の研究』も出て来ておかしくないなと思いつつ、一々調べる気もしない。
 などと隠棲氏の所を見ながら思った。

 隠棲氏の所からリンクされていた疑似科学批判(もやってる)者のブログをつらつらと読みながら、批判者の傾向ぐらいならありそうだなと思ってみた。
 そのブログに限ったことではないのだが、疑似科学批判の文章からはしばしば不自由さを感じる。良く言えば(!)啓蒙主義的といったところだろうか。自由という概念は多様で扱い辛いが、ここでは「バカが馬鹿を見るのは当然」というぐらいの意味だと思って頂きたい。と言っても、詐欺や窃盗の類いを認めているのではなく、あくまでも際どい所までのお話だ。逆に、不自由というのは、たとえばバカを救済しようとでも言い出しかねない社会派な感覚などのことである。
 私がかつてパワーヘルスに関連して繰り返し述べたことだが、重要なのは、商品の原理について「間違い」があったとしても誰も責められないということである。どこまで行っても、商品の効能に偽りがあった場合に問題視されるのであって、はっきり言えば、原理なんて何を言っても構わないし、不明でも意味不明でも全然問題ない。

 いったん話をまとめると、次のような主張になる。

・私
 バカが「原理」と効能を取り違えたりして、正当なやり取りの元に商品やサービスなどを購入したとしても、それはバカが馬鹿を見たに過ぎない。

・疑似科学批判者(空想上)
 それをバカを騙すって言うんだよ。すぐに止めさせろ馬鹿。

 上の疑似科学批判者の主張はまったくの空想だが、数件もその手のブログを回れば、割とそう言ってると思えるはずだ。と思う。
 もう少し高尚な言い分があるならば、科学精神の涵養とでもなるのだろうし、感情的なことで言えば、諸科学に対する不理解に言わずにはおれないということなのだろう。しかし、いわゆる疑似科学を詐欺だの嘘だのという形で貶める手法が、その崇高な理念によって正当化されるわけではない(わざわざ不当というほどでもないが)のは、彼らにとって残念なことだ。

 次に、批判者にどう反応するかについて、脅迫システム的に考えてみた。

【抵抗】
 もし疑似科学批判に抵抗したければ、疑似科学側に立つよりもずっと分のいいやり方がある。
 原理的なことについて議論するのはド素人のやり方だ。いわゆる実証的なことについても分が悪いだろう。最も簡単で最も効果的な方法はたった1つ、ガチガチに保守的な官僚主義者であり続けることだ。そのエッセンスは、小役人のお決まりの言葉に集約されている。

「何かあったら困りますので」

【対抗脅迫】
 ホーキング博士が、科学哲学なんてもんは科学者として功績が挙げられなくなった奴が行くもんだ、と馬鹿にしていた気がした。科哲への誤解がある気もするが、科学者側から見た実態としては当たらずとも遠からずだろう。もちろん、哲学側から見れば何のこっちゃである。
 根拠もなく相手を馬鹿にするならこの論法がいいなと思った。つまり、疑似科学批判なんてのは科学者として2流の連中のやることで、これ以上言うならお前もニセ「科学者」評論家集団に括ってやるぞ、というわけだ。

「もっと他にやることはないんですか?」

【服従】
 一番角が立たないやり方は、本体よりフォロワーを叩くことである。
 折角慎重に議論している疑似科学批判者に対して、科学を窮極原因の学と取り違え、原理を絶対のドグマとして捧げ持とうとしている素人どもが悪いというわけだ。
 これは、ケインズはケインジアンではないとか、マルクスはマルクス主義者ではないといった話の延長上にあるわけで、疑似科学批判のフォロワーがもっと増えないと使い辛いやり方である。もちろん、現状でこんな区別が出来るとは私も思っていない。

「お前の話を理解してる労働者なんて1人もいやしないぞ」

 は違うな。

【逃避】
 結局の所、直接の脅威を受けているわけではないのだから、逃散するのが大人の対応だ。
 社会の問題について理解できない子どもじみた「科学者」は放っておいて、適切に合法に処理すればよい。なまじ科学の領域に足を踏み入れたのが間違いなのだから、そこは素直に認めて撤退すれば良いだけだ。

「科学にはわからないことなど幾らでもあります」