パラリンピックを観て想う… ①
日本のスポーツ文化が少しづつ変わってきてます。
以前は、スポーツは教育としてツールという色合いが濃く
スポーツでの経済活動は、プロスポーツだけでしかありませんでした。
しかし、五輪が商業化することで
スポーツ選手の価値が高まり、経済的にも自立できるスポーツ選手が
増えてきました。
では、なぜスポーツ選手がプロでなくても、自立できるようになってきたのか?
それは、肉体の限界に挑戦する選手の活躍や、世界と戦う姿に
国威高揚や、努力することの素晴らしさや人の可能性や想い
そういったいろいろなスポーツのソフトとして価値が、
国民の皆さんに浸透してきたらこそ、五輪選手の経済的な価値
というものが高まり、その経済的な効果の大きさに国も
税金を投入し、今まではお金では買えない
国民のメンタルの向上が、国益を生むからこそ強化をしている
という側面があるからでしょう。
だからこそ、各競技連盟は五輪の参加基準を高め
出るだけではなく、入賞やメダルを狙える選手に絞る
ということで、
本来は五輪に出れる選手も出れない厳しい現実があります。
こういった背景をパラリンピックに置き換えて考えてみる必要も
あると思います。
そこの視点にたって考えないと、「頑張っているんだから出場させてあげたい」
という、健常者のある種の上から目線は払しょくされないような気がします。
つづく