犬をほんとに怖がる人は対人恐怖症や閉所恐怖症などの人よりも多いと見ている。太古の昔、人は強い動物から、逃げ回っていたので、人の遺伝子のDNAには動物恐怖症の因子が組み込まれている。

 現在の人は、2,3才の時、62%の人が犬を、56%の人がヘビを怖がるようだ。 一般に9~18才までには、その犬恐怖症は減少し普通になるようだ。
しかし、幼少期や減少期��犬とのトラブルがあると、ショックを受け、それがトラウマ(心の傷、心的外傷)となり、いわゆるPTSD心的外傷後ストレス障害)になる。
 そのような人がノ-リ-ド反対を唱えるのは心情的に理解できる。ほんとに犬が怖いからだ。

 しかし、理解しにくいのは、飼い犬がいて愛犬家ぶって、ノーリード反対を唱えている人のことだ。自分の愛犬のしつけが出来てない人に多い。ノーリードにしたら、逃げてしまうとか、臆病犬だったり、喧嘩癖のある犬だ��たりする。

 自分の犬がノーリードにできないから、他人の犬たちが公園などで楽しく仲良く遊んでいるのを見ると、負け惜しみで何かを言いたくなるのだ。自分では愛犬家と思っているから、犬���怖症の人よりもタチの悪い。

 東大に入学すると、将来、汚職で逮捕されかも知れないから、実業学校の方がよいと言う人がいる。自分が入学できないからと東大(ノーリード)をけなすのは筋違いだ。何事であれ、自分ができない良好なものにケチをつけるのは、偏屈者のすることだ。

 自分の愛犬は臆病でノーリードの犬を見るとこわがるので、ノーリードは止めてくれという飼い主がいる。自己中心的な横柄不遜な人だ。
自分の嫌いなことは他人の幸せな生活行動でも止めるように強制し��もよいと思い込んでいる。あつかましい。社会良識が欠如していて、まともではない。いわゆる、社会性のない人だ。

 臆病な犬を正常な犬にしつけ治すのが先決だ。自分のやるべきことを怠り、他人の生活行動を抑制しようとすることは身勝手だ。横着傲慢だ。
自分の好き嫌いで他人の楽しい生活行動に苦言するのは独断と偏見の押し売りだ。迷惑千万だ。

 ノーリードの大型犬にかまれて、犬が死ぬのを目撃したことがあるから、犬は小犬でもノーリードは止めるべきだとも他のブログに投稿があった。色が同じならば味噌も糞も一緒に論ずるとは、このような論法を言う。論理が飛躍した八方破れの論法だ。
 小犬が犬をかみ殺した事例はない。あるというなら、証拠の提示を求める。

 大型犬が人身傷害事故を起こした事例は数多くある。
しかし、すべての大型犬は傷害事件を起こすとは限らない。公園などに連れてくるような大型犬は皆しつけがよく、おとなしい。噛みつくような犬に会ったことはない。
人身傷害事故を起こすような犬は公園などにも連れてこないで、自宅に繋ぎぱなっしにされてストレスの溜まった犬だ。その中でも、ごく一部の犬だ。

 その一部を拡大鏡で拡大して、いかにも、すべての大型犬が傷害事故を起こすかのように騒ぎ立てるのは短絡的で思慮がなさすぎる。誇大妄想で反社会的な言動だ。野次馬根性の扇動者だ。ブログや掲示板“荒らしのゴキブリ”に多い。反対のために反対を唱えている不毛の輩もいる。

 中学生が傷害事件や殺人事件をよく起こすので、中学生は全員保護観察にしたほうがが安心出来ると言うことと同じだ。ごくわずかな事例ですべてをそうだと決めつけるのは学識教養のない人の常だ。独断と偏見の押し売りだ。迷惑千万だ。

 犬恐怖症の人もノーリード禁止と騒ぐ前に、自分の精神的な病気を治すことが先決だ。
他人の楽しい生活行動を制限して、自分が幸せに暮らそうと考えるのは社会良識としては正常ではない。
 特に、公園でのノーリードについても、法律に係留の例外規定があり、しつけのよいおとなしい犬まで禁止されているわけではない。自分の病気のことは棚に上げて、他人にリードしろと言うのは筋違いだ。病気を治すか、公園に行かないかの問題だ。

 それを何の関係もない他人に責任転嫁をするとは世の中に甘えすぎだ。我が儘で、はた迷惑だ。何事であれ、自己中心的な人が多くなると、世の中は住みづらく��る。
愛犬の幸せのために不合理な要求ははねのけることが大切だ。