物の話 | けものみち

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日記のようなものです。

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夢をよく見ます。色んな夢を。
色んな夢は見ながら、何となく「いつも通りの自分の夢」という空気が大抵ある様です。
よく出てくる場所や、人間のタイプ、動植物、小物など
どういう物が出てくるかというのには、法則がある様に思います。

現実の、ひとりの人間の日常生活の中にも「毎日の決まりごと」があったり
起こりがちな出来事の方向性、仲良くなりやすいタイプの人間があります様に
夢の中でも何かそういうものがあります。

夢占いの事を検索したり、本で読んでいますと
「ある物」を夢に見るケースは多いらしいのに、私は見た事が無い、という物もあります。

いきなり言うのもあれですが例えば用便に関することですね。
それも本格的というか、固体の方の事であります。
お手洗いそのものは割合出てくるのですが、固体がお出ましになったことは
記憶にある限り無いのです。
それが、今日は出てきたのです。

夢の中で私は平安時代の人のように、それ用の箱を部屋に持ってきて使っている様でした。
普段はちゃんと片付けるらしいのですが
今日の夢の中での私は、寝ぼけて用を足して、片付けずにまた寝てしまい
再び起きた時にビックリ(*'д')
と、いう事になっていたのでありまする。


起きてから思い出すと‥物体は妙に丸っこくて、リアルな形とは言いがたかったのですが
まあそれは夢でありますからね。

さて( ΦωΦ)

夢の中に、うんさんが出てくるといったら
調べるまでもなく有名な俗説があるではありませんか。

金運アップの夢ですよヽ(*'ー')ノ

何が起きるんでしょう。
「忘れてた&丸い」まで加味して考えると
引き出しにしまっていて、それきりにしている小銭でも発見するんでしょうか。
随分ささやかな話になってしまうけど(笑)

なんだろうなあ、楽しみだなあ
と思っているところへ電話がかかってまいりました。

きたー(*'д')!


伯母でした。

「正月の餅をつくが、いくつ要る?!」という用件でした。

餅だったのかヽ(*'д')ノ


ああ、夢の中のはばかりが「平安時代みたい」ということも考えるべきでした。
当時はあんなお餅は‥しかも餡子が中に入ったお餅なんて
どれだけご馳走だったことでしょう。

わずかに米の形を残した丸餅はもちろん我がご馳走でもありますが。
お餅が来たら、餡の入っていない方はお汁粉でも作りましょうか。
荒めについた餅は汁粉がよくからんで、とても美味しいです。

それはそうと、「夢占いを信じるのか」とか
突っ込んだら野暮のことよ(*'ー')ウフフ



さて、伯母の話はさすがにそれだけではありませぬ。
「用がなければ電話をしない」という伝統(?)を守る我々は
実に3ヶ月ぶりの会話であります。

その9月の時も「そのうち1ぺん、こっちに来い!」という話がありましたが
今回はもうちょっと具体的に「ぬくう(あたたかく)なったら」となりました。
絵もそれまでには描き終えてるし、ちょうど良いかもですね。

かつ来年の3月には母方の祖父の13回忌もありまする。
それが済んだ後ならば、母に言い出しやすい。
かも( ΦωΦ)ウム

向こうのおじいちゃんの写真とか、持ち物とか見てみたいし
お墓参りも随分してないし、秋芳洞行きたいし(←おい)

など算段していると、さらに
「10月にはおじいさんの50回忌もある」
という話が飛び出しました。

「その次になったら伯母ちゃん、めいめい(自分)の命がなかろうで!」
(*'д')次っていつだろう‥?75回とか?

「いつじゃろう‥先じゃろうで。まあ命はなかろ!」

あとで調べたら、50回忌以降はさらに50年ごとだそうな。
こりゃあ私も命が分からんぞ(;'д')!

じゃあ、10月も行くとして。
春は「二人展」の前にすべきか後にすべきか( ΦωΦ)?

物の片付けの手伝いやらもありそうですから
ほんの数泊で帰るわけにはいかなそうです。悩みまするな。
後かなあ。

そういえば「骨董品も少しある!」という話もありました。
困ったみたいに言っていました(笑)
高価なものではなく、ただ古いばかりな様ですが‥
そのためかえって始末に困るわけでして。
(たとえ買い手あっても二束三文。売るに売れませんです。)

最近でいう「生活骨董」って、見ていて楽しいものですが
買うのはやめておきましょうかな。
灯台もと暗し。あの家は古い物ならいっぱいあるぞ~(*'ー')
しかも祖父ちゃんやら誰やら使っていた物です。
ダライ・ラマのごとく、私の運命の品が見つかるかもしれませんぞ。

一番大事なのは、伯母の納得のゆく色いろの始末でありますが。

話しておって、声が元気でよかったです。
まだ少し耳がビリビリするが。