過酷な「アースマラソン」など、ランナーとしても超人的に活躍してきたタレントの間寛平(63)が20日、マラソン引退を明らかにした。この日、岩手・宮古市で発表された東日本大震災の被災地を9日間かけ、440キロメートルを走る「みちのくマラソン」(8月13~21日)の取材会で「もう体が限界。地球2周は走った。被災者を元気づけ、有終の美を飾りたい」と心境を語った。

 マラソン引退宣言は取材会の最後で唐突に飛び出した。この日はくしくも寛平の63歳の誕生日だった。「これが最後になります。今後、数キロ走ることあってもフルマラソンも走ることはありません」

 寛平の体は約2年がかりで2011年1月に終えた「アースマラソン」で心身の極限を超えていた。「あれで足も筋肉もボロボロになってしもうてね。体がめちゃめちゃ痛いんですわ。3か月くらい走る気力もなくなって。体が動かん。なかなか元に戻らんのですわ」。出てくる言葉が、完走の壮絶さと代償の大きさを物語る。

 実際のところ5~10キロ走るのも困難な状況にありながら「みちのくマラソン」を志願し、1年がかりで吉本興業を説得したという。「自分も阪神大震災で宝塚の自宅が全壊して参った。でも、今みんな、自分のあの時より、もっとつらい思いをしてる。アースマラソンでは日本も走ったが、東北を走ってなかったのが気になってね」

 8月13日から9日間かけて岩手、宮城、福島の3県を1日約50キロ、計440キロを走る。寛平は10年に発見された前立腺がんとも闘っている。「3か月ごとに検査を受けてますが、いまは数値が落ち着いている」と幸いドクターストップはかかっていない。

 いまも疲労感が抜けない体調を語るときの悲壮な顔と、最後のマラソンについて話すときの寛平の表情は対照的だ。足に激痛を抱えながらマラソンの距離を50キロにした理由を、「アースマラソンでそのくらい走ってたからね。30キロにしたら甘えているということ。やる限りは自分と追い込まんとね」

 ラストランでは避難所をいくつもまわって被災者を励まし、夏休みの子供たちともふれあう。「少しでも元気になって笑顔になってほしい。僕が逆に元気づけられるのかも。でも必ず、最後にふさわしい走りをしますよ」。決意を語るその表情は、修行僧のようだった。

 【寛平の主な出走】
 ▼1986年1月 一般の5キロ大会で完走し、マラソンデビュー
 ▼同2月 東京・青梅マラソン30キロの部を2時間26分で完走
 ▼同12月 米ホノルルマラソンで初のフルマラソン挑戦。3時間13分で完走
 ▼91年 88、90年に挑みリタイアしたギリシャ・スパルタスロンを、3度目の挑戦で246.3キロ完走
 ▼93年 92年に150キロ地点でリタイアした日本テレビ系「24時間テレビ」の200キロ走破に成功
 ▼95年 「24時間テレビ」で阪神・淡路大震災復興を祈念し、神戸・東京間約600キロを7日かけ走破
 ▼98年 米ラスベガスマラソンを3時間8分42秒で完走
 ▼2008年12月~11年1月 ヨットとマラソンで世界一周するアースマラソンに挑み、陸海計約3万6000キロを766日で完走。

 ◆間 寛平(はざま・かんぺい)本名・間重美。1949年7月20日、高知県宿毛市生まれ。63歳。70年に吉本興業入り。吉本新喜劇座長、テレビのバラエティー番組で活躍。「アヘアヘ」「かい~の」などのギャグで人気に。92、93、95年に日テレ系「愛は地球を救う」のチャリティーマラソンに挑戦。164センチ。血液型AB。



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